「バカの壁(養老孟司)」の名言をまとめていきます。
バカの壁
第一章
「話せばわかる」は大嘘。
自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在しています。
本当は何もわかっていないのに「わかっている」と思い込んで言うあたりが、怖いところです。
日本には、何かを「わかっている」のと雑多な知識が沢山ある、というのは別のものだということがわからない人が多すぎる。
現代においては、そこまで自分たちが物を知らない、ということを疑う人がどんどんいなくなってしまった。
「正しさ」を安易に信じる姿勢があるというのは、実は非常に怖いことなのです。
現実はそう簡単にわかるものではない、という前提を真剣に考えることなく、ただ自分は「客観的である」と信じている。
第二章
行動に影響しない入力はその人にとって現実ではない。
第三章
個性が大事といいながら、実際には、よその人の顔色を窺ってばかり、というのが今の日本人のやっていることでしょう。
だとすれば、そういう現状をまず認めるところからはじめるべきでしょう。個性も独創性もクソも無い。
要するに「求められる個性」を発揮しろという矛盾した要求が出されているのです。組織が期待するパターンの「個性」しか必要無いというのは随分おかしな話です。
第四章
知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも。
第五章
私自身、東京大学に勤務している間とその後では、辞める前が前世だったんじゃないか、というくらいに見える世界が変わった。
いかに自分が制限されていたかがよくわかった。この制限は外れてみないとわからない。
かつては「誰もが食うに困らない」というのが理想のひとつの方向でした。今はそれが満たされて、理想とするものがバラバラになっている。だからこそ共同体も崩壊している。
なぜ寝ている時間が無いのか。寝ている暇を勿体無いと思うのか。それは、無意識を人生のなかから除外してしまっているからです。
人間は悩むのが当たり前で、生きている限り悩むものなのです。
それなのに悩みがあること、全てがハッキリしないことを良くないことと思い、無理やり悩みを無くそうとした挙句、絶対に確かなものが欲しくなるから科学なり宗教なりを絶対視しようとする。
第六章
大概、一番優れているのは、実は社会生活に適応出来ないようなタイプの人です。
社会的に頭がいいというのは、多くの場合、結局、バランスが取れていて、社会的適応が色々な局面で出来る、ということ。
逆に、何か一つのことに秀でている天才が社会的には迷惑な人である、というのは珍しい話ではありません。
第七章
サラリーマンというのは、給料の出所に忠実な人であって、仕事に忠実なのではない。職人というのは、仕事に忠実じゃないと食えない。
第八章
大体、相手を利口だと思って説教しても駄目なのです。どのぐらいバカかということが、はっきり見えていないと説教、説得は出来ない。相手を動かせない。
バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。
最後まで読んで頂きありがとうございました。