「韓非子」の名言まとめ

「韓非子(金谷治)」より名言をまとめていきます。
実際には長文のため管理人にて部分抜粋、難しい漢字も部分的にカナに変えています。

 

韓非子

初見秦 第一

臣聞く、知らずして言うは不智、知りながら言わざるは不忠と。

私は「知らずに意見するのは馬鹿者だし、知りながら言わないのは不誠実」と聞いている。
もっともだが、知っているからといって言うのが誠実とは限らない。

 

難言 第三

故に度量は正しと雖も、未だ必ずしも聴かれず、
義理は全しと雖も、未だ必ずしも用いられず。

基準に正しくても、必ず受け入れられるとは限らない。
筋道が正しくても、必ず用いられるとは限らない。
相手に聴かれ用いられるには、正しいこととは別の要素も必要になる。

 

至言は耳にさからいて心に倒す。
賢聖に非ざれば能く聴くこと莫し。

素晴らしい言葉は耳に痛く心がそむくもの。
賢者や聖人でなければ、なかなか聞き入れることは出来ない。
本当に自分のためになる意見は、心地よいものが少ないため聞くのは難しい。

 

主道 第五

是の故に智を去りて明有り、賢を去りて功有り、勇を去りて強有り。

指導者は智恵を捨てることで、新しい智恵を得る。
能力を捨てることで、返って功績を得る。
勇気を捨てることで、返って強さを得る。
それぞれが不要ではなく、周りに対して見せないようにすること。
自慢をせず、相手の能力を引き出すことが大切である。

 

是の故に誠に功有れば、すなわち疏賤と雖も必ず賞し、
誠に過有れば、則ち近愛と雖も必ず誅す。

功績があれば身分が低くとも賞し、過失があれば近親・寵愛の者でも必ず罰すること。
当たり前のことだが昔から書かれているように、これこそが難しい。

 

有度 第六

貴賤は相いこえず、愚者は提衡して立つ。
治の至りなり。

賢者は賢者として愚者は愚者として、応じた地位に落ち着いている。
これこそが最良に治まったありさまである。
適材適所だと捉えている。文中の「貴賤」で考えると、少しイメージが変わってしまう。

 

夫れ人主と為りて、身ずから百官を察すれば、則ち日も足らず、力も給らず。
故に己れの能を舎てて、法数に因りて賞罰を審らかにす。先王の守る所の要なり。

自分で百官を察すとすれば、時間も能力も足りない。
自分の能力ではなく法術により賞罰を決める。
それこそが古代の聖王が守ってきた要点である。

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二柄 第七

人主に二つの患い有り。
賢者に任ずれば、則ち臣は将に賢に乗じて以て其の君を劫かさんとす。
妄りに挙ぐれば、則ち事は沮まれて勝えず。

君主には二つの心配事がある。
賢者に任せると、臣下は賢者を利用して君主を脅かす可能性がある。
愚者に任せると、そもそも仕事が滞ってしまう。
自分より優秀な人をどのように使うかで、指導者の力量が問われる。

 

十過 第十

故に曰わく、内は力を量らず、外は諸侯を恃む者は、則ち国削らるるの患いなりと。

自分の実力をよく考えず外の諸侯に頼っている者は、国土を取られる心配がある。
仕事でいえば外部ばかりに頼っていると、仕事そのものが取られる可能性がある。

 

説難 第十二

凡そ説の難きは、吾れこれを知れて以てこれに説くこと有るの難きに非ざるなり。
凡そ説の難きは、説く所の心を知りて、吾が説を以てこれに当つべきに在り。

君主に説くことの難しさは、自分がその内容を理解しているかの難しさでは無い。
説くことの難しさは、相手の心情に合わせて説得することである。
正しいから受け入れるのではない。
相手が受けれてもいいと判断して初めて、相手は受け入れてくれる。
技術系のセールスマンが売れない理由はここにある。

 

姦劫弑臣 第十四

夫れ取舎合いて相い与に逆らう者は、未だ嘗て聞かざるなり。
此れ人臣の信幸を取る所以の道なり。

好悪の感情が一致しているのに、仲違いする人を聞いたことがない。
好悪の感情を合わせることこそ、臣下が君主に信頼・寵愛される方法である。
追従と取れなくないが、心地よく感じるのも事実。
大切な時に正しい意見を言うために、信頼を勝ち取る術は必要となる。

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備内 第十七

人主の患いは人を信ずるに在り。
人を信ずれば則ち人に制せらる。

君主としての災害は、人を信用することから起こる。
人を信用すると、その人物に制約されてしまう。
人を信じて任せることは必要だが、その結果として問題が発生する可能性があるのも事実。
このバランスは非常に難しい。

 

南面 第十八

人主、事に誘わるる者有り、言にふさがるる者有り。
二者、察せざるべからざるなり。

君主は事業において誘惑され、言論について耳を塞がれることがある。
この二つは注意しないといけない。
何か良さげなことを提案され、不利なことは聞かされない。
間違いなくお金を吸い取られるだろう。

 

治を知らざる者は、必ず曰わく、古えを変うること無かれ、常を易うることなかれと。
変うると変えざるとは、聖人は聴かず、治を正むるのみ。

政治を知らない者は必ず、古いこと慣れたことは変えてはいけないと言う。
聖人は変える変えないに耳を貸さず、治めるために正しいことだけを考える。
変えることが正しいとは限らないが、変えないといけないことは多い。
少なくとも「考えない」は論外である。

 

