「ペスト(カミュ)」の名言・台詞まとめました

「ペスト(カミュ)」の名言・台詞をまとめていきます。

現在の「コロナウイルス問題」とリンクする言葉を中心にピックアップしました。1947年出版の小説だが、現代も変わらないことがよく分かる。

 

ペスト

ある町を知るのに手頃な一つの方法は、人々がそこでいかに働き、いかに愛し、いかに死ぬかを調べることである。

 

病人というものは優しさを欲し、好んで何かによりかかりたがるというのは、きわめて自然なことである。

 

「わからない。まったく奇妙だ。だが、そのうち済んじまうだろう」
(徴候が合っても、多くの人が勘違いと思いたがる)

 

いったい新聞記者というものはほんとうのことをいえるのか。

 

門番は、体具合が悪いとは、もちろんいえなかった。ただ、どうも調子が十分でない。
(ダメだと分かっていても、どうしても自分を優先してしまう)

 

「うん、命令さえあればね」
(たとえ予測できたとしても、自分で判断するのは多くの人が保留する)

 

しかし、続く数日において事態はさらに悪化した。
(誰もが様子をみようとするが、結果は大抵悪化する)

 

通信社は約八千匹の鼠が拾集されたことを報じ、市中の不安は頂点に達した。人々は根本的な対策を要求し、当局を非難。
ところが、翌日、通信社はこの現象がぱったりとやみ、鼠害対策課は問題とするに足りぬ数量の鼠の死骸を拾集したにすぎなかったと報じた。市中はほっとした。

 

 

「知らんね。熱病だろう。それにやつは頑丈なほうじゃなかったからな」
(たとえ死者が出たとしても、体が弱かったとして自分は大丈夫と考える)

 

「なんにもありませんよ、そういう事実は。しかし、いろんな徴候がどうも不安なんです」
(徴候から不安をアピールしても、予測では誰も悪い未来を信じてくれない)

 

「今度もあのとき以上にひどくならないように祈りたいですね。しかし、実際信じられないことです」
(ペストに似た症状での死者が出ても、医者ですら信じたくない気持ちが強い)

 

この世には、戦争と同じくらいの数のペストがあった。しかも、ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった。

 

愚行は常にしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気がつくはずである。

 

彼らは取り引きを行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見をいだいたりしていた。ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられたであろうか。

 

危険は彼にとって、依然、非現実的なものであった。

 

「もっとも、知事は結局空騒ぎだと確信しておられるんだがね」
(多くのトップが根拠の無い確信を抱くことはよくある)

 

なにしろ仮説というものは、科学においても実生活のなかでも、常に危険なものだから。
(仮説のほとんどは大げさであり実際には起こらない。そのため信じない人が多くなり、大切な真実すら信じずに対応が遅れてしまう)

 

公に認めるとなれば仮借のない処置をとることを余儀なくされるであろうということ、を指摘した。結局その点が同僚たちをしり込みさせている。
(実害が及んでいない段階で人に制限をかけると、確実に世間は反発する)

 

 

「問題は、法律によって規定される措置が重大かどうかということじゃない。それが、市民の半数が死滅させられることを防ぐために必要かどうかということです」

 

「君はこれがペストだと、はっきり確信をもってるんですか」
「そいつは問題の設定が間違ってますよ。これは語彙の問題じゃないんです。時間の問題です」
(状況が深刻化してきても、100%でないことには責任を押し付けようとする人がいる)

 

「言いまわしは、私にはどうでもいいんです」
(実行したい人に対して、言葉尻を批判する人は多い)

 

処置は峻厳なものではなく、世論を不安にさせまいとする欲求のために多くのものを犠牲にした。
(考えられる最善では無く、妥協案を選んでしまうことは多い)

 

「むろん、僕の推定さ。だが、誰も彼もまだその程度のことしか知らないんだからね」
(いろんな人がいろんなことを言うが、知識不足での判断が多い)

 

「世間っていうやつはいつでもうわさをするもんですよ。それが自然なことなんです」

 

「こわがってる連中がいますし、それから、このほうがもっと多いんですが、まだ手続きが間に合わなかったものがいるんです」
(患者数について報道と実数)

 

「自分にはそうする権力がないっていう返事なんです」
(正しいことは知ってても、それを出来るかは別問題)

 

