「悲しみの上に、人は輝く」の名言まとめました

「悲しみの上に、人は輝く(青山俊董)」より名言をまとめていきます。

尼僧による説法書。
全編を通して、直接説法を聞いているような優しい感覚になる。
疲れている心を休めたい人に、おすすめの一冊です。

悩みや苦しみの理由

煩悩のないところ、悩みや苦しみや迷いのないところには、悟りも喜びの世界もないということです。

よく感情の振れ幅の話がある。
1の苦しみしか知らない人は、1の喜びしか知らない。
10の苦しみを知っている人は、10の喜びを知ることができる。
これが本当に事実かは私には分かりません。
しかし、苦労の末の喜びが大きくなることは間違いありません。

原因と結果の関係性

「因」に何の「縁」を加えるかで「果」は変わる。

因は原因、果は結果として考えて下さい。また縁は、人に限らず全てと考えている。
いろいろなことも、人を含めた全ての縁により結果が変わる。
現在に行き詰まっているなら、自分ではない全ての縁を改めて探してみるのが解決への近道かもしれない。

失敗について

失敗が人間を駄目にするのではなく、失敗にこだわる心が人間を駄目にするのであり、失敗を踏み台として前向きに取り組むところにのみ、過去を生かし、未来を開く鍵もあるというものでしょう。

失敗をすると多くの場合、引きずってしまう。
引きずってはいけないと思いながら、どうしても気になるもの。
その結果、同じような失敗を繰り返し、さらに落ち込むという負のスパイラルの経験がある人も多いでしょう。
反省をすることは悪くないが、多くの場合は後悔しているだけ。
もちろん変えろと言われて、すぐに変えることは困難です。
そのため、まず一つという気持ちで少しずつ後悔を減らしたい。

花の価値

部屋に一輪の花を飾ることを忘れない人になってくださいね。

著者が仕事について悩んでいる女性の相談に対して、最後に記した言葉です。
本文には、「一輪の花」は本当の花ばかりでは無いことが記されている。
花はもちろんだが、人として人を和やかにする存在であって欲しい気持ちが含まれている。

見えなくなること

光のとどかない深い海に住んでいる魚は、ものを見る目まで失ってしまう。

必要なことを見ないようにしたり、または見ないですむ環境にいると本当に必要になった時、見ることが出来なくなる。
何でも正義感を出せばいいわけではない。
しかし自分に嘘をつき続けると、本当がなくなってしまうかもしれない。

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マイナスの行動について

摘むことしか考えなかったら、出る場所を失ったエネルギーはますます曲折し、鬱積してゆきます。

若い人の非行へ走る行動を、ただ注意して止めさせるだけでは、エネルギーが行き場を失い、より大きな問題に発展する可能性があると指摘している。
注意するのは意外と簡単です。なぜなら、相手の未来を無視出来るから。
「止めなさい」と言っておけば自分の責任は完了し、後は相手の問題になる。
しかし別の方向へ、エネルギーを誘導するのは大変です。
次のことを考えなければいけないし、また相手も言うことは聞かないので、継続した対応が必要になる。
これを「おせっかい」と言って、最近では減っているが、多少は必要なのかもしれない。

変化とは

私が変われば世界が変わる。

個人的に解釈すれば、「私が変われば見える世界が変わる」と捉えている。
全ては考え方になる。そしてそれが、一番難しいことでもある。

世間のものさし

とかく世間のものさしは結果を計る方に偏り、ものさしというのはそれしかないと思っている人が多いことは、残念でなりません。

全ての評価が結果で決まり、途中の努力や出来事を無視していることを著者は嘆いている。
受験や就職または競争においては結果が全てであり、失敗や負けに対して評価されないのが当然とされている。
もちろん、結果を出すことは努力の結果であり、「何が悪い?」と考える人もいる。
人の歴史は戦いと競争の歴史。
このギスギスした幼稚な歴史は、いつまで続くのでしょうか?

叱る条件

どれだけ相手が悪いことをしていたとしても、それに対する叱りとか怒りのなかに私心がひそみこんでいる時は、煩悩になってしまうのです。
根底に私心があっての叱りは相手の心に傷をつけこそすれ、素直に非をたださせる方向へは決して向かわない。

間違えないでほしいのは、「叱りの中に怒りがあってはいけない」ではないこと。
怒ることは問題ではない。ただその中に、私心があってはいけないと言っている。
それでは、「私心」とは何でしょうか?
例えとして、子どもが勉強をしない場合、怒ることは問題ありません。
しかし、「テストの点数が低いから、私たち(親)が恥ずかしい」と考えて怒るなら問題があると解釈している。
意外と「相手のため」と言いながら、「自分のため」になっていることが多い。
私自身も含め、気をつけたい。

怒ること、叱ること

ここ数年、教育現場から、
「このごろのお母さんは、怒ることはあるけれど、叱らなくなった」
という声をよく聞きます。

先程は怒っても良いと書きましたが、本来なら「怒る」ではなく「叱る」が正しい。
怒りは自分に重心があり、叱りは相手に重心があると書かれている。
家庭や職場でも人への注意は、「叱り」であってほしいですね。

すること、されたこと

いただいた御恩は生涯忘れてはなりませんが、してさしあげたことはその場で忘れることです。

多くの場合、逆になっているように感じる。損得ばかりの世の中です。

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失敗の責任

うまくいかなかった時、人はとかく他に責任を転嫁します。
彼が悪かった、彼女が悪かった。学校が社会が悪い。運が無かったと。
ただ、どんなに失敗の原因を他に転嫁してみても、問題は解決しません。

失敗というのは自分の責任と考えると前に進めなくなり、相手の責任と考えると次に生かすことが出来なくなる。
失敗を認め責任を取りながら後に残さないという、最良の方法はどこにあるのだろうか?

感想

読み終わって一番に考えたのは、内容が役に立ったという感じではなく、柔らかい時間が終わったという感じでした。
正直、この手の本をよく読まれる人にとって、目新しいことは少ないでしょう。
休日の昼下がりに説法を聞いているような、優しい時間を得たい人におすすめの一冊です。

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悲しみの上に、人は輝く

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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