解老 第二十

人は富貴全寿を欲せざる莫し。而るに未だ能く貧賤死夭の禍いより免るること有らざるなり。
故に曰わく、人の迷うや、其の日故より以て久しと。

人は富貴になり健康で長生きを望むもの。
しかし貧賤になり若死にする災難から逃れることは出来ない。
老子も人が迷うのは古くからのことと言っている。
全く、古来より同じであり、現代も変わらない。

 

工人、数々業を変ずれば、則ち其の功を失い、作業数々揺徒すれば、則ち其の功を亡う。

職人がたびたび仕事を変えると成果は上がらない。
耕作者もたびたび移動すると仕事がダメになる。
これは指導者(経営者)から見た判断となり、労働者から見ると別の判断があるだろう。

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安危 第二十五

安危は是非に在りて、強弱に在らず。
存亡は虚実に在りて、衆寡に在らず。

国家の安全と危険は基準が守られているかにあり、兵力の強弱では決まらない。
国家の存立と滅亡は内実が充実してるかにあり、人口の多さでは決まらない。
強いもしくは多いだけでは上手くいかない。
場合によれば、それが弊害となる。

 

用人 第二十七

人主、為し難きを立てて、及ばざるを罪とすれば、則ち私怨生ず。

君主が臣下にとって実行困難なことを命令し、能力不足を罪とすれば、臣下は私怨を持つ。
部下の能力を見て、出来ると判断するならよい。
しかし能力に関係なく「して欲しい」で命令すれば、この通りになるだろう。

 

夫れ人主、隙穴を塞がずして、力を赭堊に労すれば、暴雨疾風に必ず壊れん。

君主が壁穴を塞がず、美しい上塗りだけを行えば、暴風豪雨で必ず壊れてしまう。
穴を根本的な問題と捉えれば、意外と多くの人がこの通りにしてしまう?

 

内儲説上 七術 第三十

智を挟みて問えば、則ち智らざる者も至り、深く一物を智らば、衆隠皆な変ず。

知っていても知らないふりで質問すると、知らないことまでよく分かる。
一つのことを深く知ると、隠されていた多くのことを知ることが出来る。
知識自慢は必ずしも得しないということですね。

 

内儲説下 六微 第三十一

君臣の利は異なり。故に人臣は忠莫く、故に臣の利立ちて主の利は滅ぶ。

君主と臣下の利益は違っている。
そのため臣下に忠義などなく、臣下が利益を得ると君主の利益は無くなってしまう。
経営者と社員で考えると分かりやすい。
世間では社員が搾取されてると言われるが、個人的には狐と狸だと思っている。

外儲説左上 第三十二

夫の相い為めにするを挟まば、則ち責望し、自ら為めにすれば、則ち事行われる。

人のためと思えば、人を責めたり怨んだりする。
自分のためだと思えば、事は順調に行われる。
相手のためと思えば、少しの不満でも「せっかく!」という感情が生まれる。
しかし自分のためと思えば、「こんなもの」という感情で治まる。
いつの時代も「情けは人のためならず」である。

 

六反 第四十六

故に官職なる者は、能士の鼎俎なり。
これに任ずるに事を以てすれば、而ち愚智も分る。

官職は有能な人物にとっての鼎や肉皿である。
実際に任命して仕事をさせれば、愚者か知恵者かは分る。
鼎や肉皿とは、省略している前文で使われている、力を判断する重量物のこと。
確かに仕事をさせれば分るが、させないと分からないのが難しい。

 

八説 第四十七

人主、社稷の利害を察せずして、匹夫の私誉を用うれば、
国の危乱無きを索むるとも、得べからざるなり。

君主が国家の利害を考えないで民衆が誉める方法を用いれば、国の安泰は得られない。
難しい所だが、民衆が誉めるのは自分たちに都合のいいことである。
それが国家を弱めることなら、最終的にどうなるかは歴史が証明している。

 

人に任ずるに事を以てするは、存亡治乱の機なり。
術の以て人に任ずる無ければ、任ずる所として敗れざるは無し。

人に仕事を任せるのは、国の存亡と治乱を決すること。
人に任せる特別な術を持っていないと、誰に任せても失敗してしまう。
人を使うには、自分がするのとは別の能力がいる。
優しいだけの上司が役に立たないのは、多くの人が知っているだろう。

 

難無きの法、害無きの功は、天下に有ること無し。
是を以て有道の主は、清潔の吏を求めずして、必ず知るの術を務むるなり。

難点の無い法や弊害の無い功績は、この世に無し。
そのため道を知る君主は、清廉潔白な役人は探さず、悪事をすれば分るようにしている。
身も蓋も無い感じだが、残念ながら反論できない。

 

今、学者の言は、本作を務めずして末事を好み、虚恵を道いて民を説ばす、
此れ飯を勧むるの説なり。
飯を勧むるの説は、明主は受けざるなし。

今の学者は元になる農業をしないで末梢を好み、実のない恩恵を口にして民を喜ばしている。
これは自分で食料を準備できないのに、(貧しい人に)飯を与えるべきと勧める言論である。
このような言論は、賢明な君主は受け入れない。
学者を現代の評論家とすれば、多くの人が納得する?

 

故に士を挙げて賢智を求め、政を為して民に適せんと期するは、皆な乱の端にして、
未だ与に治を為すべからざるなり。

賢者や知恵者を求めたり、民が願う政治を目指すのは、国が乱れる発端となる。
これではとても一緒に政治を行なうことは出来ない。
随分、挑戦的な言葉ですね。
現代の政治家がこれを言えば、一瞬で大変なことになるでしょう。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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