「トロッコ(芥川龍之介)」の名言・台詞をまとめていきます。
トロッコ
小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。
工事を──といったところが、唯トロッコで土を運搬する──それが面白さに見に行ったのである。
(本作の書き出し)
トロッコは山を下るのだから、人手を借りずに走って来る。
良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思う事がある。せめては一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗りたいと思う事がある。
今度はトロッコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。良平はその時乗れないまでも、押すことさえ出来たらと思うのである。
トロッコは最初は徐ろに、それから見る見る勢よく、一息に線路を下り出した。
その途端につき当りの風景は、忽ち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。顔に当る薄暮の風、足の下に躍るトロッコの動揺、──良平は殆ど有頂天になった。
「登り路の方が好い。何時までも押させてくれるから」
「押すよりも乗る方がずっと好い」
「行きに押す所が多ければ、帰りに又乗る所が多い」
「もう帰ってくれれば好い」──彼はそうも念じて見た。が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼等も帰れない事は、勿論彼にもわかり切っていた。
良平は一瞬呆気にとられた。もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、──そう云う事が一時にわかったのである。
良平は少時無我夢中に線路の側を走り続けた。
時時涙がこみ上げて来ると、自然に顔が歪んで来る。
やっと遠い夕闇の中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。
彼の家の門口へ駈けこんだ時、良平はとうとう大声に、わっと泣き出さずにはいられなかった。その泣き声は彼の周囲へ、一時に父や母を集まらせた。
あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら、…………
彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。
全然何の理由もないのに? ──塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。
(本作のラスト)
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