「夜のピクニック(恩田陸)」の名言まとめました

「夜のピクニック(恩田陸)」の名言をまとめていきます。

夜のピクニック

現実の世界はどれも隙間なく繋がっている。
その一方で、世界は連続しているようで連続していないのではないかという感じもする。

たとえ建物が無かったとしても、地面に何かは確実にある。(谷でも川でも変わらない)
しかし精神的な世界では、隣りにいてもつながっているとは限らない。

みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。
どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。

夜に歩くことが特別では無く、いつもと違うことが特別である。
そう考えれば特別なことなど、世の中には数限りなくある。

「単純な行事だから、これだけ続いたんじゃないの?」
「単純ったって、準備はめちゃめちゃ大変じゃん。宿泊所借りて、あちこち頭下げてさ」

歩行祭が続いていることに対する、生徒2人の会話。
個人的には続いてるでは無く、止めるキッカケが無いが正しいと考える。
生徒はもちろん、教師もしたくないと思う。特別手当も出ないだろうし……

疲労というものは、時間と正比例しているわけではないらしい。
何度か小さな坂を越えるようにして、階段を上がるように体内に溜まっていくのだ。

もし時間とともに溜まるなら、仕事の疲れは金曜日に一番出るはずだが、それは違う。
ただ溜まってるのは事実であり、精神論で克服しようとするのが一番怖い。

「なんでこんなところでこんなことしてるんだろうね。不条理だ」

歩行祭の途中でふと思ったこと。
何気ない日常でしてることでも、客観的に見ると「なんで」は多い。

大人の社会というのは不思議だ。誰しも口を開けば立派でまともな言葉が飛び出す。

一見、真実っぽいが、実は完全に的外れではないだろか。
普通に生活してる学生が接する大人が、そのような人達であるに過ぎない。

今、ここにあるのは呪いのような意思だけだ。
長い長い列を、その脅迫観念だけが支えている。

1000人を超える学生が列を作って歩いている時の気持ち。
疑問を持ちながらも多くが従っている光景は、ある意味では怖く感じる。

「甲田さんって、最初から許してるんだ」

主人公の甲田貴子が友人から言われたこと。
友人は「寛大」と捉えたが、本人は「諦め」と感じている。これはいいこと?

「雑音はうるさいけど、やっぱ聞いておかなきゃなんない時もあるんだよ」

周りの意見は大切かもしれない。
しかし聞きもしてないのに言ってくる言葉は、真実をついていても役には立たない。

「大部分は疲れてうんざりしてるのに、終わってみると楽しかったことしか覚えていない」

このような人の意見が後に出てくるため、この手の行事は止めることが出来ない。
そう思っていない人の意見は闇に葬られる。

何かが終わる。みんな終わる。
だけど、何かの終わりは、いつだって何かの始まりなのだ。

このように考えられるのは、未来を見る若者だからだろうか?
「何かを始めねばならない」と考えるのは、大人として疲れてるのだろうか?
ここまで書いてきて、今回は否定的なことばかり書いている。
個人的に「歩行祭」のような行事を全否定してるためだろうか?

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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