「学問のすゝめ(福沢諭吉)」の名言まとめ

「学問のすゝめ(福沢諭吉)」の名言をまとめていきます。

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学問のすゝめ

初編

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。

人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

最初は本作を知らない人も知っているであろう言葉。しかし本当に意味を分かっていたかは微妙だと考えている。
決して平等を訴えてるのではなく、平等ではあっても平等で無くなることを意味している。
だからこその「学問のすゝめ」であることを知って置きたい。

 

されば今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤しむべきは人間普通日用に近き実学なり。

学問をすすめてはいるが、あくまで実学となる。
義務教育期間ならともかく、高校ともなれば実学を中心に教えるべきではと考えている。

 

学問をするには分限を知ること肝要なり。
ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば我儘放蕩に陥ること多し。

人は平等であり自由である。しかし平等も自由も制約の中にあると考えている。
現代のように平等や自由ばかりを主張してる社会を見ていれば、この言葉に大きな意味を感じてしまう。

 

二編

文字を読むことのみを知って物事の道理を弁えざる者は、これを学者と言うべからず。

個人的には「文字は知識」「道理は知恵」と置き換えて考えている。
知識人と言われる人の多くは知識は多く持っているが、知恵を持っているように感じない。
だから言葉は上滑りし、実際に行うと的外れとなる。
ただ口は達者なことが多いため、むしろ害の方が大きいと感じるのは自分だけだろうか?

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三編

貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。

国の強弱は固定されたものでなく、あくまでその時の状態に過ぎない。国民が学問により力をつければ、当然その力関係は逆転する。
現代日本の若者は学問も勉強もしていると考えている。ただシステムが古くなっている。
今のシステムは発展途上国などで結果を出すものではないだろうか?
平等に勉強し底辺を上げていく。この考え方自体は間違っていなかった。
しかし現代の日本においては底上げより突き抜けたトップを作ることが、底辺を救う役目を果たすと考えている。

 

独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諛うものなり。

現代の日本に足りないのは、この独立の気概が足りないことと考えている。
例えば「就職氷河期」の不満ばかり話すが、人材が余っているのだから独立するという選択肢がある。
現在の企業の多くも若者が独立した結果であり、誰かに寄りかかろうとしてるに過ぎない。
昔より遥かに現代の方が独立しやすいが、誰もが独立の気力を失っている。

 

四編

すべての物を維持するには力の平均なかるべからず。

「すべての物を維持するためにはバランスが必要である」と解釈している。
バランスを整えるのは難しい。押しても引いても崩れるものである。
リーダーばかりが望まれてるが、同じくらい調整役の大切さも理解されたいものです。

 

日本にはただ政府ありて未だ国民あらずと言うも可なり。

昔の言葉だが、現代日本にもそのまま当てはまる。
政府が国民を見てるように感じないのは事実。しかし国民が政府を作っていないのもまた事実。
国民の多くは政府を批判・非難または要求する。しかし「俺が政府を良くする」という国民はほとんど見当たらない。
全く「政府ありて国民あらず」である。

 

無芸無能、僥倖に由って官途に就き、慢に給料を貪って奢侈の資となし、戯れに天下の事を談ずる者は我輩の友に非ず。

まさに一刀両断です。しかしそんな人で溢れてますね。

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十編

学問するにはその志を高遠にせざるべからず。飯を炊き風呂の火を焚くも学問なり。天下の事を論ずるもまた学問なり。

現代で学問と言えば、机に座ってペンを持つことを示している。しかしそれは学問の一部に過ぎない。
本当の学問をさせたいなら、勉強を中断させても家の手伝いをさせることが未来につながるのかもしれない。

 

十二編

学問の要は活用に在るのみ。活用なき学問は無学に等し。

学問が学問で終わっては意味が無いことを繰り返し訴えている。
現代では学問(勉強)と社会での活用が全く切り離されている。現代の学問は単なる区別のために利用されてるに過ぎない。
まるで勉強は言葉のように「勉め強いる」のみを学ばされているようだ。

 

十三編

凡そ人間に不徳の箇条多しと雖ども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし。

人は先天的なものも大きいと考えるが、やはり後天的なものが影響は大きい。
誰と交友関係を持ち、誰と交際するかは大きな問題となる。

 

十四編

人の世を渡る有様を見るに、心に思うよりも案外に悪をなし、心に思うよりも案外に愚を働き、心に企つるよりも案外に功を成さざるものなり。

人は思っているより良いことは出来ないが、思っているより悪いことは出来る。
人は思った以上に成功するのは稀だが、思った以上に失敗することは多い。
やはり謙虚に生きることは必要である。

 

十五編

信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し。

後半は疑問だが、前半はまさにその通り。
信じていればお金を払い、信じてしまうと騙される。
占いや流行は正しいとは言えないが信じてしまい、詐欺も最初は信じさせることから始まる。
信じる行為は美しいが、偽詐が多いのもまた事実となる。

 

十六編

独立に二様の別あり、一は有形なり、一は無形なり。

実家を出たり会社を辞めたりするのが独立と言われるが、それは有形に過ぎない。
実家を出ても実家を頼っている人は多い。会社を辞めてもその会社からの注文を主とする人も多い。
それは無形の独立はしていないのではないだろうか?
改めて真の独立をしているかを考えたい。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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学問のすゝめ (岩波文庫)