「楽毅(宮城谷昌光)」の名言まとめました

「楽毅(宮城谷昌光)」より名言をまとめていきます。

楽毅

1巻

あいまいさ

なるほど、人も兵法も、じつにあいまいなものだ。

楽毅が歴史や兵法書の孫子を学んだ後、感じたこと。
孫子は歴史上最高の兵法書と言っても過言ではないが、なぜ「あいまい」と言っているのか?
孫子は読んだからといって、兵法はもちろん現代の経営にもすぐにはいかせない。
むしろ弊害の方が大きかもしれない。
「敵(彼?)を知り己を知らば...」で始まる言葉を知れば、相手に勝てるでしょうか?
では役に立たないかと言えばそうではない。
楽毅が言っているように「あいまい」こそが大切になる。

理論と勝利

(孫子は)必勝の法をさずけてくれているのだが、楽毅はむしろ、その法にこだわると負けるのではないか、とおもった。
兵法とは戦いの原則にすぎない。
が、実戦はその原則の下にあるわけではなく、上において展開される。
つまり、かってあった戦いはこれからの戦いと同一のものはなく、兵を率いる者は、戦場において勝利を創造しなければならない。

楽毅における孫子の捉え方。
「必勝の法が書かれているが、こだわれば負ける」とはどういうことでしょうか?
例えば、野球やテニスなどの素振りのようなものではと考えている。
素振りの大切さは言うまでもありません。
しかし実戦において素振りと同じスイングは存在しない。もしその通り行えばミスをする。
しかし何千何万と繰り返す素振りにより、基本ができていれば体制が崩れても対応できる可能性が高まる。
知識は得ても、知識に流されない考え方が大切。

独り

独りで生きることはさびしい。自分のさびしさを視、自分のさびしさを聴いたにすぎぬ。
だがな、丹冬、そのさびしさのむこうに、人の真影がある、ということもわかったよ。

楽毅が留学先である斉の国で、独り住んでいた時の思いを語ったこと。
独りがいいわけではないが、一度は経験しておくべき。
結婚する場合でも、一度は親元を離れて生活することに意味がある。

無理

人が争う場合、欲望を先行させ、怨みをはじめに与えた者が、かならず敗れております。
戦いに必勝の法があるとすれば、まず相手にたたかせる。
しかるのちに起つ。過去の大勝の例は、すべてそれです。
趙がいま中山に奇襲をかけているのなら、最後には趙が大敗しましょう。

この言葉を聞いて日本人なら真っ先に思い浮かべることがある。「真珠湾攻撃」です。
当時アメリカは日本に圧力をかけていたが、戦争をするだけの大義名分がなかった。
それなのに当時の日本軍は大陸では戦線を広げ、アメリカに対しては先制攻撃を仕掛けた。
この言葉を知っていればありえない作戦になる。
外交を基本とし、不条理に対してのみ戦闘を行い撤収するのが理想だろう。
戦闘は政治の一部いう基本が分からず、力に頼ってしまった。
歴史上よくある話ですが、残念と感じずにはいられない。

周辺国

薛公の兵が、わずか数千であると趙王は嗤うでしょう。
ところがすぐに青ざめるはずです。
薛公がうごけば、天下の軍がうごく。薛公という人は、そういう人です。

薛公とは戦国の四君で有名な孟嘗君・田文のこと。
薛公自体は王ではなくあくまで家臣のため、実際の兵は多くない。
それでも楽毅が薛公を頼るべきと考えている。
力ある人に協力する人は多いが、力が弱い人に協力する人は少ない。
そのような人を多数持っている薛公こそ、頼るべきという思想は弱者にとって必要なこと。

楽毅の思い

名誉にも不名誉にも逃げない、性情のままの自分でありたい。

多くの人が名誉に強く、不名誉に弱い。
また追求することに強く、追求されることに弱い。
この不名誉にも逃げないとい考えが人としてはもちろん、上に立つ者の最低限の資質だろう。

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求めるべきもの

いまの君主は、人を求めず、利を求め、地を求めている。
武力で奪いとったものを、武力で守ろうとしている。
だが、一城の守将の心をつかめば、やすやすとその城は手にはいり、一国の君主の心をとれば、おのずとその国はころがりこんでくる。
人心を得るほうが利は大きいのである。

楽毅は利益や力のみを優先する考え方を嫌悪している。
もし現状上手くいっていない組織がある場合、改善する方法は「物」でも「金」でも無く、人による改善以外にありえない。

柔らかい思考

ここまでの思考がいかにもやわらかみに欠ける。
すすむべき道に大木があれば伐り倒し、川があれば塞き止めるようなものである。
大木は避け、川は渡ればよい。

楽毅にしては珍しく強引な解決を考えた後、自分を省みた時に考えたこと。
人は苦しくなった時に解決の光が見えると、逆に他のことが見えなくなる。
そして自分の正しさを考えるのではなく、「自分がすることが正しい」と思い込む。
非常に柔軟性を失った思考と言える。
このように考えた自分に対して、楽毅はからりと笑っている。

