「友だち幻想」の名言まとめました

「友だち幻想(菅野仁)」より名言をまとめていきます。

「友だち」とは一体なんだろうか?
そもそも「友だち」は必要なのだろうか?
学生だけに限らず、人と関わる全ての人への提案です。

一人

一人でも生きていける社会だからこそ「つながり」が難しい。

人は一人では生きていけない。これは事実です。
普段の日用品や食料品のほとんどは、自分以外の誰かが作っています。
しかし友だちが1人もいなくても、生きていくことは出来ます。
「友だち」とのつながりは絶対に必要ではないため、「つながり」が難しいとなる。

他者

相手を他者として意識するところから、本当の関係や親しさというものは生まれるものなのです。

他者や他人と言うと、自分とは関係ない人を指すように感じます。
しかしここでは、全ての人は他者であるという認識に立っています。
それは家族を含めてになります。
一見、冷たいようですが、「自分ではない」という意味では当たり前の事実となる。
自分で無いのだから、相手が全て理解してくれるわけがない。
その考えを持った時、本当の関係が生まれてくる。

よくあるグループの話

ある種のグループでは、いつも関係を密にしていないと、いつ排除されるかわからない不安がつきまといます。
不安になるから、ますます固まって一緒にいる。

よく見る、もしくは属している光景ですよね。
またいない人の話をすることが多いので、さらに離れることが出来ない。
これって、仲良しグループなんですかね?

気の合わない人

「気の合わない人と一緒にいる作法」ということを真剣に考えなけらばならない。

学生時代は横の関係が基本であり、仲良しグループだけで完結できる。
しかし社会に出れば縦の関係が基本であり、仲の良い人の方が少なくなる。
そういう意味では学生時代に訓練する必要があるのだが、部活以外では難しいですかね?

自由とルール

自由はルールがないところでは成立しません。

ルールとは自分を縛るものと考えがちです。
しかしルールがない世界で行われるのは、自由ではなく無茶苦茶になる。
ルールがあるからこそ、自分の自由が守られるのです。
また言い方を変えれば、ルールとは自分の自由が守られるものでなければならない。

クラスの現実

クラス全員が仲良くできる、全員が気の合う仲間どうしであるということは、現実的に不可能に近いことです。

現実的に不可能なことは、誰でも知っている。
しかしこの不可能なことを目標にしているのも、また現実になる。
当然そこには歪が生まれる。無理なことを目標にしても、誰も救われない。

先生のすべきこと

先生は生徒の記憶に残らなくてもいい。

自分の教室が一つの社会として最低限のルール性を保持できているようにすることです。

先生は生徒に好かれる必要はない。
先生は生徒の全てに分かってはもらえない。
先生に出来ることは限られている。
自分が先生だとしたら、そんなことは当たり前である。
しかし保護者の立場としたら、先生に過剰な要求をしてしまう。
その辺りを見直すことから始めないといけない。

親と子

子どもが口で言っている表面的な言い方や勢いに惑わされず、自分の子がどの程度まで成熟してきているのだろうかということを見極めながら、子どもを支える力が親には求められるのです。

親から見た、子供の言ってることがある。子供から見た、親に言ってることがある。
親は自分の子供時代を思い出せば、言葉と気持ちが一致していないのはよく知っているはず。
それでも親の立場になれば、そこに思いは届かない。
これは親が楽をしようとしてるのかもしれない。

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友だち

「自分というものをすべて受け入れてくれる友だち」というのは幻想なんだという、どこか醒めた意識は必要です。

少し厳しい、もしくは冷たいと感じるかもしれないが、これは当たり前のこと。
立場を変えて「自分は相手の全てを受け入れるか?」と考えれば、受け入れる訳がない。
ただ幻想は持ちたいのも事実となるのが難しい所だ。

感想

決して特別なことは書いていません。
大人なら多くの人が知っている、もしくは経験していることばかりです。
しかしだからこそ目をそむけていることが、はっきり書かれている。
人間関係を見直したい時におすすめの良書です。

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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