「人間失格(太宰治)」の名言・台詞をまとめていきます。
人間失格
はしがき
ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。
第一の手記
恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。
自分は、いったい幸福なのでしょうか。
つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。
人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。
何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。
しかし、嗚呼、学校!
自分は、そこでは尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚だ自分を、おびえさせました。
人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている。
人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。
お互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。
つまり、自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。
第二の手記
自分は、これまでの生涯に於いて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。
自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上がりました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ。
非合法。自分には、それが幽かに楽しかったのです。むしろ、居心地がよかったのです。
世の中の人間の「実生活」というものを恐怖としながら、毎夜の不眠の地獄で呻いているよりは、いっそ牢屋のほうが、楽かも知れないとさえ考えていました。
弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。
これが自分の現実なのだ、生きて行けない、とはっきり思い知りました。
第三の手記
考えてみると、堀木は、これまで自分との附合いに於いて何一つ失ってはいなかったのです。
「お金が、ほしいな」「たくさん。……金の切れ目が、縁の切れ目、って、本当の事だよ」
「そう? しかし、君には、わからないんだ。このままでは、僕は、逃げる事になるかも知れない」
飲み残した一杯のアブサン。
自分は、その永遠に償い難いような喪失感を、こっそりそう形容していました。
ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔事なんかを読んでいるのではないでしょうか。
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意思で動く事が出来るようになりました。
蟾蜍(ひきがえる)
それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ。
人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ。
そうは言っても、やはり人間というものが、まだまだ、自分にはおそろしく、店のお客と逢うのにも、お酒をコップで一杯ぐいと飲んでからでなければいけませんでした。
そうして自分たちは、やがて結婚して、それに依って得た歓楽は、必ずしも大きくはありませんでしたが、その後に来た悲哀は、凄惨と言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。
自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。
堀木と自分。
互いに軽蔑しながら附き合い、そうして互いに自らをくだらなくして行く、それがこの世の所謂「交友」というものの姿だとするなら、自分と堀木との間柄も、まさしく「交友」に違いありませんでした。
神に問う。信頼は罪なりや。
果たして、無垢の信頼心は、罪の原泉なりや。
ああ、このひとも、きっと不幸な人なのだ、不幸な人は、ひとの不幸にも敏感なものなのだから。
真に、恥知らずの極でした。
自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。
いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。
神に問う。無抵抗は罪なりや?
人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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