「論語(孔子)」の名言まとめ

「論語(孔子、金谷治訳)」より名言をまとめていきます。
管理人にて部分抜粋、難しい漢字を部分的にカナに変えている箇所があります。

論語

巻第一 学而第一

子の曰わく、巧言令色、鮮なし仁。

言葉が上手く顔の良い人には、ほとんど仁徳を持っている人はいない。
本書に置ける「子」は、基本的に孔子のことを示す。
言葉が上手いから人徳が無いのか、それとも人徳が無いから言葉が上手くなるのか?

 

子の曰わく、人の己れを知らざることを患えず、人を知らざることを患う。

人が自分を知ってくれないことを気にせず、自分が人を知らないことを気にすべし。
多くの人が、誰も分かってくれないと言う。
では自分は、相手のことを分かっているのだろうか。

 

巻第一 為政第二

子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩をこえず。

多くの人が一度は聞いたことがあると思います。
このようにありたいですが、何歳になっても惑ってばかりですね。

 

子の曰わく、故きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし。

有名な「温故知新」の語源になります。
現代から考えれば大昔の時代でも、過去に答えを見つけようとすることに歴史を感じます。

 

 

子の曰わく、学んで思わざれば則ちくらし。
思うて学ばざれば則ちあやうし。

学んでも考えなければハッキリしない。考えても学ばなければ危険である。
現代の学校教育は前者になるため、考えることを重視したい。

 

これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。
是れ知るなり。

知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとする。これを知るという。
一見当たり前のようだが、奥深い言葉と感じている。
よく「学べば学ぶほど、知らないことが増えていく」という。
知らないことを知らないと知ることは、大きな意味がある。

 

子の曰わく、其の鬼に非ずしてこれを祭るは、へつらいなり。
義を見て為ざるは、勇なきなり。

後半が有名な言葉の語源のためピックアップしました。
前半は個人的に必要とは感じていません。

 

巻第三 公治長第五

子路、聞くこと有りて、未だこれを行なうこと能わざれば、唯だ聞く有らんことを恐る。

子路は聞いてもまだ行えないうちは、さらに聞くことを恐れた。
いろいろな解釈が出来るが、明確な意味は分からない。
読み手の判断に任せたい。

 

巻第三 雍也第六

子の曰わく、これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

知っているだけでは好きな人には及ばない。好きなだけでは楽しむ人には及ばない。
現代では「努力する者は、楽しむ者に勝てない」と言われる語源になります。
人の基本的なことは、2000年以上前も現代も変わらないですね。

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子の曰わく、中人以上には、以て上を語ぐべきなり。
中人以下には、以て上を語ぐべからざるなり。

中以上の能力がある人には、上の話をしてもよい。
しかし中以下の人には、上の話をしても仕方がない。
一見当たり前であり、学校では普通にしている。
しかし社会人になると、必ずしも守られているだろうか?
人を指導する、もしくは使う立場だとしたら、この点の見極めは正確に行いたい。

 

子の曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。

過不足なく平常な価値観は最上である。
中庸と普通は全然違う。中庸と中間も全然違う。
個人的には、絶妙なバランス感覚と捉えている。

 

巻第四 述而第七

子の曰わく、甚だしいかな、吾が衰えたるや。
久し、吾れ復た夢に周公を見ず。

私の衰えもひどいものだ。最近は憧れの周公の夢も見なくなった。
夢云々はともかく、憧れを見なくなったことを衰えたと捉えている。
年齢ではなく精神的に衰えないために、夢や憧れは持ち続けたい。

 

巻第四 泰伯第八

子の曰わく、詩に興こり、礼に立ち、楽に成る。

人の教養は、詩によって興こり、礼によって安定し、音楽によって完成する。
詩は学問、礼はそのまま、楽は遊び的な要素と捉えている。
型にハマっていては完成しないと考えている所が面白い。

 

子の曰わく、三年学びて穀に至らざるは、得やすからざるのみ。

三年も学問をしながら仕官を望まないという人は得がたいものだ。
現代人が学校で学ぶのは、最終的に働くためであると言っても過言ではない。
逆に就職が無いとしたら、大学に行く人は稀であろう。
純粋なレベルアップとして学ぶ人は希少である。

 

子の曰わく、其の位に在らざれば、其の政を謀らず。

その地位にいないとしたら、その政務に口を出してはいけない。
第三者的な立場にいると、直接関わっている人が無能に感じてしまう時がある。
しかし直接している人には、その人だけの苦労があるのも事実。
第三者の意見は貴重だが、聞かれない限りは言わない方が良い。

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巻第五 子罕第九

子の曰わく、歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るることを知る。

寒くなって初めて、松やヒノキが散らないことを知る。
人も危機に陥った時に初めて、本当の真価が分るということ。
日本でも戦国時代・幕末明治初期・戦後に、人材が多く出てきている理由がよく分かる。

 

