「李陵(中島敦)」の名言まとめました

「李陵(中島敦)」の名言をまとめていきます。

李陵

確かに無理とは思われたが、輜重の役などに当てられるよりは、むしろ己の為に身命を惜しまぬ部下五千と共に危きを冒す方を選びたかったのである。(李陵、以降無記入)

 

帝が一度言出したら、どんな我が儘でも絶対に通されねばならぬ。

 

李陵はそれを遮って言う。陵一個のことは暫く措け。

硬骨漢汲黯が退いた後は、帝を取巻くものは、佞臣に非ずんば酷使であった。

 

口を緘して意見を洩らさぬ者が、結局陵に対して最大の好意を有つ者だったが、それも数える程しかいない。

 

恬として既往を忘れたふりの出来る顕官連や、彼等の諂諛を見破る程に聡明ではありながら尚真実に耳を傾ける事を嫌う君主が、この男(司馬遷)には不思議に思われた。

いや、不思議ではない。人間がそういうものとは昔からいやになる程知ってはいるのだが、それにしてもその不愉快さに変わりはないのである。

 

もっと事実が欲しい。教訓よりも事実が。(司馬遷)

 

自分が長い間頭の中で画いて来た構想が、史といえるものか、彼(司馬遷)にも自信はなかった。

しかし、史といえてもいえなくても、とにかくそういうものが最も書かれなければならないものだという点については、自信があった。

 

司馬遷にとって、単なる編年体の事件列挙は未だ「述べる」の中にはいらぬものだったし、又、後世人の事実そのものを知ることを妨げるような、余りにも道義的な断案は、寧ろ「作る」の部類に入るように思われた。

 

こんな熱に浮かされたような書きっぷりでいいものだろうか?
彼は「作ル」ことを極度に警戒した。自分の仕事は「述べル」ことに尽きる。(司馬遷)

 

違った人間を同じ人間として記述することが、何が「述べる」だ?

「述べる」とは、違った人間は違った人間として述べることではないか。そう考えてくると、やはり彼(司馬遷)は削った字句を再び生かさない訳には行かない。

 

ただ大きいものは、その欠点までが大きく写ってくるのは、これは已むを得ない。(司馬遷)

 

司馬遷は最後に憤懣の持って行きどころを自分自身に求めようとする。実際、何ものかに対して腹を立てなければならぬとすれば、結局それは自分自身に対しての外は無かったのである。

 

己は正しい事しかしなかった。強いていえば、唯、「我在り」という事実だけが悪かったのである。(司馬遷)

 

当座の盲目的な獣の苦しみに代って、より意識的な・人間の苦しみが始まった。(司馬遷)

 

涙は一滴も出ない。余りに強い怒りは涙を涸渇させて了うのであろう。

 

ああ我もと天地間の一微粒子のみ、何ぞ又漢と胡とあらんやと不図そんな気のすることもある。

 

疲労だけが彼の唯一つの救いなのである。

 

ただ漢人はこれをごまかし飾ることを知り、我々はそれを知らぬだけだ。(匈奴の単于)

 

想像を絶した困苦・欠乏・酷寒・孤独を、平然と笑殺して行かせるものが、意地だとすれば、この意地こそは誠に凄まじくも壮大なものと言わねばならぬ。

 

帰るのは易い。だが、又辱しめを見るだけのことではないか?

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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