小説の書き出しで名文及び興味深いものを中心にまとめていきます。
(主にこのサイトで取り上げた小説を対象にしています)
小説の書き出し
雪国(川端康成)
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。
信号所に汽車が止まった。
あまりにも有名な書き出し。
日本人なら情景を思い浮かべずにはいられない。
吾輩は猫である(夏目漱石)
吾輩は猫である。
名前はまだ無い。
こちらも有名な書き出し。
「雪国」と本作のどちらかを一番と考える人は多い?
草枕(夏目漱石)
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
書き出しというより、言葉として有名。
この後に続く言葉も面白い。
晩年(太宰治)
死のうと思っていた。
ことしの正月、よそから着物を一反もらった。
お年玉としてである。
着物の布地は麻であった。
鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。
これは夏に着る着物であろう。
夏まで生きていようと思った。
デビュー作の短編集・最初の「葉」の書き出し。
いきなり自殺願望から始まっている。
人間失格(太宰治)
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
一葉は、その男の、幼年時代、と言うべきであろうか、
十歳前後かと推定される頃の写真であって、
その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、
(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される)
庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、
首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。
最初の「その男(本人)」と「醜く笑っている」が印象的。
羅生門(芥川龍之介)
或日の暮方の事である。
一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男の外に誰もいない。
唯、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。
羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男の外にも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、
もう二三人はありそうなものである。
それが、この男の外には誰もいない。
鼻(芥川龍之介)
禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない。
長さは五六寸あって、上唇の上から顋(あご)の下まで下っている。
形は元も先も同じように太い。
云わば、細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
金閣寺(三島由紀夫)
幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。
私の生れたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。
最初の一行が印象的です。
風の歌を聴け(村上春樹)
「完璧な文章などといったものは存在しない」
「完璧な絶望が存在しないようにね」
村上春樹さんデビュー作の書き出し。
キッチン(吉本ばなな)
私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事を作る場所であれば私はつらくない。
吉本ばななさんデビュー作の書き出し。
異邦人(カミュ)
きょう、ママンが死んだ。
もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。
始めから人とのズレを感じます。
悲しみよ こんにちは(サガン)
ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、
悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。
その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、
悲しみというのは、わたしには敬うべきものに思われるからだ。
とにかくフランス的?な感じがします。
カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)
アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフは、今からちょうど一三年前、
悲劇的な謎の死をとげて当時たいそう有名になった
(いや、今でもまだ人々の口にのぼる)この郡の地主、
フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフの三男であった。
この悲劇的な死に関しては、いずれしかるべき個所でお話しすることにする。
多くの人が挫折する本作の書き出し。
これだけでギブアップする人がいるかも?
檸檬(梶井基次郎)
えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始圧えつけていた。
焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか──酒を飲んだあとに宿酔があるように、
酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。
それが来たのだ。
これはちょっといけなかった。
何か引き込まれるような書き出しです。
蟹工船(小林多喜二)
「おい地獄さ行ぐんだで!」
