「李衛公問対(守屋洋、守屋淳)」より名言をまとめていきます。
中国・武経七書の一つ「李衛公問対」
唐の太宗・李世民と臣下の李衛公(李靖)の問答をまとめた兵法書。
実際には長文のため管理人にて部分抜粋、難しい漢字も部分的にカナに変えています。
上の巻
正奇
臣、按ずるに、兵法は黄帝より以来、
正を先にして奇を後にし、
仁義を先にして権けつを後にす。
古来より戦いは先に正があり、奇は後にする。
また先に仁義があり、策略は後にする。
中国の兵法書に共通するが、正攻法がまず先にあり、奇策は状況に合わせて使うもの。
変化
若し正兵変じて奇となり、奇兵変じて正となるに非ずんば、則ち安んぞ能く勝たんや。
故に善く兵を用うる者は、奇正は人に在るのみ。
変じてこれを神にす。天に推す所以なり。
勝利するためには、正から奇へ、奇から正へと変化する必要がある。
用兵を知る者はその点をよく理解している。
しかしこの変化は膨大であり、人が全て把握することは困難である。
正攻法だけでも奇策だけでもダメだということ。
両方をバランスよくすることで、初めて勝利をつかむことが出来る。
結果と理由
三軍の士は、ただその勝つを知り、
その勝つ所以を知るなし。
戦巧者は、味方の兵に勝ったという結果を知らしても、勝った理由を理解させない。
実際の仕事でも、この人や組織だと「なぜか上手くいく」ということがある。
逆に「なぜか上手くいかない」ということもある。
これは偶然ではなく、誰かの力が働いてると理解すべし。
古法
蓋(けだ)し古法の節制、信に重んずべきなり。
古来より伝わる原則は、出来る限り尊重するのが好ましい。
注意すべきなのは、尊重するのは「原則」であり、決して「方法」ではない。
同じ方法を採用すれば、負けるのは決まっていますからね。
敵味方の状態
善く兵を用うる者は、先ず測るべからざるを為す。
則ち敵その之く所に乖く。
戦巧者は、味方の動きを敵に把握させない。
そして敵を自分の思う通りに動かす。
敵と味方の状態を把握することはよく言われるが、味方を知らしめないは忘れがち。
もちろん偽の情報をつかませるのも有効である。
兵の強弱
兵卒制あれば、庸将と雖もいまだ敗れず。
若し兵卒自ら乱るれば、賢将と雖も危うし。
兵の統制が取れていれば、将が悪くとも負けることは無い。
逆に統制が取れていなければ、将が良くても負けてしまう。
この言葉とは別に「勇将の下に弱卒無し」というものがある。
将が良ければ、統制が取れていない兵も統制を取れるようにする。
その結果として勝利となる。
中の巻
致して致されず
靖曰く、「千章万句は、人を致して人に致されずに出でざるのみ」
「臣、まさにこれを以って諸将に教うべし」
兵書はいろいろな事が書かれているが、結局は「人を致して人に致されず」に尽きる。
将軍たちにもこのことを教える必要がある。
勝つためには自分のペースに巻き込むことであり、相手のペースでは勝利はおぼつかない。
伝えること
蓋し兵法は意を以って授くべく、語を以って伝うべからず。
兵法を授けるには言葉以外のものが必要であり、言葉だけで伝えることは出来ない。
「兵法」を「仕事」と置き換えれば、現代でも通用する。
仕事のやり方を言葉で伝えても、なかなか出来るものでない。
最高の走るフォームを知っていても、100mを10秒で走ることは出来ない。
最高の文字の形を知っていても、その通りに書ける訳ではない。
それなのに教育者は、言えば分かると勘違いしていることがある。
古来よりこの感覚は変わらない。
まやかし
これを存すれば則ち余詭また増さず。
これを廃すれば則ち貧を使い愚を使うの術、何よりして施さんや。
まやかしを禁止にするかを問いかけられた時、そのままにすることを提案している。
なぜなら一つを禁止にしても次が出てくるだけで、状況は悪くなる一方。
自然消滅を待つのが好ましいとの結論になる。
もちろん必要なら禁止にしないといけない。
