「鼻(芥川龍之介)」の名言・台詞をまとめていきます。
鼻
禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あって、上唇の上から顋の下まで下がっている。形は元も先も同じように太い。
云わば、細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下がっているのである。
(本作の書き出し)
これは専念に当来の浄土を渇仰すべき僧侶の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。
それより寧、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。
内供は実にこの鼻によって傷けられる自尊心の為に苦しんだのである。
内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右される為には、余りにデリケイトに出来ていたのである。
自分で満足する程、鼻が短く見えた事は、これまでに唯の一度もない。時によると、苦心すればする程、却て長く見えるような気さえした。
内供は人を見ずに、唯、鼻を見た。しかし鍵鼻はあっても、内供のような鼻は一つも見当たらない。
その見当たらない事が度重なるに従って、内供の心は次第に又不快になった。
内供は、いつものように、鼻などは気にかけないと云う風をして、わざとその法もすぐにやって見ようとは云わずにいた。
内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏せて、この法を試みさせるのを待っていたのである。
勿論弟子の親切がわからない訳ではない。それは分っても、自分の鼻をまるで物品のように取扱うのが、不愉快に思われたからである。
鼻は──あの顋の下まで下がっていた鼻は、殆、嘘のように萎縮して、今は僅に上唇の上で意気地なく残喘を保っている。
こうなれば、もう誰も哂うものはないのにちがいない。
内供は始、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。
前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。
「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」
人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。
ところがその人がその不幸を、どうにかして切り抜ける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。
内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからに外ならない。
内供はなまじいに、鼻の短くなったのが、反て恨めしくなった。
こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。
内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。
(本作のラスト)
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