「道をひらく(松下幸之助)」の名言をまとめていきます。
道をひらく
雨がふれば人はなにげなく傘をひらく。この自然な心の働きにその素直さに、私たちは日ごろあまり気づいていない。
運命を切りひらくために
逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。
素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚を生む。
志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである。
目の見えない人は、なかなかケガをしない。
いくつになってもわからないのが人生というものである。世の中というものである。それなら手さぐりで歩むほか道はあるまい。
人生は真剣勝負である。だからどんな小さな事にでも、生命をかけて真剣にやらなければならない。
死を恐れるのは人間の本能である。だが、死を恐れるよりも、死の準備のないことを恐れた方がいい。
日々を新鮮な心で迎えるために
身なりは鏡で正せるとしても、心のゆがみまでも映し出しはしない。
おたがいにともすれば、変わることにおそれを持ち、変えることに不安を持つ。これも人間の一面であろうが、しかしそれはすでに何かにとらわれた姿ではあるまいか。
繁栄は”なぜ”と問うところから生まれてくるのである。
失敗することを恐れるよりも、生活にくふうのないことを恐れた方がいい。
ともによりよく生きるために
人間の生命は尊い。尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。ところが、自分の生命の尊いことはわかっても、他人の生命もまた尊いことは忘れがちである。
叱り、叱られることにも、おたがいに真剣でありたい。
みずから決断を下すときに
進むもよし、とどまるもよし。要はまず断を下すことである。みずから断を下すことである。
それが最善の道であるかどうかは、神ならぬ身、はかり知れないものがあるにしても、断を下さないことが、自他共に好ましくないことだけは明らかである。
いかに適格な判斷をしても、それをなしとげる勇気と実行力とがなかったなら、その判斷は何の意味も持たない。
善意の策も悪意の策も、所詮策にすぎない。
大事なことは、他人の評価もさることながら、まず自分で自分を評価するということである。
困難にぶつかったときに
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るを待つ。
世間というものは、きびしくもあるし、また暖かくもある。
自信を失ったときに
失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい。
賢と愚とは非常なへだたりである。しかしそれは紙一重のちがいから生まれてくる。
苦難がくればそれもよし、順調ならばさらによし。
頭で知ることも大事だが、身をもって知るということが何よりも大事。塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
仕事をより向上させるために
仕事が伸びる伸びないかは、世の中がきめてくれる。世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。
額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。
早いけれども雑だというのもいけないし、ていねいだがおそいというのもいけない。念入りに、しかも早くというのが、今日の名人芸なのである。
仕事には知恵も大事、才能も大事。しかし、もっと大事なことは、些細と思われること、平凡と思われることも、おろそかにしない心がけである。
事業をよりよく伸ばすために
人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。
倒すだけが能ではない。敵がなければ教えもない。従って進歩もない。
失敗の連続もかなわないが、成功の連続もあぶない話である。
自主独立の信念をもつために
こわいものがあるということは、ありがたいことである。これがあればこそ、かろうじて自分の身も保てるのである。
敵を知ることもむつかしいけれども、己を知るということは、もっとむつかしい。
教えることに、もっと熱意を持ちたい。そして、教えられることに、もっと謙虚でありたい。教えずしては、何ものも生まれてはこないのである。
生きがいある人生のために
人間は本来偉大なものである。みごとなものである。しかしそのみごとさは、放っておいてはあらわれない。
国の道をひらくために
日々の暮らしの上でも、あまりにも他を頼み、他に求めすぎてはいないか。求めずして己を正す態度というものを今すこし養ってみたい。
川にダムが必要なように、暮らしにもダムがほしい。物心ともにダムがほしい。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。