「マキャベリ兵法(大橋武夫)」より「君主論」「政略論」の名言をまとめていきます。
政略論
政体循環論
善い三政体はそれぞれ悪い三政体によく似ているので変わるのは簡単なのである。
すなわち君主政は容易に僭主政に、貴族政は寡頭政に、
民衆政はすぐに衆愚政に変わってしまう。
前者二政体はともかく、最後の「民衆政から衆愚政」についてはよく理解できるだろう。
さらにこの循環で恐ろしいのは、「衆愚政は君主制」を求めてしまう点にある。
現代でも救世主を求める風潮があることから、納得できるのでは?
支配と自由
君主政の支配に慣れた人民は、たまたま解放されても、自由を維持していくのは困難である。
自由とは権利と共に義務も発生し、また自分で決めないといけない。
日本は君主政ではないが、国や会社による管理を受けれている人が多い。
国が変わらないのも、会社のブラック体質を受け入れるのも、日本人の気質による?
結果と方法
もたらされた結果がりっぱでさえあれば、そのために犯した罪はゆるされる。
これは善悪ではなく、感情の問題と考えたい。
悪意のある方法で政権を得たが、その後は善政を実行した。
善意のある方法で政権を得たが、その後は悪政を実行した。
法律で考えれば前者が悪である。しかし感情は後者を悪とする。
これは政治家の問題だろうか、それとも選ぶ国民の問題だろうか?
中道と失敗
多くの人は中道をとると称し、どっちつかずのことをして失敗する。
中立といえばよく聞こえるが、分かりやすく言えば決めれないだけ。
そして大概の場合、両方から嫌われる。
人物
共和国は優れた人物の出るのを好まない。
支配されるのを怖れるのか、単なる嫉妬なのかは分からない。
しかし日本で考えれば、全くの事実となる。
なぜ民衆は、あれほどまでに人を叩くのだろうか?
民衆
民衆はうわべの立派さに幻惑され、自分の破滅を追求する。
今を良くすれば未来が悪くなり、今を我慢すれば未来が良くなる方法は多い。
そのため政治家は方法を知っていても、未来のための方法はアピールしない。
群集心理
群衆は大胆であるが、各人が自身のことを考え始めると弱くなる。
群衆の中で叫ぶ人は多いが、会議室で自分の発言を出来る人は少ない。
それは能力の問題というより、自分に直接影響が出るためである。
指導者
民衆には指導者を与えよ。
群衆に対して話しかけ、群衆を納得させるのは困難。
しかし群衆をまとめるリーダーに対しては、いくらでも交渉する余地がある。
また群衆の不満をリーダーの不手際に転換できる。
民主的に見えるが、悪辣で効果的な方法。
法律
共和国が自由を維持していくためには、時代に即応して絶えず法律を改めねばならないが、
共和国は、時代の推移に即応して法律を変えることが困難であるという致命的欠陥を持っている。
ごくごく当たり前のこと。
しかし変えるのを受け入れることが困難なのは、いつの時代でも変わらない。
支配者
力づくで国家の支配権を握るには悪知慧の働く人間でなくてはならない。
従って立派な人物は国の支配者にはならないし、
国の支配者になった人間は善いことをしない。
立派な人物は正しい方法で戦おうとするため、権力を握ることが出来ない。
選ぶ側が判断できればいいのだが、残念ながらこのような人物は魅力的に映らない。
旧制度
昔から尊重されてきた法律、制度、習慣を破壊した君主は国を失う。
昔から尊重されてきたことには、ほとんどに利権が存在する。
破壊するということは、権力を持つその人達を敵に回すこと。
残念ながら、そこに良し悪しは存在しない。
国庫と市民
共和国は国庫を豊かにし、市民を貧しくせよ。
間違ってはいけないのが、これは市民から搾取しろという意味では無い。
市民に分をわきまえた生活をしてもらい、いざという時の資金を蓄えること。
国でも企業でも、資金が不足すれば救うことも出来ない。
名将と凡将
名将に指揮された精鋭でない軍隊と、
凡将に指揮された精鋭軍隊のいずれが役に立つかは容易に断定できない。
しかし、名将は戦う前に軍隊を訓練して精鋭にする。
これからは二つの意味が汲み取れる。
一つは、やはり指揮官が大切であること。
もう一つは、精鋭でなければ名将でも勝てないということ。
実行部隊であるあなたは精鋭ですか?
