「海賊とよばれた男」の名言まとめました

「海賊とよばれた男(百田尚樹)」より名言をまとめていきます。

戦前戦後を己の信念のままに生きた、男の物語。
石油会社「国岡商店」の店主、国岡鐵造は敗戦により全てを失った。
会社の存続も危険な状態の中、一人の店員も首にしないことを誓う。
店員の仕事を探して奔走している時、誰もが尻込みする仕事が舞い込んでくる。
鐵造は会社のためではなく、日本のために仕事を受けるのだが。
出光興産の出光佐三氏をモデルとした作品です。

海賊とよばれた男(上)

敗戦の後

日本には三千年の歴史がある。
戦争に負けたからといって、大国民の誇りを失ってはならない。
すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る。

こういう言葉が嫌いな方も多いだろう。私も決して好きではない。
しかし「大国民」という言い方は別として、世界に出たとき「自分は日本人だ」という気持ちは背中を押してくれる。
日本国内では「何県出身です」みないなもの。
自分の出身地を否定する人と私は意見が合わないでしょう。

会社にとって本当の財産とは

たしかに国岡商店の事業はすべてなくなった。残っているのは借金ばかりだ。
しかしわが社には、何よりも素晴らしい財産が残っている。一千名にものぼる店員たちだ。
彼らこそ、国岡商店の最高の資材であり財産である。
国岡商店の社是である「人間尊重」の精神が今こそ発揮される時ではないか。

私もこの「人」優先という考えが好きです。「物」はお金さえあれば、誰でも手に入る。
しかし「人」は有利不利はあれど、誰もが手に入れることは出来ない。
最近は人工知能ばかり取り上げられる。
これからを考えると、必要なのは分かるが限界はある。
人工知能は最高の秀才にはなれても、天才にはならない。

トップに立つ者の決意

もし国岡商店がつぶれるようなことがあれば、ぼくは店員たちとともに乞食をする。

本作品の名言の一つになります。
「乞食」自体に意味はない。あくまで覚悟を表している。
人に頭を下げる底辺まで落ちる覚悟です。
現在の「やとわれ社長」「2代目社長」「ITなどによる若手社長」等のうち、何人が本当の覚悟をもっているでしょうか?

夫婦の会話

(鐵造と妻の会話)
「財産を全部失ってもいいか」
妻の多津子は少し驚いた顔をしたが、笑って、「私はかまいませんよ」と答えた。
「お前が嫁に来るときに持ってきた着物も売り払うことになるかもしれん」
「生活のためなら、残念ですが、仕方ありませんよ」
「うん、生活のためもあるが、店員の給金を払わねばならん」
「それでしたら、喜んで手放しましょう」
多津子はにっこりと笑って言った。鐡造は無言で頷いた。

現在に限らず、人は自分のことから考える。
そのためこの考え方は、ほとんどの人にとって難しい。また、話の展開が日本的です。
良いか悪いか分かりませんが、日本的ですよね。夫婦のみで展開される流れかもしれない。
しかし小説を読み進めていくうちに、社内で、他社とで、はたまた外国の方とも成り立つ時があることに驚いた。
「小説だから」と考えることも可能だが、実際にもあってほしい。
言葉の内容より、お互いに人間関係が出来ているかが分かれ目になる。
「何をよりも誰が」が会話では重要になる。

銀行側の立場

銀行は単なる金貸しではない。
採算ある事業、たしかな未来のある事業と思えばこそ、融資もする。
ラジオのことを何も知らない経理部長が行って、銀行家を納得はさせられない。

これは現代でも同じです。
「事業を起こすため融資してください」では、「はい分かりました」とはならない。
融資を受けるとは、相手に認めてもらうこと。自分という商品を買ってもらうこと。
普通に「これを買ってください」と言っても無理ですよね。
そのために、まず分かってもらう必要がある。
書類の形式なども、ある程度は必要になる
しかし本当に必要なのは何かは、自ずと分かります。

