「傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考(枡野俊明)」の名言をまとめていきます。
傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考
第一章
図太い人は相手の言動に対していい意味で鈍感、おおらかです。チクリと胸に刺さるような言葉も気にかけない。
おおらかさと繊細さは、いい人間関係を築き、深めていくうえでのいわば、両輪なのです。
他人と比べたところで、自分は何ひとつ変わらないのです。知って欲しいのはこの一点です。
自分を見つめ、以前の自分といまの自分を比較することで、変化を感じる。それ以上の自己検証はありません。
短所を補うより、長所を磨くことのほうが、ずっと効果は上がりますし、だいいち、取り組んでいて楽しい。
過ぎたるはなお及ばざるがごとし。配慮も過ぎると、そこから一歩も進めなくなるのです。
「運勢という字は『勢いを運ぶ』と書きます。つまり、運勢は勢いなんです。運勢をよくしたいと思ったら、なんでも勢いよくしましょう」(斎藤一人)
ひとつになっていれば、結果に対する恐れを抱くことはありません。
結果はあくまであとからついてくるものであって、けっして自分から求めるものではないのです。
やってみなければ失敗するかどうかはわからないのです。わからないことは放っておく。失敗に縛られない。それが禅の根本的な考え方です。
失敗を学びと受けとめるためのポイントはたったひとつです。「失敗した過去はやり直すことができない」ということを胸に刻む。ただ、それだけ。
世の中に思いどおりにいくこと、思いどおりになることなど、滅多にないのです。それにもかかわらず、思いどおりにしようとするから、やっかいなことになるのです。
第二章
自我の強さは心の脆さ。ひとつ剥がせば、ひとつしなやかになる。
孤独とは自由。自分を見つめ直すと図太くなれる。
長所を自覚すれば、本物の自信が持てるようになります。それが「図太い自分」を育てることにも繋がるのです。
第三章
禅の考え方からいえば、落ち込んだときにすすめたいのが身体を動かすことです。なかでも「掃除」がいちばん。
その瞬間、「嫌だ」と感じるのは自然なことですし、それはそれでいいのです。大切なのはその思いをその場に置いてくること、その場で断ち切ってしまうことです。
損得にこだわると、心は窮屈になります。
「でも」からは何も始まらない。図太く動けば解決が見えてくる。
第四章
仕返しを考えるということは、すでにその過去から切り離されている現在を、相も変わらず”裏切られた”自分として生きることです。
怒りは人生を破壊し、堪忍袋は人生を成功に導く。
心で思っている間は、怒りの出口が塞がれているのです。書くという作業はその出口を開くことだといってもいいでしょう。
弱みを隠せば、堂々とはできません。こちらも、不得意隠しと同じで、露見を恐れていつも脅えていなければならなくなる。
第五章
限界を決めたら能力は低下します。常に挑み続けましょう。
坐禅の意味は心のなかの自分とじっと向き合うところにあるのです。
(病気になると)当たり前がありがたいことに気づく。それこそ禅がめざす心の境地といってもいいでしょう。
見切ることは、暮らしのぜい肉を落とすこと、余計なものを剥がしていくことです。その先にあるのは、軽やかで豊かなシンプル生活です。
人生はただの人としてどう生きるかにかかっています。
まわりのなかでどうか? ではなく、自分の信条を貫いて生きる。究極の図太さとはそういうものではないか、とわたしは思っています。
最後まで読んで頂きありがとうございました。