見たところ、何ひとつ変わったものはなかった。電車は相変わらずラッシュアワーには満員であり、昼間は空っぽできたなかった。
(情報は伝わっていても、人の動きは変わらない)

 

この瞬間から、ペストはわれわれすべての者の事件となったということができる。

それまでのところは、これらの奇怪な出来事によって醸された驚きと不安にもかかわらず、市民各自はふだんの場所で、ともかく曲りなりにもめいめいの業務を続けていた。そしておそらく、この状態は続くはずであった。

しかし、ひとたび市の門が閉鎖されてしまうと、自分たち全部が、かくいう筆者自身までも、すべて同じ袋の鼠であり、そのなかでなんとかやっていかねばならぬことに、一同気がついたのである。

 

当然のことながら、個々の特例を考慮することは不可能であった。
この病疫の無遠慮な侵入は、その最初の効果として、この町の市民に、あたかも個人的感情などもたぬ者のようにふるまうことを余儀なくさせた、といっていい。

(本当に悪化すると、人道や人権すら脅かされる可能性がある)

 

復帰者はいかなる場合にも再び町から出ることはできず、帰って来るのは自由であるが、出て行くのはそうでないということを明確にした。

 

ペストがわが市民にもたらした最初のものは、つまり追放の状態であった。
(追放は「見捨てられた」と言い換えることが出来る)

 

結局のところ、この病疫が六ヵ月以上は続かないというなんの理由もないし、ひょっとすると一年、あるいはもっとかもしれないという考えを、彼らにいだかせるのである。
(なまじ終わりを予測すると、外れた時のダメージが大きくなる)

 

彼らは、したがってしいて心を抑えて、自分たちの解放の期限を決して考えまいとし、未来の方へは振り向くまいとし、そして常に、いわば目を伏せたままでいようとした。
しかし、当然、この用心深さ、苦痛をごまかそうとし、戦闘を拒否するためにみずから警戒を解こうとするこのやり方からは、思わしい結果はえられなかった。
(未来を考えればダメージは大きくなるが、未来の無い状態は耐えれないのかもしれない)

 

 

埠頭には、装置をはずされた大きな起重機、横っ倒しになったトロッコ、樽や袋のひっそりとした山などが、商業もまたペストで死んだことを表明していた。
(この記事を書いている段階では、日本の多くの工場や工事現場は続いている)

 

しかし人々はまた依然として個人的な関心事を第一列に置いていた。
誰もまだ病疫を真実には認めていなかったのである。大部分の者は、彼らの習慣を妨げたり、あるいは彼らの利益を冒すことがらに対して、特に敏感であった。

 

人々はこの死亡率が正常なものであるかどうかを知らなかったのである。
この種の正確な知識というものは、明らかに興味をそそるものであるにもかかわらず、人々が決して心を向けようとしないものでさえある。
(自分や周りが感染しなければ、多くの人にとっては単なる数字なのかもしれない)

 

市民たちは不安のさなかにも、これは確かに憂うべき出来事には違いないが、しかし要するに一時的なものだという印象を、依然もち続けていたのである。
(誰もが長期化を予測しても、立場ある人が長期化を伝えると多くの人が反発する)

 

ある朝一人の男がペストの徴候を示し、そして病の錯乱状態のなかで戸外へとび出し、いきなり出会った一人の女にとびかかり、おれはペストにかかったとわめきながらその女を抱きしめた。
(よく似た事件が起こるのは、今も昔も場所も問わない)

 

「そうなりゃ、もう人道問題だ、それこそ。おそらくあんたには理解できないんです」(新聞記者)

 

同情がむだである場合、人は同情にも疲れてしまうのである。

 

すべての人々に最も顕著だったことといえば、それは善意ということであったといえるくらいである。しかし、ペストの問題となると、彼らの知識はほとんど無に近かった。
(現在のネットでの批判も多くは善意と考える。ただ善意であるだけに問題はより深い)

 

 

「誰も、酔っ払い以外には笑うものはない。そして、酔っ払いたちは笑いすぎる」

 

「朝の六時頃になると、これらすべての新聞は、開店の一時間以上も前から店の入口に陣取っている行列の中で売り始められ、ついで町はずれから満員になってやって来る電車の中で売られる」

 

「ええ、そうです。際限なく続く敗北です」(医師)

 

世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来するものであり、善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる。

 

