「国盗り物語」より斎藤道三の名言まとめました

「国盗り物語(司馬遼太郎)」より、斎藤道三の名言をまとめていきます。
(作中ではいろいろと名前を変えていくが、ここでは「斉藤道三」で統一する)

1巻

願い

「国主になりたいものだ」
「草の種ならば、種によって菊にもなれば、雑草にもなる。が、人間はひとつの種だ」
「望んで望めぬことはあるまい」

かつて妙覚寺本山にいた道三だが、今は京で乞食に落ちぶれていた。
しかし国主になるという野望は失っていなかった。

順番

(が、いっぺんには天下はとれぬ。千里の道も一歩からだという)
(まずは奈良屋の巨富をねらうことだ)

油屋の奈良屋との接点を持つことに成功する道三。
最終的な狙いは国盗りだが、まずは富を得ることを優先する。
大きな仕事を任せてもらえないと嘆く人は、自分のこれまでを振り返るのもよい。

悪人

(真実の悪人とは、九天に在す諸仏諸菩薩のごとく荘厳きわまりないものだ)
(おれもそういう悪人になりたい)

大欲のある道三は最終的には悪人となる。
しかし真実の悪人になるため、完全な善人になろうとしていた。

「わしについてくれば戦さは勝つ。砦には財宝がある」
「わしは一物も奪らぬゆえ、すべて汝らのものぞ」

奈良屋の荷駄を運ぶ指揮を取る道三だが、途中で襲撃の情報を得る。
しかし荷駄を餌にしておびき寄せ、人が少なくなった砦を襲うことを決める。
腰が引ける仲間に対して、道三は利益をぶらさげて激を飛ばす。

吉運

(しかしおれには、天禀の武略がある)
(もし失策れば坊主にもどる。もし奪れればおれの一生は吉運といっていい)

武略に自信を持っているが、合戦の経験は無い道三。
そのためダメだった時の覚悟と、成功した時に開かれる未来を描く。

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無名

「あっははは、不審なのも当然じゃ。いまは無名である」
「しかし後に、天下におれがあるということを、どこぞで聞くであろう」

砦に入った道三は中にいる女性に名乗るが、相手は名前を知らず戸惑いを見せる。
しかし道三は当然として、これから知ることを予言する。

歩卒の技

「これでも一国一天下を望む者だ。歩卒の技など学ばぬわ」

奈良屋に兵法者が来たため、今後のために見ることを決める道三。
流れから真剣勝負をすることになるが、相手は何流かを問いかける。
道三は「下賤」と一喝し、歩卒の技など学ばぬことを語っていく。

北条早雲

「いま東の都といわれる小田原の都城をきずき、関東一円の覇王となった北条早雲じゃよ」
「この男がやったことを、この庄九郎が出来ぬと思うか」

庄九郎とは道三の当時の名前。
奈良屋の女主人・お万阿に、早雲の名前を出す道三。
自分も同じことを目指していると話していく。

商人の見習い

「いや、商人の見習いは振り売りからじゃ。これがわからねば、大商いもできぬ」

立場的にする必要は無かったが、自主的に油の売り子をする道三。
お万阿には止められるが、これからのために必要なことと話していく。

美濃

(美濃を制する者は、天下を制することになる)

これからの遠大な計画の一歩として、美濃をターゲットにする道三。
最終的にも美濃のみだが、さらに大きなものを狙っていたのがよく分かる。

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明日

(あす、何が来るか、ということは理詰めで考えぬけばわかることだ)

道三の基本的な考え方。
世の中に流されるのではなく、自分で流れを作ろうとしているのがよく分かる。

思いあがり

「人間、思いあがらずになにができましょうか」

道三は土岐頼芸に日蓮宗の話をした後、思いあがった教えと言われる。
しかし道三は思いあがりの大切さを語っていく。
「思いあがり」では悪い印象だが、「自信を持つ」と言い換えることも出来る。

一つずつ

(可能かどうかを考えるよりも、一つずつやりとげてゆくことだ)

頼芸の妾・深芳野を手に入れたいと考える道三。
普通に考えれば無理なことだが、出来るかどうかではなく実行することに意味を見つける。
多くの人は悩むだけで方法を考えもせず、また実行する人はさらに少ない。

大志

「殿、大志を抱かれませ」
「この西村勘九郎がこのひと月のうちにみごと殿のために美濃の国主の座を奪ってさしあげまする」

西村勘九郎とは道三の当時の名前。
酒の席で座興を提案する頼芸を上手く誘導して、自分の望みを伝える道三。
さらについでのように大事を語り、戸惑う頼芸の反応を確かめる。

戦の勘定

「殿の御勘定は、算盤の勘定でございます」
「このような戦さの勘定は、一万人に三千人、というような単純なものではありません」

国主である兄・政頼の打倒を決める頼芸だが、兵力に差があるため不安を見せる。
しかし道三は机上の数字に過ぎないと断定し、実際との違いを語りだす。

2巻

仕事

(世に、仕事ほどおもしろいものはない)

山崎屋の主人であり、美濃の国盗りにと忙しく働く道三の仕事に対する捉え方。
確かに、自分で動かす仕事ほど面白いものはない。
逆に、人に動かされる仕事ほど面白くないものもない。

「茶とは、便利なものが流行ったものでござりまするな」
「ここに一碗の茶を置くだけで浮世の身分のちがい」
「無用の縟礼をとりのぞくことができるとは」

主君・頼芸のために内親王・香子の気を引こうとする道三。
しかし立場的に壁があるため、茶の席を使って距離を縮めようとする。
設定を作ることは、いつの時代でも有効である。

「血は毒のようなものでござる」
「貧家の兄弟というものは分けあうべき財産がござらぬため力を協せてはたらき」
「家名を興すもとになります。毒も、この場合は薬、というべきものでありましょう」
「しかしながら権門勢家の兄弟ほど油断のならぬものはござりませぬ」

