「砂の女(安部公房)」の名言まとめました

「砂の女(安部公房)」の名言をまとめていきます。
本作での説明や解釈は無意味・蛇足と感じましたので、書かない方針にしています。

砂の女

罰がなければ、逃げるたのしみもない。

「砂は、どこからだって、降ってくるんだから」
「砂は休んじゃくれません」

「計算してみたら、やはりこのやり方のほうが、ずっと安上がりらしいんですね……」

砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。

罰とは、とりもなおさず、罪のつぐないを認めてやることにほかならないのだから。

冬眠中の蛙に冬が存在しないように、
出来れば、自分の静止が、世界の動きも止めてしまったのだと思い込みたかった。

「でも……もう、お分りなんでしょう?」

それは、歩かないですむ自由にしがみついている、ネガ・フィルムの中の、裏返しになった自画像だ。

暴行という、醜聞の種をまいておき、次は、恐喝の鎖が、彼の手足をつなぎとめて……

欠けて困るものなど、何一つありはしない。

30分と、1年が、五分と五分との確率に、賭けたりするのはもうまっぴらである。

めくるめく、太陽にみたされた夏などというものは、いずれ小説か映画のなかだけの出来事にきまっている。
他人の太陽にたいする、いじらしいほどのあせりと妬み……

情熱を失ったというよりは、
むしろ情熱を理想化しすぎたあげくに、凍りつかせてしまったと言ったほうがいいかもしれない。

ただ疲れ果てていた。これ以上の緊張には耐えられなかった。

逃げられなかったから、逃げなかった……おそらく、それだけのことなのだ。

負けたと思ったときから、敗北がはじまるのだ。

「どっちみち、結末が一つだというなら」
「試せるだけのことは、ためさせてもらうとしようじゃないか!」

女の無邪気さが、男を女の敵に変えるのだ。

「とんでもない! 消去法で禁止事項を消していった、残り滓さ」
「それほど信じられないのなら、始めから信じなきゃいいんだよ」

連中は、ちゃんと、計算ずみなのだ。

たしかに労働には、行先の当てなしでも、
なお逃げ去っていく時間を耐えさせる、人間のよりどころのようなものがあるようだ。

下に気をとられたときが、そのまま破滅のときなのだ。

恐ろしいほど完全な反復……
それが心臓の鼓動のように、生存には欠かすことのできない反復であるとしても、
心臓の鼓動だけが、生存のすべてではないこともまた事実なのだ。

美しい風景が、人間に寛容である必要など、どこにもありはしないのだ。

夢も、絶望も、恥も、外聞も、その砂に埋もれて、消えてしまった。

「納得がいかなかったんだ」
「まあいずれ、人生なんて、納得ずくで行くものじゃないだろうが」

一週間も辛抱していると、さほど読みたいと思わなくなった。
一か月後には、そんなものがあったことさえ、忘れがちだった。

「かまいやしないんじゃないですか、そんな、他人のことなんか、どうだって!」

やっと溺死をまのがれた遭難者でもないかぎり、
息ができるというだけで笑いたくなる心理など、とうてい理解できるはずがない。

べつに、あわてて逃げだしたりする必要はないのだ。
逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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砂の女 (新潮文庫)

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