空路および陸路から送られて来る救助物資と同時に、毎晩、電波に乗ってあるいは新聞紙上で、同情的なあるいは賞賛的な注釈の言葉が、あれ以来孤立しているこの町めがけてとびかかってきた。
そしてそのたびごとに、叙事詩調の、あるいは受賞演説調の調子が医師をいらいらさせた。
(自分が医師だった場合、その手の言葉が嬉しいかどうかを考えればよく分かる)

 

「愛するか、あるいはともに死ぬかだ、それ以外に術はないのだ」

 

「お役所なんて当てになりませんよ。てんで、人の話を理解できるような連中じゃないんだから」
(日本の政府を批判するために外国の政府を褒める人は多いが、現地の人はどのように感じているだろうか?)

 

彼はそうして(密輸の)煙草や質の悪いアルコール飲料を又売りしていたが、その値は絶えず上り、今や彼にちょっとした財産をもたらしかけているところであった。
(こういう輩は、いつの時代にもどこの場所にもいる)

 

「世界中どこの軍隊でも、一般に資材の不足は人員で補っています。ところが、われわれには人員も不足してるんです」(医師)

 

「一般にはそうです。しかし、少うしねばり強くやれば、思いがけない結果が得られることもありますよ」(医師)

 

「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」

 

八月の半ばというこの時期には、ペストがいっさいをおおい尽したといってよかった。
もうこのときには個人の運命というものは存在せず、ただペストという集団的な史実と、すべてのものがともにしたさまざまの感情があるばかりであった。

 

火災をこうむった、あるいは保健上の理由から閉鎖された家屋が、略奪されたのである。
実際のところ、かかる行為があらかじめ計画されたものであったと推定することは困難である。たいていの場合は、突然の機会が、それまでりっぱな人物であった人々をけしからぬ行動に出させ、それが即座に見習われるのであった。

 

初めの頃われわれの葬式の特徴をなしたものは、迅速さということであった。すべての形式は簡略化され、そして一般的なかたちでの葬儀の礼式というものは廃止されていた。

そして疑いもなく、少なくとも初めのころは、家族の人々の自然の感情はそれによって傷つけられた。しかし、ペスト流行時においては、そういう考慮はとうてい斟酌していられない。実用性というもののためにすべてを犠牲にしていたのである。

 

この時期からは、実際、困窮が恐怖にまさる力を示す事実が常に見られたのであり、仕事は危険の度合いに応じて賃金を支払われていただけに、なおさらのことであった。

 

事実上ペストが頂上に達した状態を持続している時期において、犠牲者の累増は、この町のささやかな墓地が提供しうる可能性をはるかに越えてしまった。

 

われわれの町では、もう誰一人、大げさな感情というものを感じなくなった。そのかわり、誰も彼もが、単調な感情を味わっていた。

 

市民たちは事の成行きに甘んじて歩調を合わせ、世間の言葉を借りれば、みずから適応していったのであるが、それというのも、そのほかにやりようがなかったからである。

 

結局のところ彼らの有する最も個人的なものを断念するということであった。

 

今や事態は明瞭であり、災禍はすべての人々に関することであった。

 

「あなたには人情というものがないんです」と、ある日、彼はいわれたものである。
(病人を隔離しようとして医師が言われたこと。理解は出来るが納得は出来ない)

 

「これはもう確かなことであるが、彼は自分がペストにかかることがありうるとは本気で考えていないのである」
(声を大きくして訴えてる人も、自分がかかるとは思っていないだろう)

 

あらゆるものの値段はとめどもなく上がっていたのに、人々がこのときほど金を浪費したことはなく、そして必需品が大部分の者に欠乏していた反面に、このときほど余計なものが乱費されたことはなかった。

 

「しかし、自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです」

 

「まったく憤りたくなるようなことです。しかし、それはつまり、それがわれわれの尺度を越えたことだからです」

 

「僕が憎んでいるのは死と不幸です、それはわかっていられるはずです」
「そうして、あなたが望まれようと望まれまいと、われわれは一緒になって、それを忍び、それと戦っているんです」

 

あらゆる予言に一貫して共通であったことは、それが結局において安心を与えるものであったということである。ひとり、ペストだけはそうでなかった。

 

「皆さん、私どもは踏みとどまる者とならねばなりません」

 

ペストのなかに離れ島はないことを、しっかり心に言い聞かせておかねばならぬ。まことに、中間というものは存在しない。公憤に値するような事実も許容しなければならない。

 

