「マネジメント(ドラッカー)」の名言をまとめていきます。
マネジメント
序章
新しい現実のための新しい理論が生まれるには時間がかかる。だが、新しい理論の完成を待っている余裕はない。行動しなければならない。
Part1
組織は、目的ではなく手段である。したがって問題は、「その組織は何か」ではない。「その組織は何をなすべきか。機能は何か」である。
存続と健全さを犠牲にして、目先の利益を手にすることに価値はない。逆に、壮大な未来を手にしようとして危機を招くことは無責任である。
はっきりしていることは、未来は現在とは違うということだけである。
第1章
企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。
企業とは何かを決めるのは顧客である。なぜなら顧客だけが、財やサービスに対する支払いの意志を持ち、経済資源を富に、モノを財貨に変えるからである。
マーケティングの理想は、販売を不要にすることである。
企業が存在しうるのは、成長する経済のみである。あるいは少なくとも、変化を当然とする経済においてのみである。そして企業こそ、この成長と変化のための機関である。
「われわれの事業は何か」との問いは、ほとんど場合、答えることが難しい問題である。わかりきった答えが正しいことはほとんどない。
「顧客は誰か」との問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである。
ほとんどのマネジメントが、苦境に陥ったときにしか「われわれの事業は何か」を問わない。
しかし苦境に立つまで待っていたのでは、ロシア式ルーレットに身をまかせるも同然である。
「われわれの事業は何か」との問に対する答えのうち大きな成功をもたらしたものさえ、やがて陳腐化する。
「われわれの事業は何であるべきか」との問いも必要である。現在の事業をまったく別の事業に変えることによって、新しい機会を開拓し、創造することができるかもしれない。
急速に拡大しつつある市場、特に新しい市場においては、独占的な供給者の業績は、力のある競争相手がいる場合よりも劣ることが多い。
市場において目指すべき地位は、最大ではなく最適である。
良質の人材と資金を引き寄せることができなければ、企業は永続できない。産業全体として見ても、その衰退の最初の徴候は、有能でやる気のある人間に訴えるものを失うことである。
生産性の向上こそ、マネジメントにとって重要な仕事の一つである。困難な仕事の一つである。なぜならば、生産性とは各種の要因の間のバランスをとることだからである。
目標は、実行に移さなければ目標ではない。夢にすぎない。
未来は、望むだけでは起こらない。そのためには、いま意思決定をしなければならない。いま行動し、リスクを冒さなければならない。必要なものは、長期計画ではなく戦略計画である。
戦略計画は予測ではない。未来の主人になろうとすることではない。そのようなことは、ばかげている。未来は予見できない。
リスクを皆無にすることは不毛である。最小にすることも疑問である。得るべき成果と比較して冒すべきリスクというものが必ずある。
戦略計画に成功するということは、より大きなリスクを負担できるようにすることである。
第2章
予算に依存することは、優先順位をつけ、活動を集中する妨げとなる。しかし、優先順位の高い目標に資源を集中することなしに、成果をあげることはできない。
予算に依存することは、まちがったもの、古くなったもの、陳腐化したものの廃棄を難しくする。その結果、公的機関は、非生産的な仕事に関わりを持つ者を大勢抱えることになる。
第3章
働く者が満足しても、仕事が生産的に行われなければ失敗である。逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きとして働けなければ失敗である。
成果すなわち仕事からのアウトプットを中心に考えなければならない。技能や知識など仕事へのインプットからスタートしてはならない。
仕事のうえの人間関係は、尊敬に基礎を置かなければならない。
およそ人が責任という重荷を負うためには何が必要か。
焦点は、仕事に合わせなければならない。仕事が可能でなければならない。仕事がすべてではないが、仕事がまず第一である。
仕事を生産的なものにするうえで独創性に期待するのは夢想である。必要なものは、実際に働く者の知識と技術である。
職場コミュニティの自治は民主的でなくてもよい。民主的であってはならないかもしれない。
組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。
第4章
プロフェッショナルの責任は、すでに2500年前、ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いのなかに、はっきり表現されている。「知りながら害をなすな」である。
Part2
複数の人間が協力して、意志を疎通させつつ多様な課題を同時に遂行する必要が出てきたとき、組織はマネジメントを必要とする。
第5章
マネジャーは、個々の活動のみならず、全体の成果を見なければならない。その仕事はオーケストラの指揮者に似ている。
マネジャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。
しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。
働くことの尊さを忘れたマネジャーは、組織に害をなす。かくしてマネジャーは、単なる調整者ではなく、自らも仕事をするプレーイング・マネジャーでなければならない。
マネジャーは育つべきものであって、生まれつきのものではない。
雇用主たる組織には、人の性格をとやかくいう資格はない。雇用関係は特定の成果を要求する契約にすぎない。他のことは何も要求しない。
組織の目的は、凡人をして非凡なことを行わせることにある。天才に頼ることはできない。
成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。
すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。
成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。
人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。優れているほど新しいことを試みる。
強みよりも弱みに目を向ける者をマネジャーに任命してはならない。できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。
部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。
第6章
マネジメントの行う意思決定は、全会一致によってなされるようなものではない。
対立する見解が衝突し、異なる見解が対話し、いつくかの判断のなかから選択が行われて初めて行うことができる。
意思決定は機械的な仕事ではない。リスクを伴う仕事である。判断力に対する挑戦である。
管理の目的は情報収集ではなく行動である。
第7章
もともと完全無欠の組織はない。ある程度の摩擦、不調和、混乱は覚悟しておかなければならない。
職能別組織は、マネジメントに適さない人間をつくる。成果よりも技能に重点を置いているからである。
Part3
いかなる組織といえども、その業績はトップマネジメントにかかっている。
第9章
小企業は戦略を必要とする。小企業は限界的な存在にされてはならない。その危険は常にある。したがって、際立った存在となるための戦略を持たなければならない。
大企業のマネジメントには、小さな事業に必要な感覚がない。大企業は小さな事業を理解できない。したがってまちがった決定を行う。
多くの企業は適切な規模を知らない。規模にふさわしい戦略や構造については、さらに知らない。
合併と買収は量を狙ってはならない。不適切な基盤の上に量を加えることは、さらに問題を求めることでしかない。
共通の市場あるいは共通の技術を軸にしない多角化は失敗する。その結果は、マネジメント不能である。好天のもとでは順調でも、ひとたび荒れれば難破する。
成長には戦略が必要である。準備が必要である。なりたいと思うことに焦点を合わせた行動が必要である。だがトップに変革の意志がなければ、いずれも無駄になる。
成長そのものを目標にすることはまちがいである。大きくなること自体に価値はない。よい企業になることが正しい目標である。成長そのものは虚栄でしかない。
イノベーションの尺度は、外の世界への影響である。したがって、イノベーションは常に市場に焦点を合わせなければならない。
市場ではなく製品に焦点を合わせたイノベーションは、新奇な技術は生むかもしれないが、成果は失望すべきものとなる。
優れたアイデアというものは、常に非現実的であることを知らなければならない。
変化への抵抗の底にあるものは無知である。未知への不安である。しかし、変化は機会と見なすべきものである。変化を機会として捉えたとき、初めて不安は消える。
最後まで読んで頂きありがとうございました。