「1973年のピンボール」 の名言まとめました

「1973年のピンボール(村上春樹)」より名言をまとめていきます。

違和感

違和感...。そういった違和感を僕はしばしば感じる。
断片が混じりあってしまった二種類のパズルを同時に組み立てているような気分だ。
とにかくそんな折にはウィスキーを飲んで寝る。
朝起きると状況はもっとひどくなっている。繰り返しだ。

理屈ではなく、感覚を味わいたい。この「何か」というような感覚は、非常に気持ち悪い。
そして後半は経験として、さらに気持ち悪い。

入り口と出口

物事には必ず入口と出口がなくてはならない。そういうことだ。

なぜ「僕」がこの考えに至ったのかは伏せておく。
あらゆる意味においてで出口が無い、もしくは考えていないことは多い。
人は理性ではなく感覚的な生き物ということかな?

得られるもの

あなたがピンボール・マシーンから得るものは殆んど何もない。
数値に置き換えられたプライドだけだ。

本当か嘘かは分からないが、ピンボール研究書の序文らしい?
このように言えばほとんどが同じだろう。その瞬間だけでも熱中できたら十分だ。

プールの底

何ヶ月も何年も、僕はただ一人深いプールの底に座りつづけていた。
温かい水と柔らかな光、そして沈黙。そして、沈黙...。

「僕」が毎日の自分を振り返って感じていること。
あくまで心の声であり、実際は「鼠」と共同で仕事をしている。
また双子の姉妹と同棲するという充実?した生活も送っている。
決して毎日を、無言で暮らしている訳ではない。
多くの人が同じかもしれないが、「本当の自分は沈黙している」と捉えている。
また「海の底」ではなく、「プールの底」なのは何故だろうか?

それだけ

多かれ少なかれ、誰もが自分のシステムに従って生き始めている。
それが僕のと違いすぎると腹が立つし、似すぎていると悲しくなる。
それだけのことだ。

人は矛盾を抱えながら生きている。ただ、それだけのこと。

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彼らの目

彼らの目は何も見てなんかいないのだ。そして僕の目も。
僕は空っぽになってしまったような気がした。
もう誰にも何も与えることはできないのかもしれない。

「僕」が自分と世間についての関係を考えいる。
多くの人が昨日電車のとなりに座った人や、対面にいた人など覚えていない。
なにより覚える必要がない。
逆に言えば、自分もその人たちにとって覚えられる存在ではない。
そんなことを本気で考えていたら、生きるのに疲れてしまう。

同じ一日

同じ一日の同じ繰り返しだった。
どこかに折り返しでもつけておかなければ間違えてしまいそうなほどの一日だ。

毎日まったく同じ作業はなく、同じ食事というわけではない。
しかし同じ時間に起きて、同じ学校や会社に行き、そして同じぐらいの時間に寝るというルーティーンの中では誤差と言えるかもしれない。
もちろん、それで問題はない。
もしそれを一歩でも外れるということは、世間の目を敵にするのと同じこと。
多少だが勇気が必要になる。

テーマ

卒論の指導教授がうまいことを言う。文章はいい、論旨も明確だ、だがテーマがない、と。
実にそんな具合だった。

「テーマ」。それを考え出すと、前に進むことが困難になる。
テーマとは目標ではなく目的だと考えている。多くの人が目標は持っている。
いい学校に行く、いい会社にいく、将来自分に合う人と結婚したい、それは全て目標であり目的ではない。
目的とは、最終的に「こうありたいという姿」のため、
・いい学校に行ったらいい会社に入れるの?
・いい会社に行けば一生安泰なの?
・結婚すれば幸せになれるの?
と全部続きが発生する。
テーマや目的を考え出すと、自分の行動を制限してしまう。
テーマなど無い方が、自分にとっての幸せに近いように感じる。

理由もない悪意

でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。
あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。
でもそれは確かに存在しているんだ。
取り囲まれてるって言ったっていいかもしれないね。

おとなしい猫に対して、いたずらしている人がいる。
それに対して、「ジェイ」が「鼠」に語った言葉になります。
理由もない悪意、悪意と思っていない悪意、善意とすら思っている悪意など挙げればきりがないほど悪意はある。
人は「自分がされたら嫌なことを相手にしている」という自分に酔っているのかな?

幸せ

遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える。

昔付き合っていた彼女とのことを聞かれた時の、「僕」の返事になります。
付き合っている人、結婚している人は周りからは幸せそうに見える。
もちろん本当の人も多いでしょうが、「幸せだけが続いている」人は少ない。
近づくことは、どちらにも近づくこと。

スペイン語

「大学でスペイン語を教えています」と彼は言った。
「砂漠に水を撒くような仕事です」

大学でスペイ語を教えている講師の言葉になります。
読んでいる時は自虐だと捉えていた。
しかし改めて読んでみると、「誇り」を持っているようにも感じる。
これを読んで、どのように感じますか?

街には幾らか俺自身の影が残るかもしれない。しかし誰も気にはするまい。
そして街は変わりつづけ、やがてはその影も姿を消すだろう...。

街を出ていくことを考えている「鼠」の心境になります。
去って行った人を記憶しておくには、世間の情報は多すぎる。
覚えておける程の人は少なすぎる。

疲れ

「なぜそんなに疲れたんだい?」
「さあね? 理由なんて、きっと何もないんだろう」

「鼠」の問に対しての「ジェイ」の返事になります。
私生活も仕事も順調に行っていても「何かの疲れ」を感じることはある。
逆に順調に行っていなくても、疲れないこともある。
肉体的な「疲れ」など、問題ではないのだろう。

不器用

人間てのは、驚くほど不器用にできている。あんたが考えてるよりずっとね。

変わりたいと考えている「鼠」に対しての、「ジェイ」の答えになります。
考えただけで変われるほど、器用な人は少ない。
多くの人が挑戦し、そして失敗するのは、むしろ普通なのかもしれない。

何もないこと

「ピンボールは上手いの?」
「以前はね。僕が誇りを持てる唯一の分野だった」
「私には何もないわ」
「失くさずにすむ」

「僕」と「女の子」との会話になります。流れが良かったのでピックアップしました。
ただこのように達観した答えは、個人的に「イラッ」とする。

同じでもいい

ずいぶん考えたんだ。何処に行ったって結局は同じじゃないかともね。
でも、やはり俺は行くよ。同じでもいい。

街を出ていこうとする「鼠」の言葉になります。
例えば会社を辞めるとき「何処行っても同じ」とよく説得される。
しかし個人的な経験ではまったく違う。
もちろん一つ目を辞めると、次も辞めてしまうというのはよくあること。
実際、私も経験している。
この説得は「説得する側の理屈」であって、「辞める側の将来を考えて」のことではない。
もし悩んでいるなら、自分の想いの方を優先してほしい。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 
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