「得手に帆あげて(本田宗一郎)」の名言まとめ

「得手に帆あげて(本田宗一郎)」の名言をまとめていきます。

 

得手に帆あげて

第一章 栄光に突っ走れ

古い日本人はとかく自力で探すということを避けて、教えてもらうという他力に縋ってきた。でなければこっそり無断で人マネをしてきた。いわゆるパイオニア精神に欠けていたのである。

 

需要というものは、はじめからあるものではなく、需要はメーカーのアイデアと生産手段でつくりだすものだと考えている。

 

理論そのものは非常に冷たい。そういうものの集積に、人間の血を重ねたものが、製品ということになる。

 

合理化の基本は、人間のアイデアを中心としたものでなければならない。アイデアによる合理化こそ、真の合理化である。

 

工場で働く人間を大事にしないような企業は長持ちしない。私は自分が大事にされたいから、みんなを大事にする。そのために必要なら金は惜しまない。

 

経営の合理化を考える上で、不可欠なものは時間の観念である。

 

時間を守らずして道徳はありえない。つまり道徳の本質は人間を信頼することであり、信頼とは約束ごとに忠実であるということである。

 

合理化が一番遅れているのは人間の頭脳ともいえそうである。

 

大衆の知恵というものは、決して創意など持っていないのである。大衆は作家ではなく批評家なのである。

 

人間ギリギリのドタン場に追い込まれたとき、やはり「頼れるのは自分だけ」だと思う。

 

人間、誰でも大差はない。自分の力量を試しもせず鍛えもせずに、何故放棄するのか。

 

現代という時代は、どんなに新しい技術にも適応でき、さらにはもっと新しい技術を創造していける人材を求めているのだ。

 

本当に輸入を防止し、逆に輸出を強化するためには道は一つしかない。それはわが国の技術を上げることである。

 

売る人に喜ばれないような製品を作るものは、メーカーとして失格者である。

 

人生にユメを持つということ自体に、私はことさら意義を感じない。
ユメは、持つことよりそのユメを実現させることに意義があると思う。

 

第二章 「若さ」この偉大なるもの

とかく素晴らしいものは、他人からねたみを買い、美しいものは汚され、伸びる力には抵抗が加わるものだ。しかし「若い芽」は、それでも生え、成長しなければならない。

 

なまじっかつまらぬ経験を持っていないために、それにこだわって判断を誤る例は、反省すると意外に多い。
若い人は、この点で実に羨ましい。過去を持たないから、いつも前向きの姿勢でいる。

 

前世紀の考えから一歩も出られないオトナから「いい子」だなんていわれているようじゃ、そのオトナ以上には伸びやしない。

 

他人の顔色ばかりうかがって、自分の中に萎縮して生きるような人間は、どんどん日進月歩する現代には通用しない。第一ついていけない。

 

他人に引きずられて、行動に突っ走るというくらい無責任な、恥ずべきことはない。

 

バカいうな。反対の気持は同じだ。だがいったん決定が出て、そうときまったら従うのが道理じゃないか。私の考えはあくまで反対でも、決定は決定だ。それは守らなけりゃならん。

 

批判というのは非常にむずかしい。相手のいい分をよく聞いて、よく判断することが批判である。

 

大きく飛躍するには、やはりしっかりした基礎がなければだめだ。

 

人の紹介などで受験するのにロクなのはいない。
大体、能力のあるものは一人で大手を振ってくるもんだ。

 

社長というのは、単なる会社という機構の中の一職名にすぎない。

 

皆が働きにくるのは、その報酬によって自分の生活を楽しみたいためで、会社のために働く人間は恐らくいないと思う。
めしが食いたい、自由に遊びたい、自由になりたいために会社に働きにくるから、真剣に働いて貰えるのだ。

 

貧しいということが、どの位残酷なものか私は知っている。しかし、それによって自分の人生を投げ出すほど、深刻なことだとは思わない。

 

正しく前進しようという心構えがある人だったら、世間が必ず認めてくれるものだ。逆にひがんだら、完全に見放されるのがオチだろう。

 

日記は消すことも訂正もできる。だが、人間の言動には、それができない。

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第三章 充実した人生をモノにしろ

「自己の確立」というのを換言すれば、「他人の背にオブサルな」ということだと思う。

 

個性の入らない技術は、価値の乏しいものである。

 

人間の個性も、それをうまく活用していける有能なコンダクターを得て、初めて最高の価値を発揮することができるのである。

 

私は不得手なことはやらず、得手なことしかやらないことにしている。
人生は「得手に帆あげて」生きるのが最上だと信じているからである。

 

能率とは、プライベートな生活をエンジョイするために、時間を酷使することである。

 

失敗ということは、その一歩の踏み込みだと思う。前進への足跡だと思う。

 

私にいわせれば、どだい失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。人間の誇りを捨てた奴隷の生き方なのである。

 

若い時代の失敗は、将来の収穫を約束する種であると思う。

 

研究はほとんどが失敗の連続である。新しい技術や理論を求める仕事というものは、99%が失敗である。
だからといって絶望したり、断念したらすべてが無駄になる。今度こそはという意欲と、工夫と努力を持続して、初めて鯛を釣る喜びが味わえるのだと、私は信じているのである。

 

資本がないから事業が思わしくないとの声をよく聞くが、これは資本がないからではなく、アイデアがないからである。

 

第四章 現代の不思議

ユーモアとジョークは、世界中のどこの国にも通じるものだ。日本人は、この「笑い」をもっと大切に考えないといけない。

 

第五章 わがイデオロギーの断片

進歩とは反省のきびしさに正比例する。

 

人の心を知ることはモノを造る根元である。

 

欠陥の多い人間は、特徴も多い人間だ。

 

人間にとっては行動がすべてであり、メーカーにとっては製品がすべてである。

 

信用とは、人に好かれること、約束を守ること、儲けさせることにつきる。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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