「モーム名言集」よりピックアップしています。
モーム名言集
大多数の人々は、生まれた環境のためと生活費を稼ぐ必要とから、まっすぐな狭い一本の決まった道のりを歩むしかなく、右にも左にも回るのは不可能であろう。
(人生の)設計図を作ることの欠点は、何であれ自然のままに行動しなくなることだ。
私はこれまでたくさん誤りを犯してきた。
その一方で、自分のこういう誤りのお陰で、他者への寛大さを覚えたのであるから、誤りを後悔してはいない。
私のしてきたのは、ただ多くの作家が目をとざしているような人間の性質のいくつかを、際立たせただけのことである。
他人には多くを期待しないほうが良いのだ。他人が自分を親切に優遇してくれたら感謝し、逆に冷遇されても平然としている、それが良い。
私は苦悩が人を気高くしないことをはっきり知った。
苦悩は人を本来の性質より良くはしない。悪くさせるのだ。
私の場合、人間が好きであった事はあまりないけれど、人間というものは興味が尽きぬと思い、人間相手で退屈することはまずありえないのを、非常に幸せだと感じる。
退屈な人とはあまり長い時間を過ごしたくはないけれど、そうかといって、面白い話をする人ともあまり長い時間を過ごしたくはない。私にとって社交は疲れるものである。
人間は、無慈悲な運命の女神に弄ばれる惨めな人形である。
一般の人が愛しているのは、幻想である。
もし若い頃に、良い趣味の人に読書について指導を受けていたら、どんなに良かっただろうと、心底から思う。
結局自分にはあまり役にも立てなかった本に多くの時間を浪費したことを思うと、ため息が出る。
芸術作品で自分にとって一番大事なのは、自分がどう思うかであると気づくまでには長い時間を要した。
楽しめないという者には、読書は無意味である。
教養は顔を覆う仮面だ。南海の島では、人はむき出しの自己を見せる。
人生には理由などなく、人生には意味などない。これが答えである。
自己実現は多くの無慈悲さと自分への没頭を要するので、他人には不快であるし、それゆえ恥をさらすことにもなる。
愚か者の老年は愚かしいものであろうが、その人は若い頃も愚かだったのだ。
正常というのはめったにない。正常というのは一つの理想に過ぎないのだ。
教養はしばしば自惚れを生じさせる。
学者が他人の誤った引用を訂正するときの、薄笑いを見たことのない者はいないだろうし、コレクターが自分の嫌いな絵を誰かが褒めるときの、苦痛の表情を見ない者はいないだろう。
最後まで読んで頂きありがとうございました。