「考える力 トレーニング 頭の中の整理法からアイデアの作り方(白取春彦)」の名言をまとめていきます。
「考える力」トレーニング
はじめに
自分で考えなければ、いずれ自分を見失うだろう。
そういう人は意外とたくさんいるものだ。
第1章
(発想法で共通しているのは)連想、思いつきを基礎にしていること、
言葉を使って考えていることだ。
組み合わせという手法で考えるときには、紙に書きながらでなければうまくいきにくい。
「考える」ということは、自分の生き方や今の生活状態と密接に関連してくる。
直観や洞察を文字にしなければ、形にならない。
言葉にして初めて形になり、自分以外にも他人にも理解されるようになる。
多くの人は、単純な因果関係を求めている。
このため、むしろ本当の原因が不明になってしまう。
原因は、単なる憶測や想像だけでつきとめることはできない。
数値データを収集したり、実験なども必要になる。
第2章
日本人に特徴的な「なあなあ主義」を排することから、
わたしたちの実地的論理性は養われていく。
詐欺師にとってだましやすい相手は、理屈っぽい人だという。
理屈っぽい人は、理屈を納得すれば、あとは疑わない。
推論や予測を行うときには、人間が足をとられやすい落とし穴がある。
そのもっともおおきなものは、
自分や組織にとって都合のよい方向へ推論や予測が傾きやすいということだ。
論理は、すべての事柄に対していつも有効とはかぎらない。
論理は、抽象的な事柄に対してもっとも有効であり、
次には、言語で的確に説明できる事柄に対して有効性である。
一方、心身的な事柄に対してはほとんど有効ではないのだ。
現実を無視すれば、理論家になれる。
けれども、理論家が述べる理論は、フィクションなのだ。
理論的正しさだけにしか支えられていない考え方は、
現実によっていともあっさりと破壊される脆さをもっている。
第3章
”正しく”考えることのできる方法はとうてい存在しえない。
というのも、”正しさ”というかぎり、
そこに誰もが認める絶対的基準がなければならないからだ。
そのような基準は、この地球上のどこにも存在しない。
多くの言葉を知っているということは、言葉の組み合わせ方が飛躍的に多くなる。
日常では偏見が大手を振って歩いている。
そこで、「自由に考える」ためには、まず偏見の排除が必要になる。
言葉は、対応する事実と置き換えていいほどに、事実を直接反映する便利な道具ではない。
言葉は現実を観念に変え、抽象化するだけである。
「考える」とは、一つの新しい方向性や解釈を生むためになされる行為なのだから、
考えようとする人は、常識という”なまぬるい固定観念”から自由になる必要がある。
第4章
考えることをやめた瞬間、本当の意味での”自分の人生”を手ばなすことになる。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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