危険

いのちにかかわるときは、おのれのままに動いたほうがよい。

危険に陥り急な対応を迫られた場合の、楽毅の考え方。
すぐ動く必要がある時、必要以上に考えると悩みが発生し行動を制限する。
それなら感じるままに行動することが好ましいと語っている。
もちろんそれには経験に裏打ちされたものが必要である。

平穏時

成功する者は、平穏なときに、危機を予想してそなえはじめるものである。

何度も言われていることだが、あえてピックアップしました。
知っているけど出来ないという現実を、改めて見なおせれば。

驕り

一言でいえば、大国の驕りですな。驕る者は人が小さくみえるようになる。
同時に、足もとがみえなくなったことに気づかない。

人は上に立つと、自分が偉くなったような錯覚に陥いる。
ただ上の立場になったに過ぎないという現実を、理解することは困難。
また上に立つと情報が入りにくくなる。
積極的に集めないと入らないと言ったほうが、正しいかもしれない。
ここでは「足もとが見えなくなる」では無く「気づかない」という点に注目したいですね。

軽蔑

軽蔑のなかには発見はないという認識が欠如していたことである。

趙と敵対する前の楽毅は無名の存在であり、また能力を認められていない。
しかし歴史に名を残すのは事実であり、急に能力が変わったわけでもない。
ひとえに中山国という小国に生まれたため、人の評価を受ける以前の存在であり、軽視される存在だっただけである。
人を下に見るという行為が、いかに自身の眼を曇らせるか。

滅亡

国家も人も、滅ぶときは内から滅ぶ。

言葉の通りです。よほどの力の差がない限り、外圧だけで滅ぶことは珍しい。
内にて驕りや対立が発生し、その結果滅びゆく。分かりきったことを人も国も繰り返す。

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2巻

ゆるすこと

自分が勝って相手をゆるすということはあっても、自分が負けてゆるされるということはない。
それが現実なのである。

武霊王に殺されかけた時、楽毅が感じたこと。
許さない武霊王に対しての怒りであり、しかしそれも現実と捉えている。
だからこそ自分は「許す」ことができる人物になるという、楽毅の誓いにも感じる。

策におぼれること

おのれの謀計が非凡であればあるほど、それに酔って、敵がその謀計を察知して裏をかこうとしていることを忘れてしまう。

武霊王の策に気づいた時に楽毅が考えたこと。
よく言わる「策士、策に溺れる」や「生兵法は怪我のもと」と同じイメージ。
策は必要ですが、一度すすめた策は途中で変更することが困難であり、相手に知られた場合、普通に争うより状況が悪くなる。
正攻法をバカにする人もいるが、正攻法とは今までの経験から最も勝ちやすい方法。
その結果、正攻法と呼ばれている。

虚飾

国難は人の虚飾を剥ぐ。

危機に陥っている中山での人の動きに対して、楽毅が語ったこと。
人はピンチになると本性が出る。
慌てふためくのではなく、対応できる人になりたいものです。

真の勝利

世の人は、攻略のあざやかさを賛嘆するが、真の勝利は、戦って取った地を保持するところにある。

戦いによる攻略はその時だけの話だが、地の保持は戦後のことだけではない。
戦う前から準備が必要であり、攻略の仕方も問題にされ、攻略後の統治方法も対象になる。
厳しければ反発され、ゆるくすれば規律が乱れ問題が発生する。
「バランスよく」というのは簡単だが、実際には非常に難しい。

勇気

勇気とは、人より半歩すすみでることです。
人生でも戦場でも、その差が大きいのです。

楽毅が中山の公子に語ったこと。
半歩自体に意味はない。人より少しでも出ることが勇気だと捉えている。
ほとんどの人は半歩後ろが心地よく感じる。
そういう人たちに半歩進ませることが、上に立つ者の勇気と考えている。

孤独

君主とは孤独を生きる人をいう。
孤独に身を置かなければ、群臣と国民とが納得する聴政をおこなえるはずがない。
君主が人でありすぎることは不幸なことである。

楽毅が中山の公子を見て考えたこと。
君主制度の良し悪しは別にして、君主であれば人との接触が確実に少なくなる。
そして欲深い者や、我儘な者に常に対応しなければならない。
それに嫌気がさし、統治を部下に任しておかしくなる例はありすぎて困るぐらい。
逆に全てに優しさをもって対応すると、全体がおかしくなるという不幸もある。
常に公平さをもって厳しく対応しなければいけない。
しかし「人情的に」という感情が、生まれる場面は存在する。
それを厳しく対応するのは、「人でありすぎると」自分にとって不幸というかなしさが残る。

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落城について

この城を守りぬいて、どうなるのか。
と城兵が未来に希望をうしなったとき、城は落ちるのである。

城で敵を迎え撃とうとしている時に楽毅が考えていること。
歴史上、落ちなかった城は無い。
そしてほとんどの落城は「落ちるべきして落ちた」というのがほとんど。
形は大切だが、それ以上に人が大切である。