困難と人物
困難な事態にならないと人物は現れない。
戦国時代・幕末明治・戦後に人物が多数現れたのは、困難だったからという見方が出来る。
時代において、遺伝子的な能力が異なるとは思えない。
その視点に立てば、現代に人物が現れないのは困難でないから?
指揮官の人数
指揮官は複数ではいけない。
能力的なことは関係ない。複数いることが問題になる。
優秀と優秀でもまとまらないし、優秀と無能も同じであり、無能と無能なら論外となる。
同格の人物が複数いる会議が、どれほど酷いかは多くの人が知るだろう。
権限と罰
ローマは出征軍の司令官に対し絶大な権限を与えた。
ローマは出征軍司令官を無暗に罰しなかった。
ローマが司令官に与えた権限と罰について。
このためにローマは戦争に強く、広大な地域を支配する。
どこかの国では権力を与えず、罰は大きいような気がするのは自分だけ?
武器と味方
我が国が武器を投げ出せば、今までの味方までが敵にまわることさえある。
武器となると直接的すぎるが、義務と手間と考えれば分かりやすい。
人は助けてくれるから助けようと考える。
助けられることだけを求める人を、誰が助けるのだろうか?
次善と最悪
次善の策の欠点を嫌うあまり最悪の策をとる。
悪いもしくは損が出るため決断できず、最終的には最悪の選択をせざろう得ない時がある。
商売にしろ投資にしろ、撤退のタイミングほど難しいものはない。
開戦と終戦
開戦は実にむずかしい。しかし、それ以上苦心するのは終戦である。
始めるのは決断だが、終わるのは当初の計画や目的による。
目的が達成されなければ終わりにくいし、達成すればより先を目指してしまう。
終われないとすれば、始めない方がましかもしれない。
君主論
侵略と維持
武力があれば侵略はできるが、住民の心を得なくては、これを維持できない。
武力を資本と置き換えれば、現代にも当てはまる。
お金があれば最初は上手くいくかもしれないが、人材がいなければ継続は出来ない。
非戦主義
戦争を避けることばかり考えていれば、ますます不利になる。
戦争とは新たな戦いであり、現代で考えればチャレンジといえる。
失敗を恐れて何もせずに現状維持を続ければ、間違いなくジリ貧となる。
新しい分野を選ぶ必要はないが、少なくともチャレンジは続けていきたい。
支配者との関係
人間は同僚の下につくことを好まない。
先輩や外部の人間が上司になっても、素直に受け入れることは可能。
しかし同期や後輩が上司になれば、多くの人が冷静ではいられない。
人が感じる嫉妬の多くは、同じような環境の人が対象になる。
悪事
悪いことは一度に大きく全部やってしまえ。
民衆の基本は熱しやすく冷めやすい。
さらに時間が経てば、慣れてしまう傾向がある。
現代は小細工が多すぎるのかもしれない。
迫害と恩恵
人間は迫害されると思っていた者から僅かな恩恵をこうむると感激する。
人は後に行ったことに影響される。
善人が一度でも悪事を行えば、「実は悪い人」のレッテルを貼られる。
悪人が一度でも善いことを行えば、「実はいい人」のレッテルを貼られる。
私はこの感覚が嫌いです。
専念
君主は軍事に専念せよ。
現代で考えれば、軍事を本業と置き換えられる。
本業以外の面で経営者が目立っている会社が、どのようになっているかは誰もが知る。
悪徳
君主には悪徳も必要である。
正しいことだけで上手くいけばいいが、世の中そんなに甘くない。
違法は論外だが、悪辣な方法ぐらいは使えなければ、成功はおぼつかない。
気前の良い君主
気前の良い君主は国を滅ぼす。
人は気前の良い人を支持する傾向にある。
個人レベルでは自由だが、国の補助金を気前よく出す政治家など信用できるはずもない。
恐怖
君主は愛されるよりも恐れられよ。
恐怖政治は問題だが、緩すぎる政治はもっと問題。
最近は恐れを知らなすぎるように感じるのは、自分だけだろうか?
狐と成功
狐をよくまねる者ほど成功する。
その人物を好意的に見るかは別として、やはり要領よくしてる人が成功する傾向にある。
人それぞれだが、成功したいのなら知るべきこと。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。