病疫が彼のいわゆる頂上平坦線(横ばい)に到達したものと見なしていた。今後はもう衰退するばかりなのだ。
(だが現在の場合は横ばいになったとしても、外部から流入する危険が残る)

 

 

行政当局は、確かに強い感銘を与える、しかし要するになんの事実も証明するわけではないこの実例の前に、最初楽観説を迎えたと同じ無定見さで、悲観説に戻ってしまった。
(過去に事例が無いのだから、誰も100%正しいことを言うのは不可能である)

 

伝染性は、病疫のこの新たな形態とともに、今やさらに大なるものとなる可能性があった。その実、専門家たちの意見は、この点に関して常に相対立していたのである。
(いくら専門家の案を採用しても、反対意見はいくらでもある)

 

時とともに増大する食糧補給の困難の結果として、その他にも種々不安の的となる問題がありえた。投機がその間に介入して来て、通常の市場には欠乏している第一級の必需品などがまるで作り話みたいな値で売られていた。

貧しい家庭はそこできわめて苦しい事情に陥っていたが、一方裕福な家庭は、ほとんど何ひとつ不自由することはなかった。
(現在のマスクの状況を見ると笑えない)

 

「パンか、しからずんば空気を!」
(知事に対する市民の訴え)

 

結局最後のところで気がつくことは、何びとも、最悪の不幸のなかにおいてさえ、真実に何びとのことを考えることなどはできないということである。

 

「人間は犠牲者のために戦わなきゃならんさ。しかし、それ以外の面でなんにも愛さなくなったら、戦ってることが一体なんの役に立つんだい?」

 

人間は、あんまり待っていると、もう待たなくなるものであるし、全市中のものは全く未来というもののない生活をしていたのである。

 

今日まで過ぎ去った幾月かは、彼らの解放の願いを増大させながらも、一方また用心深さというものを彼らに教え、病疫の近々における終息などますます当てにしないように習慣づけていたのである。

 

みんなが考えるところで一致していたのは、過去の生活の便利さは一挙に回復されはしないであろうし、破壊するのは再建するよりも容易であるということであった。

 

これが勝利というものであるかどうか、きめてしまうことは困難であった。
人々は単に、病疫が、やって来たと同じようにして去って行くらしいことを、確認するより仕方がなかったのである。

 

ある人々の場合は、ペストによって深刻な懐疑主義をしっかり植えつけてしまい、どうしてもそれを振り捨てることができなくなっていた。
希望はもう彼らの心に取りつく余地がなかった。
(今その余裕は無いが、終息が近づいたら心理的なフォローが重要になる)

 

「確かに、予想外のことが起こらないかぎりはね」
「しかも、いつだって予想外のことってやつがあるんですよ」
(下降し終息が見えたとしても、予測は常に予測に過ぎない)

 

「ゼロから出直すっていうのは、ずいぶん楽しいことでしょうね」
(終息後は、強がりでも楽観論が必要かもしれない)

 

彼は毎日そのころになってもペストの最高潮のころと同じくらい疲れ果てるものであったが、終局的な解放への期待が、身のうちのあらゆる疲れを消散させていた。

 

情熱に燃えていた人々は、事実、固定観念にとり付かれていたわけである。

 

ある意味では、彼はペストがあまりにもだしぬけに終わったような感じがし、平静な心を失っていた。幸福は全速力でやって来、事件は待つ間よりはずっと早く進行した。

 

ペストが来ようと去ろうと、人間の心はそれによって変化することはないと、彼の周囲で信じているらしく見える、すべての人々のように、彼もしていたかったのである。

 

今や無名の墓穴のなかに紛れ、あるいは灰の堆積のなかに溶け去った人間とともに、あらゆる喜びを失ってしまった、母親たち、配偶者たち、恋人たちにとっては、相変らずペストが続いていたのである。

 

目下のところは、出身を著しく異にする人々が、肘突き合い、仲間同士になっていた。
死に直面しても事実上実現されなかった平等が、解放の歓喜によって、少なくとも数時間は確立されていたのである。

 

天災のさなかで教えられること、すなわち人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くあるということを、ただそうであるとだけいうために。
(記録の目的)

 

ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 
 
 
アマゾンリンク
ペスト (新潮文庫)

 

→カミュのインデックス

→インデックス