人並みの困難

何かを信じつづけることはむずかしい。
それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
わしは聖人でも非凡人でもない。人並みの困難を選ぶだけだ。

自分が落とし増強した城を明け渡す時、楽毅が考えたこと。
昨日まで信じて行っていたことが、状況の変化により無意味になることはよくある。
そこで割り切れるか、それとも逆らってしまうかの差になる。
答えを知れば分かることでも、当事者には予測の世界であり自分を変えることは難しい。
しかしそれも普通だと楽毅は割り切っている。

環境の激変

つねに自分の心身を鍛えていない者は、環境の激変にぶつかると、かえって思考が停止するか、暴走するものである。

中山が攻められている時、王に対して楽毅が考えていること。
通常時に普通に行えても、危機に無力になる人がいる。
しかし環境の激変に冷静に対応できる人などはほとんどいないので、その人を必ずしも非難することは出来ない。
なぜなら自分に出来ないことを相手に求めるのは無責任だから。

こころざし

こころざしが高い者は、それだけ困難が多く苦悩が深いということだ。

過去の偉人を思い出している時に楽毅が考えたこと。
国を建てるような人物は大きな苦難の後、成功にたどり着いている。
それは自分より大きな敵と戦うということであり、簡単にいくはずはない。
その苦難を乗り越えたものだけが成功できる。

城という幻

郊昔よ、城こそ幻にすぎぬ。霊寿のような巨大な城でも、いまや陥落しかけている。
中山を生かしつづけるのは、無形という国の形しかない。

城を捨てて戦おうとしている楽毅が、臣下に話したこと。
城は当然守りやすいようになっているが、弱点としては敵の攻撃目標にされること。
現代に置き換えて考えてみると、首都を捨ててゲリラ活動をすること。
反乱軍ではなく正規兵のゲリラ活動ですから、相手からすると厄介な敵となる。
ただしこれには地形的な条件や、それを許す環境が必要のため最後の手段です。

満足

満足した者に行動は不要である。

これは中山王に対して楽毅の批判となる。
文面だけ見ると勘違いしそうだが、意味としては自己満足してしまった人は努力をしなくなり、成長が止まり、やがて滅びてしまうということ。
現状が続く保障はありません。
リストラされたぐらいで露頭に迷うことが無いよう、常に自分を磨く必要があります。

失ったもの

宿命とは、おそらくこういう残酷なものなのだろう。
国を誤らせた者の数十倍の努力をしても、盛時にたどりつけない。
この彼此の差異は何であるのか。

首都を落とされ領土も大幅に縮小した後、楽毅が語ったこと。
一度失ったものを取り戻すのは容易ではない。
逆に捉えれば、守るのは十分の一でよいということになる。
しかし十分の一すら、持っている時には出来ないという愚かな現実がある。

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3巻

言葉の軽重

君主に親しいがゆえにその言が用いられると考えがちであるが、現実はそうともいえぬ。
昵狎が深まると、たがいの言が軽くなる。
たがいに尊敬するとは、ほどのよい距離をとりあうことである。

学校でも会社でも仲の良い人からは、意外と得るものは少ない。
苦手な人の言うことは素直に聞けないが、的を得ているから聞きたくないと思うことが多い。
親子や上司部下または先輩後輩が、「友達みたい」になるのは弊害の方が多い。

人の歩み

まえをみすぎれば足もとがおろそかになる。足もとをみすぎればまえがおろそかになる。
人の歩行はむずかしい。

楽毅が部下に対して考えていること。
もちろんこれは実際の歩行ではなく、人の考えかたについて。
まれに過去の知識が豊富であり、未来に対する予想が的確な人がいる。
しかしそういう人は、今日のことをあまり気にしない傾向がある。
逆に今日のことばかり気にしている人は、過去も未来も分からない。
どちらが正しいとかではない。
二つを兼ね備えている人はほとんどいないため、お互いの協力が必要となる。

君主

君主は自分の喜怒哀楽を民におしつけてはならず、民を喜ばせる存在に徹するべきであり、それも民の喜びを自分の喜びとしなければならない。
それができぬ王は、いかなる大国の王でも、名ばかりの王であり、民の支持をえられない。

楽毅が主君に対して語ったこと。
理想ですが、その理想通りになることはほとんどない。
実際にそのように考えて実行する君主や、上に立つ人はいるでしょう。
しかしこれを行うには大変な努力が必要であり、また孤独に耐える必要もあり、それなのに自分の得ることは少ない。
最悪、民の方が甘えてしまい悪い結果になることすらある。
この「喜ばせる」というのが、単なる「利益を与えれば良い」という訳ではないことを覚えておく必要がある。

なぜ?

「なぜ」という問いが、実生活のなかから生じなければ知恵は身につかない。

普通に生活をしていれば疑問に思うことは多数ある。
分からないから無視するのと、「なぜ?」と考えて解決することには大きな差が生まれる。
また一つの疑問はさらなる疑問を発生させる。
本当に頭のいい人は、自分の知識の無さを知っている人です。

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