主君・頼芸の政敵になる人物を排除しようと考える道三。
頼芸に対して、兄弟だからこその危険を訴える。
この提言の悪辣さは、一面の真実が含まれてる点にある。

神仏

「神仏がこの庄九郎に罰をあたえるというのか」
「わしは神仏など、わしの家来だと思っている」

道三の神仏に対する考え方。
目に見えない恐れを持っていないからこそ、人を見た合理的な考えが出来るのかもしれない。

用兵の真髄

(波こそ、用兵の真髄である。怒濤のごとく打ち寄せ、寄せては退く)

波を図案化した「二頭波頭」の兜をかぶる道三。
波の動きこそ、用兵の真髄と考える。
「孫子」の中にも水を例えにした表現があるので、道三も知っていたのかもしれない。

集団の力

(すこし、やりすぎた)
(馬鹿も集団になると力だ。それをわすれていた)

ある行動を起こした道三だが、予想以上の反応にピンチに陥る。
無能と馬鹿にする相手でも、集団になりまとまった時の力を感じる。
現代においても、世の中の批判の爆発力は凄まじい。
しかし冷めやすくもあるので、一時を乗り切れば切り崩すことは難しくない。

英雄と凡人

「人の一生にはな、二度か三度、こういうことがある」
「そのときにな、どうするかが、英雄と凡人のわかれめだぞ」

ピンチに対しても冷静に判断し、逃げることを選択する道三。
しかし諦めるのではなく、雌伏の時と判断して再起を目指す。
信長・秀吉・家康はもちろん、他の多くの武将も死地を乗り越えて成功している。
ピンチにどう対処するかが、人としての真価となる。

しくじり

「人の世にしくじりというものはないぞよ。すべて因果にすぎぬ」

一時的に全てを失い、山崎屋に戻ってきた道三。
しかしお万阿に対して、これも必然と考えていることを話していく。
同じ出来事でも、悔やんでしまうのと必然と考えるのでは全然違ってくる。

(将になるほどの者は、心得があるとすれば信の一字だけだ)

道三が考える将に必要なこと。
一見、道三には似つかわしくない言葉に感じるかもしれない。
しかし道三は本当のことは言って無くても、約束は守っているので間違いではない。

強い者

「強力の怯者は、非力の勇者に劣る。城を出たときにすでに死者になったるものと思え」
「死勇をふるう者ほど世に強い者はないぞ」

戦い慣れていない少数の兵を連れて、敵の大軍に戦いを挑もうとする道三。
不利だからこそ、死力を振り絞る必要があることを叫ぶ。
いくら戦闘のプロでも、傭兵では国を守れないのは歴史が証明している。

夢と城

「あたりまえだ。夢も見られぬようなやつにろくなやつはない」
「いますぐ実現できずともおいおい築きあげてゆく」

稲葉山に今まで見たことの無いような城を作る計画をする道三。
絵空ごとにみえると話す従者に、夢見ることの大切さを語っていく。

「名将がまもれば土の掻きあげ一重の砦も名城となり」
「愚将がまもれば金城湯池も一日で陥ちる。城とはそんなものだ」
「城が戦うのではなく、人が戦うのだ」

美濃に腕のいい大工がいないため、尾張から呼んでこようとする。
しかし敵国であるため難色を示すが、道三は城に秘密は要らないことを語りだす。
城を「会社」と置き換えれば、現代にも当てはまるだろうか?

少守護と大工

「おぬしは天下の岡部又右衛門ではないか」
「たかが一国の少守護が来たからといって、居ずまいをただす必要はない」
「わしは一代で死ぬ。おぬしの仕事は百世に残る。どちらが上か」

尾張まで大工を誘いに自分で来た道三。
かしこまろうとする相手に対して、必要の無いこと、そちらが上であることを話していく。
この姿勢が評価されるということは、逆にこんな人が少ないという意味でもある。

楽市楽座

「楽市楽座をやらねば、このような田舎城の城下は繁昌せぬ」
「繁昌せねば、運上(商工業税)がとれぬ」
「わしはこの山麓の屋敷と山上の城の普請代は、楽市楽座でかせぎ出すつもりよ」

織田信長で有名な楽市楽座だが、道三の方が先に行っている。
現代でも人は自由を求めながら、なぜか規制の必要性を訴える。
しかしこの規制を求めるほとんどは、利己主義から出ているのは今も昔も変わらない。

米と時代

「これからは、昔のように米だけを作っておればよいという時代でなく、貨殖の時代になる」
「金銀あってこそ、武器武具もふんだんに買え、兵を多数養えることになる」
「その貨殖の利を、社寺などに独占されていては、大をなしませんぞ」

農業だけでなく、商業こそがこれからの時代に必要なことを話す道三。
しかしそれは既得権益との戦いでもある。
米を「モノ」に置き換えれば、現代日本の低迷の理由が分かる?

時代と主人

「時代のみがわしの主人だ。時代がわしに命じている」
「その命ずるところに従って、わしは動く。時代とは、なにか。天と言いかえてもいい」

本格的に主筋に手を下そうと考えている道三。
その点を指摘された時、自分に人としての主人はいないことを話していく。
主筋にとってこの考え方は「悪」となる。
しかし主筋が悪というべき存在なら、下の者にとっては「善」となるのが難しい所だ。

分かれ道

「人の一生も、詩とおなじだ。なかでも、転が大事である」
「この転をうまくやれるかやれないかで」
「人生の勝利者であるか、ないかのわかれみちになる」

道三における人生の考え方。
転とは言い換えればチャンスであり、誰にでも訪れるが、それをつかみ取るのは難しい。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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