二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、
海を抱え込んでいる函館の街を見ていた。
──漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。
インパクトのある書き出しです。
砂の女(安部公房)
罰がなければ、逃げるたのしみもない。
正確に言えば書き出しではないが、本文の前に書かれている言葉。
人の愚かしさが分かる。
山椒魚(井伏鱒二)
山椒魚は悲しんだ。
彼は棲家である岩屋から外に出てみようとしたのであるが、
頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。
蹴りたい背中(綿矢りさ)
さびしさは鳴る。
耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、
せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。
息苦しさ感じるような少女の心の声から始まっている。
君の膵臓をたべたい(住野よる)
クラスメイトであった山内桜良の葬儀は、
生前の彼女にまるで似つかわしくない曇天の日にとり行われた。
余命短いヒロインの葬式が行われたことから始まっている。
王とサーカス(米澤穂信)
誰かの祈りで目が覚める。
不穏なひびが斜めに入る天井を見上げる。
わたしはどこにいるのだろう。
部屋はまだ薄暗く、壁は濃い灰色だ。
異国のホテルで主人公が目覚める所から始まっている。
海賊とよばれた男(百田尚樹)
青い空がどこまでも続いていた。
湧き起こる白い入道雲のはるか上には、真夏の太陽が燃えていた。
見上げる国岡鐡造の額に汗が流れ、かけていた眼鏡がずれた。
シャツもべっとりと汗が滲んでいたが、暑さは微塵も感じなかった。
いなくなれ、群青(河野裕)
どこにもいけないものがある。
さびついたブランコ、もういない犬の首輪、引き出しの奥の表彰状、
博物館に飾られた骨格標本、臆病者の恋心、懐かしい夜空。
よく分からない書き出し。
その分「何?」という興味が出る。
鹿の王(上橋菜穂子)
我が槍は 光る枝角 恐れを知らぬ 不羈の角
背には 我が子 低く構えし この角は 弱き命の盾なるぞ……
正確に言えば書き出しではないが、本文の前に書かれている言葉。
世界観がよく分かる。
億男(川村元気)
落ちぶれたコメディアンが、病に冒されたバレリーナを励ましている。
「人生に必要なもの。それは勇気と想像力と、ほんの少しのお金さ」
チャップリン映画のシーンから始まっている。
多用は出来ないが分かりやすい。
居酒屋ぼったくり(秋川滝美)
居酒屋を始めるなら冬がいい──
米の研ぎ汁の中で白く透けていく大根の茹で具合を確かめながら、
美音は父の言葉を思い出す。
情景が目に浮かびます。
羊と鋼の森(宮下奈都)
森の匂いがした。
秋の、夜に近い時間の森。風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。
夜になりかける時間の、森の匂い。
作品イメージにぴったりの始まりです。
博士の愛した数式(小川洋子)
彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。
そして博士は息子を、ルートと呼んだ。
息子の頭のてっぺんが、ルート記号のように平らだったからだ。
作品の中に非常に入りやすい書き出しです。
コンビニ人間(村田沙耶香)
コンビニエンスストアは、音で満ちている。
全てが混ざり合い、「コンビニの音」になって、私の鼓膜にずっと触れている。
(中間の文章を省略しています)
夜のピクニック(恩田陸)
晴天というのは不思議なものだ。
こんなふうに、朝から雲一つない文句なしの晴天に恵まれていると、
それが最初から当たり前のように思えて、すぐそのありがたみなど忘れてしまう。
グレート・ギャツビー(スコット・フィッツジェラルド)
僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。
その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」
村上春樹さんの翻訳です。
神様のカルテ(夏川草介)
なんたる失態だ……私は慨嘆した。
釈明の余地のない失態である。
いや、私に問題があるのではない。
環境の罪である。
だいたい私のような勤勉・実直を絵に描いたような青年内科医が、
冒頭から釈明の余地のない失態に追い込まれるくらいであるから、
その環境の劣悪さも想像がつくであろう。
青年内科医の心の叫び……
老人と海(ヘミングウェイ)
かれは年をとっていた。
メキシコ湾流に小舟を浮べ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが、
一匹も釣れない日が八十四日もつづいた。
星の王子さま(サン=テグジュペリ)
僕が六歳だったときのことだ。
「ほんとうにあった話」という原生林のことを書いた本で、すごい絵を見た。
猛獣を飲み込もうとしている、大蛇ボアの絵だった。
いま、会いにゆきます(市川拓司)
澪が死んだとき、ぼくはこんなふうに考えていた。
ぼくらの星をつくった誰かは、
そのとき宇宙のどこかにもうひとつの星をつくっていたんじゃないだろうか、って。
そこは死んだ人間が行く星なんだ。
東京タワー(リリー・フランキー)
それはまるで、独楽の芯のようにきっちりと、ど真ん中に突き刺さっている。
東京の中心に。
日本の中心に。
ボクらの憧れの中心に。
変身(フランツ・カフカ)
ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、
自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。
八日目の蟬(角田光代)
ドアノブをつかむ。
氷を握ったように冷たい。
その冷たさが、もう後戻りできないと告げているみたいに思えた。
最後まで読んで頂きありがとうございました。