「鉄道員(ぽっぽや、浅田次郎)」の名言・台詞をまとめていきます。
鉄道員(ぽっぽや)
「すまんねえ、重箱まで。こっちはおっかあに死なれてから、正月って言ったって何するわけでもないし」
「何年て、まだおととしだよ。なんだか十年も経ったような気がするけど」
「なんも。ここはおんなじよなじじいとばばあばっかりだから、なあんも」(乙松)
「はあ、無理なら言わんでいいよ」(乙松)
「俺ァ、ポッポヤだから、身うちのことで泣くわけいかんしょ」(乙松)
小さな掌を握ると、乙松は悲しくなった。なんだかゆうべの妹も、この姉も、死んだユッコのような気がしてならなかった。こんな気分になるのも、あと三ヶ月で終わる暮らしのせいなのだろうか。
「したって、俺はポッポヤだから、どうすることもできんしょ。俺がホームで旗振らねば、こんなもふぶいてるなか誰がキハを誘導するの。転轍機も回さねばならんし、子供らも学校おえて、みんな帰ってくるべや」(乙松)
春になってポッポヤやめたら、もう泣いてもよかんべか。(乙松)
「新しいのもあるだがねえ。どうも着なれたこれの方がいいんだべさ」(乙松)
一番つらかったことは何かと訊かれて、乙松は娘の死を語らなかった。それは私事だからだった。
佐藤乙松として一番つらかったことはもちろん娘の死で、二番目は女房の死にちがいない。だがポッポヤの乙松が一番悲しい思いをしたのは、毎年の集団就職の子らを、ホームから送り出すことだった。
「──あんたより二つ三つもちっちえ子供らが、泣きながら村を出てくのさ。そったらとき、まさか俺が泣くわけいかんべや。気張ってけや、って子供らの肩たたいて笑わんならんのが辛くってなあ。ほいでホームの端っこに立って、汽車が見えなくなってもずっと汽笛の消えるまで敬礼しとったっけ」(乙松)
ポッポヤはどんなときだって涙のかわりに笛を吹き、げんこのかわりに旗を振り、大声でわめくかわりに、喚呼の裏声を絞らなければならないのだった。ポッポヤの苦労とはそういうものだった。
「おっちゃん、幸せだ。好き勝手なことばっかして、あげくに子供もおっかあも死がせて。だのにみんなして、良くしてくれるしょ。ほんとに幸せ者だべさや」(乙松)
「おやじさん、キハはいい声で鳴くでしょ! 新幹線の笛も、北斗星の笛もいい声だけど、キハの笛は、聞いて泣かさるもね! わけもないけど、おれ聞いてて涙が出るんだわ!」
「まだまだっ。聞いて泣かさるうちは、ポッポヤもまだまだっ!」
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