しかしいくら禁止にしても抜け道を見つけるのは、現代でもよくあること。
自然消滅を招くように、周りから追い込むだけにするのが好ましいのかもしれない。
事例
兵家の勝敗は情状万殊なり。
一事を以って推すべからざるなり。
戦いの結果にはさまざまな要因があるため、一つの事例から結論を出してはいけない。
人は上手くいった方法を続けがちだが、こういう人は大抵失敗に終わる。
戦いの条件はいつも違うのであり、また相手がその方法を知っていれば対応されてしまう。
固定観念を諌めた言葉だと理解する。
大患と小義
大患を去るに小義を顧みざる所以なり。
大きな患いを取り除くために、小さな義の心を捨てたことを話している。
実際には敵に勝利するため、外交に向かっていた味方を見捨てたことが発端になっている。
「多数を守るため、少数を見捨てるのは正しいのか?」はよく問題になること。
ただこれに答えは無く、語る人の視点で全てが変わってしまう。
残念ながら軍事とは、兵士を数字として見てしまう行為である。
下の巻
誤り
これ古今の勝敗は、率ね一誤に由るのみ。
況や失多き者をや。
古来より戦いの結果のほとんどは、たった一度の失敗によるものがほとんど。
まして失敗ばかりでは、勝ちなど望むべくもない。
勝つためには正しいことをすると考えがちだが、その逆の視点で捉えている。
お互いが素人では無いため、基本的なことは間違いを望めない。
そのため何かの失敗を捉え自分に活用することが、勝利をつかむ方法となる。
攻守
攻むるはこれ守るの機、守るはこれ攻むるの策、同じく勝に帰するのみ。
若し攻めて守るを知らず、守りて攻むるを知らざれば、ただその事を二つにするのみならず、
そもそもまたその官を二つにせん。
攻めとは守るため、守るとは攻めるため、どちらも勝利を目指している。
攻めるだけ、もしくは守るだけしか知らなければ、この二つを同時に考えることは出来ない。
またそれぞれに指揮官を置くようなことをしてしまう。
攻めと守りのどちらが大切かは、その時の状況により決まる。
攻めだけでも続かないし、守りだけでも限界が来る。
しかしこの二つをバランス良く持っている人物など、ほとんど見たことが無い。
己と敵
また曰く、勝つべからざるは己に在り。
勝つべきは敵に在り、と。
勝つべき態勢を作ることは己の中にあり、勝つべき方法は敵の中にある。
自分の組織を最適化するのは勝利に必要だが、それだけで勝てる訳ではない。
あくまで敵の状態や作戦との対比が必要になる。
日本人は自分のことばかりを考えてしまう傾向にあるので、注意が必要。
裏表
その機は一なり。
或は逆にしてこれを取り、或は順にしてこれを行なう。
どちらも狙いは同じであり、裏から判断するか表から判断するかに過ぎない。
悪いことでも良いことでも、考え方しだいで両方とも良いように捉えることが出来る。
味方がピンチになったとしても、それを誘いにして勝利する可能性も考えられる。
ようは捉え方であり、また考え方に過ぎない。
順番
故に兵の学を習うには、必ず先ず下より以って中に及び、
中より以って上に及べば、則ち漸にして深し。
然らずんば、則ち空言を垂れて、徒らに記誦するのみ。
取るに足るなきなり。
兵学を学ぶ時には下策から中策、そして上策を学ぶのが良い。
そうすることで理解が深くなり、そうでなければ知識ばかりで実戦の役に立たない。
この言葉とは少し意味が異なるが、現代で考えれば「下策」を「実践」と考えたい。
実際の作業を行なうことにより、それを統括することが出来る。
逆に統括から始めてしまうと、実践を無視した机上の空論となる。
この状態は、古来より変わらない。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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