巻第六 先進第十一

子の曰わく、過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。

過ぎたことは及ばないことと同じようなものだ。
有名な言葉ですのでピックアップしました。
時間にしても有りすぎると、結局なにもしないという結果になる。

 

巻第七 子路第十三

子の曰わく、詩三百を誦し、これに授くるに政を以てして達せず、
四方に使いして専り対うること能わざれば、多しと雖ども亦たなにを以て為さん。

詩経三百篇を暗誦できたとしても、実務が出来なければ役に立たない。
実務をするために学問があるのであり、学問が出来れば実務が出来る訳ではない。
それなのに現代では難関大学が優秀とされている。
自分が優秀だと思っている無能ほど、有害な存在は無いのですけどね。

 

子の曰わく、其の身正しければ、令せざれども行わる。
其の身正しからざれば、令すと雖ども従わず。

自分が正しい行動をすれば、命令しなくても行われる。
自分が正しい行動をしなければ、命令しても行われない。
部下の時はこの感覚が理解できる。しかし上司になると忘れがち。

 

速からんと欲すれば則ち達せず。
小利を見れば則ち大事成らず。

早く成果をあげたいと思えば成功せず、小利にとらわれると大事を達成できない。
これは始める前、もしくは第三者の立場ならよく理解できる。
しかし当事者になると、なかなか守ることが出来ない。
本当に商売にしろ投資にしろ、精神的な要素が大きい。

 

子の曰わく、教えざる民を以て戦う、是れこれを棄つと謂う。

訓練もしていない民で戦うということは、民を捨てると同じことだ。
日本は「とりあえず、やれ」的な命令をすることが多い。
もちろんフォロー体制が整っているならいいが、ハシゴを外すようなことも多い。
たとえ無茶をさせるとしても、それは相手の能力の範囲でなければいけない。
放任主義の教育とは、一番難しい教育方法である。

 

巻第七 憲問第十四

子の曰わく、其の言にこれはじざれば、則ちこれを為すこと難し。

自分の言葉に恥じを知らないようでは、その行為を実行することは難しい。
この表現は好きではないのだが、最近は言葉が軽くなってきてるように感じる。
もう少し責任が合ったように思うのだが?

 

子の曰わく、古えの学者は己れの為めにし、今の学者は人の為めにす。

昔の学ぶ人は自分のために学び、今の学ぶ人は人に知られたいために学ぶ。
2000年以上前の言葉ですが、そのまま現代にも当てはまりますね。
おそらく100年後も同じように感じる?

 

子の曰わく、君子は其の言のその行に過ぐるを恥ず。

君子は出来ないことを話すのは恥とする。
誰でも言うのは簡単、するのは難しい。だから言葉には恥を感じて慎まなければいけない。
それなのに現代のあの人達は...

 

巻第八 衛霊公第十五

子の曰わく、君子は諸れを己れに求む。
小人は諸れを人に求む。

君子は自分に反省を求めるが、小人は他人に反省を求める。
自分が悪いと考えるか、他人が悪いと考えるか。
立派なのは前者だが、本人が幸せなのは後者なのが難しい。

 

子の曰わく、衆これを悪むも必らず察し、衆これを好むも必らず察す。

大勢が憎んだとしても必ず調べ、大勢が好んだとしても必ず調べる。
多数派が正しいわけでも、少数派が正しいわけでも無い。
人の大部分は誰かの意見に流されているだけであり、自分で考えている人は少数だ。
この無責任な大衆が悪意の人に利用され、善意の人が貶められることのなんと多いことか。

 

子の曰わく、過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。

過ちをしても改めないことを過ちという。
論語の中だけも似たような表現が何箇所かあります。
間違っていると思ったなら、少しでも早く改めたい。しかしこれが難しい。

 

子の曰わく、仁に当たりては、師にも譲らず。

人徳を行なう場合は、師匠にも遠慮はいらない。
その通りだが、実行者よりも師匠の捉え方の方が大きい。
師匠も譲る気持ちを持って欲しい。

 

子の曰わく、教えありて類なし。

教育による違いはあったとしても、生まれつきの違いは無い。
日本人は得てして、他国の人を低く見がちになる。
しかしひいき目に見ても個人レベルで考えたら、日本人が上なんて間違っても言えない。

 

巻第八 季氏第十六

困みて学ばざる、民これを下と為す。

困っても学ぼうとしないのは、民としてもっとも下等だ。
実際は上から順番に表現しているのだが、ここでは最後だけピックアップしている。
現代に置いて学びは学校で終了し、その後は学んでいない人が多いように感じている。
弱者だからこそ文句ばかりではなく、学んで自分を救って欲しい。そう思わずにいられない。

 

巻第九 陽貨第十七

其の未だこれを得ざれば、これを得んことを患え、
既にこれを得れば、これを失わんことを患う。

手に入れないうちは手に入れようと考えるし、手に入れると失わないように心配する。
結局、手に入れても手に入れなくても、とらわれているという状態が続く。
欲望や心配が悪い訳ではないが、出来るだけ執着はしたくないものだ。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

論語 (岩波文庫)

 

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