「武士道(新渡戸稲造、岬龍一郎訳)」の名言をまとめていきます。
武士道
第一章
武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。
それはわが国の歴史の標本室に保存されているような古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。
彼らの支配階級の一員として身につける名誉と特権が大きくなるに従い、それらにともなう責任や義務も重くなってきた。
それと同時に、彼らは行動様式についての共通の規範というものが必要になってきたのである。
第二章
仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえた。
具体的にいうならそれは危難や惨禍に際して、常に心を平静に保つことであり、生に執着せず、死と親しむことであった。
鏡は人間の心を表している。心が完全に澄んでいれば、そこに「神」の姿を見ることができる。
それゆえに人は社殿の前に立って参拝するとき、おのれ自身の姿を鏡の中に見るのである。
知識というものは、これを学ぶ者が心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知識となる。
武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。
第三章
「義」は、武士の掟の中で、もっとも厳格な徳目である。サムライにとって卑劣なる行動、不正なふるまいほど忌まわしいものはない。
「義は自分の身の処し方を道理に従ってためらわずに決断する力である。死すべきときには死に、討つべきときには討つことである」(林小平)
「人は才能や学問があったとしても、節義がなければ武士ではない。節義さえあれば社交の才など取るに足らないものだ」(真木和泉守)
「義理」は「正義の道理」として出発したにもかかわらず、しばしば詭弁のために用いられ、非難されることを怖れる臆病にまで墜ちてしまったのだ。
第四章
「戦場に飛び込み、討ち死にするのはいともたやすきことにて、身分の賤しき者にもできる。生きるべきときは生き、死ぬべきときにのみ死ぬことこそ、真の勇気である」(水戸光圀)
真に果敢な人間は常に穏やかである。決して驚かされず、何物にもその精神の均衡を乱されない。
実に勇気と名誉は、ともに価値ある人物のみを平時の友とし、戦場の敵とすべきことを求めている。勇気がこの高さに到達するとき、それは「仁」に近づく。
第五章
愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心、すなわち「仁」は、常に至高の徳として、人間の魂がもつあらゆる性質の中で、もっとも気高きものとして認められてきた。
それは二重の意味で「王者の徳」とされている。
仁は、優しく柔和で母のような徳である。高潔な義と厳しい正義が男性的であるとするなら、仁における慈悲は女性的な優しさと説得力を持つ。
第六章
もし礼が、「品性の良さ」を損なう恐れがあるがために行われるのであれば、それは貧弱な徳といわねばならない。
なぜなら、礼は他を思いやる心が外へ表れたものでなければならないからだ。
「礼は寛容にして慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせないばかりか、自己の利益を求めず、憤らず、恨みを抱かない」
わが国の礼儀作法の中には不必要なほどのくどさがあることを私も認めている。だが、西洋人のたえず変化する流行へのこだわりほど、馬鹿げているかどうか、私にはわからない。
優美さが無駄を省いた作法という言葉が真実なら、優美なる立ち居振る舞いのあくなき練習は、論理的にいえば、内なる余力を蓄えることにつながる。
したがって洗練された作法というものは平静状態の無限なる力を意味する。
第七章
真実と誠実がなければ、礼は茶番であり芝居である。
本物の武士は「誠」を命より重く見ていたので、誓いを立てるだけでも名誉を傷つけるものと考えていた。
第八章
もし、名誉と名声が得られるのであれば、サムライにとって生命は安いものだと思われた。
そのため生命より大事だと思われる事態が起これば、彼らはいつでも静かに、その場で一命を棄てることもいとわなかったのである。
第九章
己の良心を主君の気まぐれや酔狂、あるいは道楽の犠牲にする者には、武士道はきわめて低い評価しかあたえなかった。
そのような者は無節操なごますりで機嫌をとる「佞臣」、あるいは奴隷のような卑屈な追従で主君に気に入られる「寵臣」として軽蔑された。
第十章
武士の教育において第一に重んじられたのは、品格の形成であった。それに対して思慮、知識、雄弁などの知的才能はそれほど重要視されなかった。
軍事教育において当然あるべきはずなのに、武士道の教育ではあえて外されていたものが数学であった。
それは武士道が損得勘定を考えず、むしろ貧困を誇るからである。
どんな仕事に対しても報酬を払う今日のやり方は、武士道の信奉者の間では広まらなかった。なぜなら、武士道は無報酬、無償であるところに仕事の価値があると信じていたからだ。
第十一章
日本人にとっての笑いは、逆境によって乱された心の平衡を取り戻そうとする努力を、うまく隠す役目を果たしているからである。
つまり笑いは悲しみや怒りとのバランスをとるためのものなのだ。
第十二章
武士道において名誉にかかわる死は、多くの複雑な問題を解決する鍵として受け入れられた。そのため大望を抱くサムライは、畳の上で死ぬことを恥とした。
中世に発明された切腹は、武士がみずからの罪を償い、過ちを詫び、不名誉を免れ、朋友を救い、己の誠を証明するための方法だったのである。
切腹が名誉と崇められると、当然のことながら、その乱用を生んだ。
いきおい生命の値段は安かった。それは世間から名誉の代価と見られていたので、いっそう軽んじられた。
真の名誉とは、天の命じることをやり遂げるところにあり、それを遂行するために招いた死はけっして不名誉なことではない。
だが天があたえようとしているものを避けるための死は、まさに卑怯である。
第十三章
武士道の究極の理想は平和であることを意味している。
第十五章
美徳は悪徳に劣らず伝染する力を持っている。どのような社会的身分や特権も、道徳の感化力を拒むことはできない。
私たちはそれが原産だからとの理由で、桜花に愛情を感じているのではない。
その花の持つ洗練された美しさ、そして気品に、ほかのどの花からも得ることのできない、「私たち日本人」の美的感覚を刺激されるのである。
これほど美しく、かつはかなく、風の吹くままに舞い散り、ほんの一瞬、香を放ち、永久に消え去っていくこの花が「大和魂」の典型なのか。
日本人の魂はこのようにもろく、滅びやすいものなのだろうか。
第十六章
日本に荒波のように押し寄せてきた西洋文明は、すでにわが国古来のあらゆる教義の痕跡を拭い去ってしまったのだろうか。
一国の国民の魂がそんなにも早く死滅するとあれば、それは悲しむべきことである。
外国からの影響にいともたやすく屈服してしまうとなれば、それは貧弱な魂だったといわねばなるまい。
武士道は形式こそ整えていなかったが、過去も現在も、わが国民を鼓舞する精神であり原動力なのである。
劣等国として見下されることに耐えられない名誉心、これが日本人の動機の最大のものであった。
国民がみな一様に礼儀正しいのも武士道の賜物である。
しかしながら、その反面、私たち日本人の欠点や短所もまた、大いに武士道に責任があることも認めなければ、公平さを欠くであろう。
武士道の日本人にあたえる影響は、いまなお深く力強いものがある。
それは無意識かつ無言の感化である。
武士道はこのまま廃れるのか。その予兆となる芳しくない徴候が大気中に漂いはじめている。いや、徴候のみならず、侮りがたい勢力がすでに武士道を脅かしているのである。
第十七章
人間の活力をもたらすものは精神力である。精神がなければ最良の装備もほとんど役に立たないし、最新式の銃も大砲もひとりでには発射しないのだ。
近代的な教育制度といっても臆病者を英雄にすることはできない。
武士道は確固たる教義もなく、守るべき公式もないので、一陣の風であえなくも散っていく桜の花びらのように、その姿を消してしまうであろう。
だが、その運命はけっして絶滅するわけではない。
最後まで読んで頂きありがとうございました。