「現代語訳 論語と算盤(渋沢栄一)」の名言をまとめていきます。
現代語訳 論語と算盤
第1章
欧米諸国の、日々進歩する新しいものを研究するのも必要であるが、東洋古来の古いもののなかにも、捨てがたいものがあることを忘れてはならない。
「金銭を取り扱うことが、なぜ賤しいのだ。君のように金銭を賤しんでいては、国家は立ちゆかない」
人が世の中を渡っていくためには、成り行きを広く眺めつつ、気長にチャンスが来るのを待つということも、決して忘れてはならない心がけである。
わたしは理由もなく争うようなことはしないが、世間の人たちが考えているような、争いを絶対に避けるのを、世を渡る唯一の方針としているように円満な人間でもない。
「人にはどうしようもない逆境」とは、立派な人間が真価を試される機会に外ならない。
「実業界に穴を掘って入ったのであるから、今さらその穴を這い出すこともできない」
わたしの主義は、「何事も誠実さを基準とする」ということに外ならない。
だから人は、得意なときにも調子に乗ることなく、「大きなこと」「些細なこと」に対してと同じ考えや判断をもってこれに臨むのがよい。
第2章
およそどんなに些細な仕事でも、それは大きな仕事の小さな一部なのだ。
「小さな志を立てること」に対しては、どのような工夫をすればよいのか。
まずその条件となるのが、「一生涯を通じて『大きな志』からはみ出さない範囲のなかで工夫する」ということなのだ。
もともと人情には、こんな陥りがちな欠点がある。
成果をあせっては大局を観ることを忘れ、目先の出来事にこだわってはわずかな成功に満足してしまうかと思えば、それほどでもない失敗に落胆する──こんな者が多いのだ。
第3章
およそ人として社会で生きていくとき、常識はどんな地位にいても必要であり、なくてはならないものである。
何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動がすべて中庸にかなうものこそ、常識なのだ。
悪人が悪いまま終わるとは限らず、善人がよいまま終わるわけでもない。
実社会においても、人の心の善悪よりは、その「振舞い」の善悪に重点がおかれる。
しかも、心の善悪よりも「振舞い」の善悪の方が、傍から判別しやすいため、どうしても「振舞い」にすぐれ、よく見える方が信用されやすくなるのだ。
第4章
欲望がいかに洗練されようと、道理に背いてしまえば、「人から欲しいものを奪い取らないと満足できなくなる」という不幸をいつまでも招いてしまうものなのだ。
お金に対して、無駄に使うのは戒めなければならない。しかし同時に、ケチになることも注意しなければならない。
よく集めることを知って、よく使うことを知らないと、最後には守銭奴になってしまう。
第5章
政治の世界で、今日、物事が滞ってしまっているのは、決めごとが多すぎるからである。
もともと形式に流れるような風潮は、発展中の元気潑剌な国には少ないものだ。逆に、長い間の習慣が染みついた古い国には多くなる。
第6章
自分を磨くことは理屈ではなく、実際に行うべきこと。だから、どこまでも現実と密接な関係を保って進まなくてはならない。
素晴らしい人格をもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、その結果手にした豊かさや地位でなければ、完全な成功とはいえないのだ。
第8章
「信用こそすべてのもと。わずか一つの信用も、その力はすべてに匹敵する」
第9章
昔の教育が百人のなかから一人の秀才を出そうとしたのに対し、今日は99人の平均的人材をつくる教育法の、長所といえなくもない。
しかしその精神を誤ってしまったので、ついに現在のように並以上の人材があり余ってしまうという結果をもたらしたのだ。
第10章
人は、人としてなすべきことを基準として、自分の人生の道筋を決めていかなければならない。だから、失敗とか成功とかいったものは問題外なのだ。
とにかく人は、誠実にひたすら努力し、自分の運命を開いていくのがよい。
もしそれで失敗したら、「自分の智力が及ばなかったため」とあきらめることだ。逆に成功したなら「知恵がうまく活かせた」と思えばよい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。