「五重塔(幸田露伴)」の名言・台詞をまとめていきます。
五重塔
其一
早く良人がいよいよ御用命かったと笑い顔して帰って来られればよい、類の少い仕事だけに是非して見たい受け合って見たい、欲徳はどうでも関わぬ。
拳骨で額を抑え、どうも済みませんでした、ありがとうござりまする、と無骨な礼をしたるもおかし。
其二
おもえばこれも順々競争の世の状なり。
其三
世に栄え富める人々は初霜月の更衣も何の苦慮なく、紬に糸織に自己が好き好きの衣着て寒さに向う貧者の心配も知らず。
ああ考え込めば裁縫も厭気になって来る、せめて腕の半分も吾夫の気心が働いてくれたならばこうも貧乏はしまいに。
ああ心配に頭脳の痛む、またこれが知れたらば女の要らぬ無益心配、それゆえいつも身体の弱いと、有情くて無理な叱言を受くるであろう。
其六
万人に尊敬い慕わるる人はまた格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和しく先に立って静かに導きたまう。
ああ賢い人は羨ましい、一生一度百年一度の好い仕事を源太様はさるる、死んでも立派に名を残さるる、ああ羨ましい羨ましい、大工となって生きている生き甲斐もあらるるというもの。
どうせ馬鹿なのっそり十兵衛は死んでもよいのでござりまする、腰抜鋸のように生きていたくもないのですわ。
其七
かほどの伎倆をもちながら空しく埋もれ、名を発せず世を経るものもあることか、傍眼にさえも気の毒なるを当人の身となりてはいかに口惜しきことならん。
其十
分際忘れた我が悪かった、ああ我が悪い、我が悪い、けれども、ええ、けれども、ええ、思うまい思うまい、十兵衛がのっそりで浮世の怜悧な人たちの物笑いになってしまえばそれで済むのじゃ。
夢のように生きて夢のように死んでしまえばそれで済むこと、あきらめて見れば情けない、つくづく世間がつまらない、あんまり世間が酷過ぎる、と思うのもやっぱり愚痴か。
其十二
世間は気次第で忌々しくも面白くもなるものゆえ、できるだけは卑劣な鏽を根性に着けず瀟洒と世を奇麗に渡りさえすればそれで好いわ。
気にはかかれど何とせん方もなく、女房は送って出したる後にて、ただ溜息をするのみなり。
其十三
汝の身を察すればいっそ仕事もくれたいような気のするほど、というて我も欲は捨て断れぬ、仕事は真実どうあってもしたいわ。
其十五
一ツの仕事を二人でするは、よしや十兵衛心になっても副になっても、厭なりゃどうしてもできませぬ、親方一人でお建てなされ、私は馬鹿で終わりまする。
其十八
人の仕事に寄生木となるも厭ならわが仕事に寄生木を容るるも虫が嫌えば是非がない。
ただ寄生木になって高く止まる奴らを日ごろいくらも見ては卑しい奴めと心中で蔑視げていたに、今我が自然親方の情に甘えてそれになるのはどうあっても小恥かしゅうてなりきれぬわ。
其二十
主人が浮かねば女房も、何の罪なきやんちゃざかりの猪之まで自然と浮き立たず。
其二十二
十兵衛いよいよ五重塔の工事するに定まってより寝ても起きてもそれ三昧、朝の飯喫うにも心の中では塔を噬み、夜の夢結ぶにも魂魄は九輪の頂を繞るほどなれば、まして仕事にかかっては妻あることも忘れ果て児のあることも忘れ果て、昨日の我を念頭に浮かべもせず明日の我を想いもなさず。
ただただ仕事にのみかかりしは愚かなるだけ情に鈍くて、一条道より外へは駈けぬ老牛の痴に似たりけり。
其二十九
箱根の温泉を志して江戸を出でしが、それよりたどる東海道いたるは京か大阪の、夢はいつでも東都なるべし。
其三十三
塔は大丈夫倒れませぬ、なんのこれほどの暴風雨で倒れたり折れたりするような脆いものではござりませねば、十兵衛が出かけてまいるにも及びませぬ。
其三十四
世界に我を慈悲の眼で見て下さるるただ一つの神とも仏ともおもうていた上人様にも、真底からはわが手腕たしかと思われざりしか、つくづく頼もしげなき世間、もう十兵衛の生き甲斐なし。
其三十五
それより宝塔長えに天に聳えて、西より瞻れば飛檐ある時素月を吐き、東より望めば勾欄夕べに紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚は活きて遺りける。
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