「神様のカルテ(夏川草介)」栗原一止(イチまたはドクトル)の名言・台詞をまとめていきます。
神様のカルテ
第一話 満天の星
無茶と思うであろう?
無茶なのである。その無茶をなんとか切り回しているのが、地方病院の現状と言うしかない。
それで良いのかと問う声もあるだろう。むろん良いわけがない。しかし、これもまた地方病院の現状なのである。
世の中というものは、こうやって回っているのだ。
どうやら今宵も眠れぬらしい。
理念は完璧である。しかし内実はそう単純ではない。
(24時間365日対応について)
「あの状態でのさじ加減の難しさはわかっておるだろう。痛みが止まっても、呼吸まで止まったら意味がない」
「私は妻のある身だ。手などつけんでよろしい」
だいたい学問をするのに必要なのは、気概であって学歴ではない。こういう当たり前のことが忘れられて久しい世の中である。
「大阪や東京のような大都会ならいざ知らず、こういう信州の田舎町では医者の数が極端に少ない。医局制度がなければ田舎の少病院などあっというまに崩壊する」
「私は人が多いところが嫌いで、この町が好きだった。その条件に当てはまるのが本庄病院しかなかったというだけだ。前向きな動機などひとつもない」
「今のように多忙な病院で多くの患者を診ていくことが医者の本分と思っている。そういう人間に高度医療とやらがどこまで必要なのか、私の中でも結論は出ていない」
「良い医者」にはなりたい。だが何をもって「良い医者」とするのか。これは我が脳中に蟠踞する至上の難題である。
「余計な心配をするな。それより患者だ」
「ハルは世界で一番可愛い。笑顔の水無さんを百人あつめても、昼寝しているハルの方が百倍は可愛い」
「ますます行きたくなくなってきた。だいたい私は群れるのが苦手な人間だ。そういうところに行くくらいなら、本庄病院でぼろぼろになって働いている方がまだ気楽だ」
人が死ぬとはそういうことである。
私は改めて実感する。悲しむのは苦手だ、と。
第二話 門出の桜
「治療法を考えるのではない。本人にどう話すかを考えるんだ」
「看護師まで徹夜で働くようになったら、そんな職場など、気持ち悪くてやっておられん」
「世人がなにをぼやこうが、我々はひとつ確かなことを知っている。あそこに住まう人々が皆一様に、懸命に生きようとしている人だということだ。無論、我々も含めてな」
「もとよりあそこは、地に根をおろして永住する場所ではない。あくまで仮の宿だ。我々も出て行く時期というものを考えねばならないのかもしれないな」
「かまわぬ。生きている。そこに意義がある」
「だがそれがどうしたというのだ。あなたの学問への探究心とは、肩書きがなければ立ち行かぬほど脆弱なものなのか?」
「笑う者あらば笑うがいい。貴君は常に前進してきたのだ。我々がその証人だ」
第三話 月下の雪
思えば私の仕事も同じようなものかもしれない。
点滴やら抗生剤やらを用いて、絶える命を引き延ばしているなどと考えては傲慢だ。もとより寿命なるものは人知の及ぶところではない。
どう正論を投げつけられても、我々はとにかくひとりでも病者を救うため”少しでもまし”な選択肢を選ぶだけである。
人生の岐路というものは、いつでも急に目の前に現れて人を動揺させる。
「延命治療とは思っておりません。元気な安曇さんが、もうしばらく元気な時間をすごすための治療です」
死にゆく人に、可能な医療行為全てを行う、ということが何を意味するのか、人はもう少し真剣に考えねばならぬ。
これらの行為の結果、心臓が動いている期間が数日のびることはあるのかもしれない。だが、それが本当に”生きる”ということなのか?
命の意味を考えもせず、ただ感情的に「全ての治療を」と叫ぶのはエゴである。そう叫ぶ心に同情の余地はある。しかしエゴなのである。
「……正直言ってわからん。だが、高度医療とやらを学んでいる間にも、そんなものを必要としない患者たちがひとりぼっちで死んでいるのは事実だ」
病むということは、とても孤独なことなのだ。
惑い苦悩した時にこそ、立ち止まらねばならぬ。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。