「夜のピクニック(恩田陸)」甲田貴子の名言まとめました

「夜のピクニック(恩田陸)」甲田貴子の名言をまとめていきます。

夜のピクニック

睡眠というのは、猫のようなものだ。試験の前など呼ばない時にやってきて、目が覚めた時に呆然とする。待っているといつまでも来てくれなくて、いらいらと心を焦がす。

 

思えば、同じクラスになってから、ずっとこの痛みはチクチクと胸を刺し続けてきた。
たとえ一度の傷はささいなものであっても、無数の小さな傷が増えてくるとそれは不快な疼きになる。

 

長時間連続して思考し続ける機会を、意識的に排除するようになっているのだろう。そうでないと、己の生活に疑問を感じてしまうし、いったん疑問を感じたら人は前に進めない。

 

あたしたちの「人生」はまだ先だ。少なくとも大学に入るまでは、あたしたちの「人生」は始まっていない。暗黙のうちに、そういうことになっている。

 

過ぎてしまえば、みんなで騒いで楽しく歩いていたこと、お喋りしていたことしか思い出さないのに、それは全体のほんの一部分で、残りの大部分は、仏頂面で、足の痛みを考えないようにしてひたすら前に進んでいたことをすっかり忘れてしまっているのだ。

だんだんみんな無言になってきていた。むしろ、潮騒に沈黙を埋めてもらうことで、話す手間がはぶけてホッとしているようなところがある。

 

あたしのことを、クールだとかけだるいとか男子が言っているのは知っているし、自分でもそうなんじゃないかと思っていたこともあるけど、本当は単なるトロい無能な奴だとバレるのが怖いだけ。

 

足の裏の抗議に耳を傾けてはいけない。この程度の抗議に耳を貸していたら、この先歩けないと知っているからだ。

 

甘いものを食べる幸せは、こんなところでも同じだ。いや、もっと幸せかも。
しかも、夜更けに歩きながら甘いものを食べるなんて、罪悪感があって後ろめたいだけに、余計わくわくさせられる。

 

当日までは、歩きとおせるだろうかという不安にうじうじしてるんだけど、始まってみればあっというまで、心に残るのは記憶の上澄みだけ。
終わってしまってからようやく、さまざまな場面の断片が少しずつ記憶の定位置に収まっていき、歩行祭全体の印象が定まるのはずっと先のことなのだ。

 

「女の子って、自分がちやほやされるのは、ほんの短い時間だって知ってるもん」
「もう戻れないんだったら、相手も一緒に落としてやりたいって思うんじゃないのかな」

 

今、ここにあるのは呪いのような意思だけだ。長い長い列を、その脅迫観念だけが支えている。

 

あたしはあきらめている。逃げている。他人から否定されたり、受け入れてもらえなかったりするのが怖くて、最初からあきらめているのだ。
あたしは誰も許してなんかいないし、許すつもりもない。

 

好きという気持ちには、どうやって区切りをつければいいのだろう。どんな状態になれば成功したと言えるのか。どうすれば満足できるのか。

 

なぜ振り返った時には一瞬なのだろう。あの歳月が、本当に同じ一分一秒毎に、全て連続していたなんて、どうして信じられるのだろうか。

 

「そんなあ、高校時代に本物の恋ができる人のほうが、よっぽど少数派だよ」

 

いったい、どのくらいの女の子が、こういう口に出せない気持ちを抱えたまま卒業していくんだろう。

 

10

「始まる前はもっと劇的なことがあるんじゃないかって思ってるんだけど、ただ歩いているだけだから何もないし、大部分は疲れてうんざりしてるのに、終わってみると楽しかったことしか覚えていない」

 

「歩行祭の終わりと一緒に、ドラマも終わりだよ」

 

何かが終わる。みんな終わる。
だけど、何かの終わりは、いつだって何かの始まりなのだ。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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