「関ケ原(司馬遼太郎)」石田三成の名言・台詞まとめ

「関ケ原(司馬遼太郎)」石田三成の名言・台詞をまとめていきます。

 

上巻

高宮の庵

「家来になって頂くのが御無理ならば、いかがでありましょう、兄としてわがそばに居ってはくださるまいか」
「兄がおいやならば、よき友になってくだされ」
(島左近を召し抱える時)

 

「手というわけではござりませぬが、島左近ほどの者、容易なことではわが家に来てくれませぬ。そこで、上様から頂戴いたしましたわが知行のほぼ半分の一万五千石で召しかかえました」

 

人と人

「左近、子供のようだというが、それはむりというものだ。わしは子供のころからこの性分できている。いやな男に、感情を押しかくして笑顔をみせるような芸はできぬ」

 

「太閤の死とともに、秀頼君を蹴殺して天下を横取りしようと窺っている。そういう魂胆の男に、頭巾をとる必要もなければ、竹杖を落したからといって、礼をいう必要もない」

 

「わしには、無理さ。ひとは生得の短所はついになおせぬものだ。短所を改めんがために大苦しみするよりも、短所に大あぐらをかいて長所をのばすほうが、急務だ」

 

菓子

「わしは、大将である。だから、夜昼はない」

 

狼藉

「わしは、かつて、利害で動いたことはない。つねに、これは正義か不正義かと判断して動いてきた」

 

「左近、これがわしの欠点かもしれないが、こういう弾劾者がおらねば、豊臣の天下はどうなるか。太閤殿下の死とともに、ごっそりと家康に盗まれるだけではないか」

 

秀吉の死

上様。この三成あるかぎり、ゆめゆめ家康めに大権をぬすまれるようなことは致しませぬ。ご安堵召されますように。

 

霜の朝

「初芽、武士としてはずかしいことだが。そなたを、淀殿の御殿でひと目見たときから心を離れぬようになった。わしは自分こそ真の武士とおもっていたのに、どういうことかわからぬ」

 

「わしは人を憎む心もはげしいが、人を信じる心もつよい。左近にいわせれば、このような男は詩人であっても武将ではないという」

 

「それは申すな。申せば、わしは憎しみで悩乱しそうになるだろう。その者の名をきいたところでどうなることでもない」

 

大坂へ

「左近、なげくことはない。わしがいる」

 

問罪使

「合戦じゃな。それは心得ているし、覚悟もしている」

 

暗殺

「左近、そなたはさほどに書物は読まぬ。わしは読む。だから知っている。書物とはおそるべきものだ。これは百世に伝わる。暗殺すれば百世の物笑いになる」

 

「戦場で、堂々と雌雄を決するわ」
「鼓を鳴らし、旗をすすめ、軍略のかぎりをつくしてあの者とたたかい、而して勝つ。されば世間も、後世も、正義がかならず勝つ、ということを知るにちがいない」

 

「刺客を放つ、などは、いわば軍略家としての左近の自殺だな」

 

黒装

「わしは憎まれている」
「そちと左近だけが、わしを好いてくれている。このひろい人の世で、奇妙なことだ」
「すると、石田家の者だけか」

 

変幻

「上様とは、織田信長公いらい天下様のことを申すのだ。太閤ご存生中は上様とは太閤殿下のみ。殿下亡きこんにちでは、大坂城ご本丸にいます幼君秀頼公こそが上様である」

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中巻

襲撃

「仕掛を大きくすればするほど、世道人心のためになるのだ。義はかならず勝ち、不義はかならず亡びる、という見せしめを、おれはこの無道の世に打ち樹てたい」

 

「家康の非を鳴らすには堂々の陣を張り、正々と旗鼓を進め、しかるのちに討たねば当方の正義が立たぬ。闇討などをしては、単にわしの私怨にとれるではないか」

 

敦賀の人

「紀之介ほどの友垣を得たのは、わしの半生の誇りのひとつだ」
(紀之介とは大谷刑部少輔吉継のこと)

 

「いまにして家康を討ち果たさねば、かの者はいよいよ増長し、ついには従二位様の天下を奪い奉る。このこと火をみるより明らかであるのに、天下の諸侯はその一事に目を蔽い耳を塞いでわが身の安全をのみ願っている」

 

「すまぬ。そこまでの談合が、景勝とのあいだで出来あがっている。わしはおぬしに相談すべきであったが、おぬしが止めることを怖れた」

 

戦書

「奸賊家康を討つ。討って、豊臣家の御安泰をはかる。この一戦、成否は天にあり。予の一命の安否もいまは問題ではない。そのほうども、一命を予にあずけよ」

 

旗頭

「愚であることをみずからさとった」

 

伏見攻め

「わしは、一種の牢人にすぎない」

 

下巻

美濃の城々

「このたびの合戦、悪逆人を退治して悪逆人が俸禄をことごとく秀頼公へ献上し奉る戦さなれば、悪日のなんのとは申しておれませぬ。そもそも故太閤が惟任日向守(明智光秀)を退治なさるべく播州姫路城を御発ちあそばした日は悪日でござった」

 

一咄斎

「ちかぢか、奸賊討滅の合戦をつかまつる。そのとき拙者、もし武運つたなく討死したらば、これほどの名器も戦場の瓦礫になりはてるのは必定」

「それでは天下の損失でござる。さればお手前、もしこの三成が討死したということをお聞きあらばこの肩衝茶入で茶を点て、回向をしていただきたい」

「なんの、勝敗は兵家の常だ。もしめでたく拙者が勝てばふたたびこれを買いもどすまでのこと」

 

「また、会える。勝てば、だが」
「初芽、おれはすこし老けた。しかし、これ以上老けることはあるまい」

 

密書

「だとすれば、それほどばかな話はない。日本中の土地の勘定をしてみればわかる」

 

人の和

自分が百万石の身上であれば。
すべては、力だ。19万石余では、なんともならぬ。

 

石田崩れ

「戦いの利は、なるほどうしなった。しかし、おれは負けぬ、というのだ」

 

烏頭坂

「おれは、生きてもう一度やらねばならぬ。おれを生かすためには、離れよ」

 

古橋村

おれが死ねば、家康は生きる。

 

世には、ふしぎな人間もいる。義というものは、あの社会にはない。

 

「そのほうの義を、義で返したい」
「自分は関ヶ原の一挙を、義によっておこした。それを利によっておこしたかのごとく誤られるのがつらい」

 

六条

「秀頼様のゆくすえの御為に後日の禍となる者を取りのぞいて故太閤殿下の御高恩にむくい奉ろうとしたが、しかし天運自分にめぐらずこの敗亡をみた。すべては運である。いまさら悔む気はない」

 

「英雄たるものは最後の瞬間まで生を思い、機会を待つものである」

 

「この心事はこの大事をおこした者のみが知る。古に頼朝あり、いまに三成がある。汝らのような葉武者の知るところではない」

 

「泉下で太閤殿下に謁する。それのみが楽しみである」

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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