仕事の意味

タンクの底を浚う事業はひとり国岡商店だけのためではない。
商工省の面子のためでもないし、こんなことで恩を売る気もない。
この事業を成功させることによって、GHQから日本に石油が配給されることになれば、これほど素晴らしいことはない。
すなわちこの事業は日本のために行うものである。渡辺は半ば呆れ半ば感動していた。
命知らずの海軍でさえも手を出さなかったタンクの底に降りようと考えるとは。
しかも、そのことで見返りさえも期待しない。
日本中が自分のことしか考えていない中にあって、いったい何という人なんだ、この人は。

戦後GHQからの嫌がらせとも言える、旧海軍の燃料タンクの底を浚う難事業に対して、鐵造が利益を度外視して協力した時の言葉になります。
またこれは、主人公のモデルである出光佐三さんの実話みたいです。
大変な作業であることは始める前から分かっている。
利益にならないことも、ほぼ分かっていた。そして結果としても、利益は出なかった。
しかし実行すれば、全体の利益になるということから作業を引き受けている。
この作業に利益がなくても、次につながる場合は受けることがある。
しかし今回は日本への利益はあれど、自分自身には何も起こらない。
なかなか出来ることではありません。
しかしこの作業は後々多くの困難を救うことになる。
欲をなくした作業にこそ、本当の価値があるのかもしれない。

組織にとって必要な人数とは

これは日本のすべての組織について言えることですが、日本ではまず「組織が先に作られ、トップが決まります。
そして下部組織が作られ、その管理者が決まります。
順次、そうして下部組織が作られていくために、最終的に非常に大きな組織になってしまうのです。
大事なことは、まずその仕事にどれくらいの人数が必要なのかということです。
そしてそれを適材適所に配置する。あとはそれを管理する上の者を最低限揃えればいい。

ある意味、当たり前の考えです。
しかし行うことは困難であり、現代でも出来ている会社がどれほどあるだろうか?
なぜこんな簡単なことが出来ないか?
もちろんいろいろな原因はあるが、最大の理由は「管理者が上ではなく、ただの管理者でしかない」点にあると考える。
会社員をしていると誰もが出世を望みます。
最近は「責任を負いたくない」とかもありますが、多くの方は役職が上がることは喜びます。
しかしこの方式だと、管理者になっても苦労が増えるだけであり、ほとんどメリットがない。
人は会社の業績が伸びるよりも、自分の給料が上がることを喜ぶ。
そのためこの考え方を採用するには、組織全員の意識改革という高い壁を克服しなければならない。

人を見る目、人の価値

国岡はん、六千円は君の志にあげるんや。
そやから返す必要はない。当然、利子なども無用。事業報告なんかも無用。
ただし、条件が三つある。
家族で仲良く暮らすこと。そして自分の初志を貫くこと。
ほんで、このことは誰にも言わんこと。

鐵造の能力を認めていた日田(資産家)が贈った言葉になります。すごいですよね。
当時の六千円がどの程度かは、よく分からない。
しかし、かなり大きな家を売った金額になる。
それを当時無名の若者に「貸す」ではなく、「投資」でも無く、渡している。
少しネタバレになりますが、そのお金は結局有効活用できず、鐵造の会社は倒産ギリギリに追い込まれる。
最終的に成功するため美談になっているが、第三者の目から見れば無謀です。
ただ銀行のように成功するから融資するのではなく、可能性を見て人に投資するのは、社会における望ましい姿かもしれない。

人を応援することとは

なあ、とことんやってみようや。わしも精一杯応援する。
それでも、どうしてもあかなんだら...「一緒に乞食をやろうや」

一度資金援助した日田が、資金不足に陥った鐵造に再度の資金提供を伝えた時の言葉になる。
人を応援する人はたくさんいる。
しかし自分と身内を犠牲にしてでも、人を応援できる人はほとんどいない。
これが正しいのかは私には分かりません。
自分が日田の身内なら、とても賛成しないでしょう。
しかしこんなことを言ってくれる人が一人でもいるなら、いかなる結果になろうとも、その人は人生の成功者といって間違いない。

感想

とにかく熱量の高い作品です。多くの人がこのように生きたいと思いながら、まず出来ない。
また鐵造は自分を信じていると同時に人も信じている。そして人の不条理も理解している。
正しい主張を通すのは、いつの時代でも困難です。
このような生き方は参考にならないかもしれない。
しかし困難な状況にいるなら、克服するヒントはこの中にあるのかもしれない。

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