「門(夏目漱石)」の名言・台詞をまとめていきます。
門
一
「どうも字と云うものは不思議だよ」
「なぜって、いくら容易い字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分からなくなる」(野中宗助、以降無記入)
二
必竟自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京というものを見た事がないんだという結論に到着すると、彼はそこにいつも妙な物淋しさを感ずるのである。
三
じっとしているうちに日曜はいつか暮れてしまうのである。
四
彼らは自業自得で、彼らの未来を塗抹した。だから歩いている先の方には、花やかな色彩を認める事ができないものと諦らめて、ただ二人手を携えて行く気になった。
「そのくらいな事でそれほど不平が並べられれば、どこへ行ったって大丈夫だ」
「おれももう一返小六みたようになって見たい。こっちじゃ、向がおれのような運命に陥るだろうと思って心配しているのに、向じゃ兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」
五
広い世の中で、自分達の坐っている所だけが明るく思われた。そうしてこの明るい灯影に、宗助は御米だけを、御米は宗助だけを意識して、洋灯の力の届かない暗い社会は忘れていた。
彼らは毎晩こう暮らして行く裡に、自分達の生命を見出していたのである。
六
「買手にも因るだろうが、売手にも因るんだよ。いくら名画だって、おれが持っていた分にはとうていそう高く売れっこはないさ」
十二
昨夕までは寝られないのが心配になったが、こう前後不覚に長く寝るところを眼のあたりに見ると、寝る方が何かの異状ではないかと考え出した。
十四
彼らは、日常の必要品を供給する以上の意味において、社会の存在をほとんど認めていなかった。彼らに取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼らにはまた充分であった。
彼らは山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。
彼らはこの抱合の中に、尋常の夫婦に見出しがたい親和と飽満と、それに伴う倦怠とを兼ね具えていた。
そうしてその倦怠の慵い気分に支配されながら、自己を幸福と評価する事だけは忘れなかった。
彼らは鞭たれつつ死に赴くものであった。ただその鞭の先に、すべてを癒やす甘い蜜の着いている事を覚ったのである。
宗助は過去を振り向いて、事の成行を逆に眺め返しては、この淡泊な挨拶が、いかに自分らの歴史を濃く彩ったかを、胸の中であくまで味わいつつ、平凡な出来事を重大に変化させる運命の力を恐ろしがった。
今考えるとすべてが明らかであった。したがって何らの奇もなかった。
事は冬の下から春が頭を擡げる時分に始まって、散り尽した桜の花が若葉に色を易える頃に終った。すべてが生死の戦いであった。
彼らは親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。大きく云えば一般の社会を棄てた。もしくはそれらから棄てられた。学校からは無論棄てられた。
ただ表向だけはこちらから退学した事になって、形式の上に人間らしい迹を留めた。
十七
宗助と御米の一生を暗く彩どった関係は、二人の影を薄くして、幽霊のような思をどこかに抱かしめた。
彼らは自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜んでいるのを、仄かに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互と向き合って年を過した。
文学にも哲学にも縁のない彼らは、この味を舐め尽しながら、自分で自分の状態を得意がって自覚するほどの知識を有たなかったから、同じ境遇にある詩人や文人よりも、一層純粋であった。
二十一
「すでに頭の中に、そうしようと云う下心があるからいけないのです」(宜道)
「道は近きにあり、かえってこれを遠きに求むという言葉があるが実際です。つい鼻の先にあるのですけれども、どうしても気がつきません」(宜道)
彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。
二十二
これに似た不安はこれから先何度でも、いろいろな程度において、繰り返さなければすまないような虫の知らせがどこかにあった。
それを繰り返させるのは天の事であった。それを逃げて回るのは宗助の事であった。
二十三
「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」(御米)
「うん、しかしまたじき冬になるよ」
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