「葉隠入門(三島由紀夫)」の名言をまとめていきます。
前半は著者の葉隠に対するコメント、後半は葉隠本文をピックアップしています。
葉隠入門
プロローグ
若い時代の心の伴侶としては、友だちと書物がある。
これは自由を説いた書物なのである。これは情熱を説いた書物なのである。
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というその一句自体が、この本全体を象徴する逆説なのである。わたしはそこに、この本から生きる力を与えられる最大の理由を見いだした。
行動家の世界は、いつも最後の一点を付加することで完成される環を、しじゅう眼前に描いているようなものである。
行動家の最大の不幸は、そのあやまちのない一点を添加したあとも、死ななかった場合である。
「葉隠」こそは、わたしの文学の母胎であり、永遠の活力の供給源であるともいえるのである。すなわちその容赦ない鞭により、叱咤により、罵倒により、氷のような美しさによって。
一
美しく死に、美しく生きることは困難であると同時に、徹底的に醜く生き、醜く死ぬことも困難なのが人間というものである。
人間が自由を与えられるとたんに自由に飽き、生を与えられるとたんに生に耐えがたくなることも知っていた。
「葉隠」のおもしろいところは、前提の違うものから出発して内容に共感し、また最後に前提の違いへきて、はねとばされるというところにあるといってよい。
二
時は人間を変え、人間を変節させ、堕落させ、あるいは向上させる。
しかし、この人生がいつも死に直面し、一瞬一瞬にしか真実がないとすれば、時の経過というものは、重んずるに足りないのである。
男の世界は思いやりの世界である。男の社会的な能力とは思いやりの能力である。
忠告が社会生活の潤滑油になることはめったになく、人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、恨みをかくことに終わるのが十中八、九である。
思想は覚悟である。覚悟は長年にわたって日々確かめられなければならない。
女にとっての鏡は化粧の道具であるが、男にとっての鏡は反省の材料であった。
人々は、けっしてしあわせのとき、くたびれない。
だらけた生を何よりいとう「葉隠」は、一分のすきも見せない緊張の毎日に真の生き甲斐を見いだしていた。それは日常生活における戦いであり、戦士の営みである。
三
われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ「葉隠」は、生きるか死ぬかというときに、死ぬことをすすめているのである。
それはけっして死を選ぶことだとは言っていない。なぜならば、われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。
もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくであろうか。
葉隠
聞書第一
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。
愚人の習ひ、私なくなること成りがたし。さりながら、事に臨んで先づその事を差し置き、胸に四誓願を押し立て、私を除きて工夫いたさば、大はづれあるべからず。
そもそも意見と云ふは、先づその人の請け容るるか、請け容れぬかの気をよく見分け、入魂になり、此方の言葉を平素信用せらるる様に仕なし候てより。
翌日の事は、前晩よりそれぞれ案じ、書きつけ置かれ候。これも諸事人より先にはかるべき心得なり。
世界は皆からくり人形なり。
不義を嫌うて義を立つる事成りがたきものなり。然れども、義を立つるを至極と思ひ、一向に義を立つる故に却って誤多きものなり。
大事の思案は軽くすべし。
小事の思案は重くすべし。
一度誤りたる者に候故請に立ち申し候。誤一度もなきものはあぶなく候。
曲者(したたか者)といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。
始末心これある者は義理欠き申し候。義理なき者はすくたれなり。
大雨の感と云う事あり。途中にて俄雨に逢ひて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下などを通りても、濡るる事は替らざるなり。
初めより思ひはまりて濡るる時、心に苦しみなし、濡るる事は同じ。これ万づにわたる心得なり。
始めに勝つが始終の勝なり。
芸は身を助くると云うは、他方の侍の事なり。御当家の侍は、芸は身を亡ぼすなり。何にても一芸これある者は芸者なり、侍にあらず。
盛衰を以て、人の善悪は沙汰されぬ事なり。盛衰は天然の事なり。善悪は人の道なり。
本気にては大業はならず。気違ひになりて死狂ひするまでなり。
名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきと思ふて、一度打ち向はば、最早その道に入りたるなり。
何様の能事持ちたりとて、人のすかぬ者は役に立たず。
人に超越する所は、我が上を人にいはせて意見を聞くばかりなり。
世に教訓をする人は多し。教訓を悦ぶ人はすくなし。まして教訓に従ふ人は稀なり。
聞書第二
不仕合せの時草臥るる者は、益に立たざるなり。
端的只今の一念より外はこれなく候。一念一念と重ねて一生なり。
人間一生誠に纔(わずか)の事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、すかぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚なることなり。
もとより、その位に備はりたる人よりは、下より登りたるは、徳を貴みて一入崇敬する筈なり。
人事を云ふは、大なる失なり。誉むるも似合はぬ事なり。
公事沙汰、又は言ひ募ることなどに、早く負けて見事な負けがあるものなり。
功者の咄等聞く時、たとへ我が知りたる事にても、深く信仰して聞くべきなり。同じ事を十度も二十度も聞くに、不図胸に請け取る時節あり。
聞書第三聞書第十一
当時気味よき事は、必ず後に悔む事あるものなり。
聞書第十一
軒を出づれば死人の中、門を出づれば敵を見る。
大業をする者は、ゆづがなければ成らざるものとなり。
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