「日本人というリスク(橘玲)」の名言まとめ

「日本人というリスク(橘玲)」の名言をまとめていきます。

 

日本人というリスク

未来は誰も知ることはできませんが、
すくなくとも「日本人というリスク(不確実性)」が以前よりずっと大きくなっていることだけは確かです。

 

はじめに

未来は不確実で、世界はかぎりなく残酷です。
明日は今日の延長ではなく、終わりなくつづくはずの日常はふいに失われてしまいます。

 

PART1

地震予知がひとつも成功しないように、
無数の要素が相互にフィードバックしあうスモールワールドのふるまいは、

 

原理的に予測不可能です。
すなわち私たちは、未来を知ることができません。

 

ポートフォリオに占める人的資本と金融資本の構成は、
年齢に応じて自然に変化していきます。

 

人生設計とはすなわち、この人生のポートフォリオを適切に管理することなのです。

 

バブル崩壊以降、この「成功の方程式」が揺らぎはじめました。

 

サラリーマンの人生設計は、
「会社はぜったいにつぶれない」という神話を前提にしているからです。

 

 

ひとはだれでも自分にいちばん有利なように行動しますから、
日本では経営者も従業員も”独自仕様”に最適な制度をつくろうとしてきました。

 

従業員はその会社でしか通用しない知識や技能を苦労して習得したのだから、
景気が悪いからといって簡単にクビになったり給料をカットされるのは納得できません。

 

サラリーマンの人生というのは、40代までひたすら会社に貯金して、
50代から回収をはじめ、満額の退職金をもらってすべての帳尻が合うようにできています。

 

年功序列と終身雇用の日本的な雇用制度では、
中間管理職以上は転職の余地がほとんどありません。

 

だれもが身に染みて知っているように、
中高年のサラリーマンは、いったん職を失うと再就職はほぼ不可能です。

 

経済学には解雇規制と失業率に関する統計調査がたくさんあり、その多くが、
社員を自由に解雇できるようにしたほうが失業率が下がるという結果を示しています。

 

しかし日本では、こうした研究はタブーになっていてだれも目を向けようとはしません。

 

いつの時代も、地獄への道は善意によって敷き詰められているのです。

 

PART2

この世界が残酷で理不尽なのは、大規模な自然災害や経済的な変動が起きたときに、
もっとも弱いひとたちに被害が集中することです。

 

たとえ年収が下がっても、仕事さえあれば、
ひとは未来に希望を持って生きていくことができるのです。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

アマゾンリンク
日本人というリスク (Kindle)

 

→橘玲のインデックス

[mobile-only] [/mobile-only]