「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン(リリー・フランキー)」の名言・台詞をまとめていきます。
東京タワー
Ⅰ
「そやったら、あんたは生まれて来とらんやろうも」(オカン)
Ⅱ
「親子」の関係とは簡単なものだ。
ところが、「家族」という言葉になると、その関係は「親子」ほど手軽なものではない。(ボク、以降無記入)
自覚の欠落した夫婦が築く、家庭という砂上の楼閣は、時化ればひと波でさらわれ、砂浜に家族の残骸を捨ててゆく。
どれだけ仕事で成功するよりも、ちゃんとした家庭を持って、家族を幸せにすることの方が数段難しいのだ。(ある人)
貧しさは比較があって目立つものだ。
金持ちが居なければ、貧乏も存在しない。
必要以上になろうとして、必要以下に映ってしまう、そこにある東京の多くの姿が貧しく悲しいのである。
(母親は)たった少しの交際期間とほんのわずかの結婚生活を経て「母親」以外になにもない暮らしを、どう感じていたのだろうか。
かつて当たり前だったことが、当たり前でなくなった時。平凡につまずいた時。
人は手を合わせて、祈るのだろう。
自分の人生の予想できる、未来と過去の分量。未来の方が自分の人生にとって重たい人種と、もはや過ぎ去ったことの方が重たい人種と。
その二種類の人種がたとえ、同じ環境で、同じ想いを抱えていても、そこには明らかに違う時間が流れ、違う考えが生まれる。
Ⅲ
人間の能力には果てしない可能性があったにしても、人間の「感情」はすでに、大昔から限界が見えているのだから。
東京に住んでいると、そういうわかりきっていることが、時々、わからなくなるのだ。(ある人)
Ⅳ
世の中に、様々な想いがあっても、親が子を想うこと以上の想いはない。
オトンの人生は大きく見えるけど、オカンの人生は十八のボクから見ても、小さく見えてしまう。それは、ボクに自分の人生を切り分けてくれたからなのだ。
Ⅴ
「途中でからやっぱりあん時、就職しとったらよかったねぇとか思うようやったら、オマエはプータローの才能さえないっちゅうことやからな」
Ⅵ
東京には、街を歩いていると何度も踏みつけてしまうくらいに、自由が落ちている。落ち葉のように、空き缶みたいに、どこにでも転がっている。
さよならも、ありがとうも、違う。なにか感じたことのないような気持ちが言葉にならなかった。
(ばあちゃんが亡くなった時)
何かを手にした人にこそ、退屈と怯えは肩を並べてくるものだ。
自分の身内が死ぬ、母親が病気になる。それは誰にでも起きる当たり前でありきたりなことなのだけど、実際にその現実が自分の眼前に現れるまではリアリティを感じてはいなかった。
Ⅶ
「話を聞いてね、させてもらえるかどうかはわからんけど、まだ身体も動くうちはなんか人の役に立たんといけんがねぇ……」(オカン)
「これ(ボクの卒業証書)に貯金もなんも、全部使うてしもうた。これがあたしの全財産よ」(オカン)
「喋れんようになって、人に迷惑かけてまで、生きとうない。手術はせんよ……」(オカン)
「そんな、自分で死んでしまうようなことするんやったら、あたしは帰らん……」(オカン)
Ⅷ
ボクはどうしても納得できなかった。そこにある”どうせ死ぬなら”という考え方に頷く気にはなれなかった。
「もし、治らんようなガンやったとしても、それはちゃんと言うてくれなさいよ。死ぬにしても、その前にせんといけんことがある」
Ⅸ
人が母親から生まれる限り、この悲しみから逃れることはできない。
母親というものは、実に本当に無欲なものです。
だから母親を泣かすのは、この世で一番いけないことなのです。(オカンの日記)
最後まで読んで頂きありがとうございました。