「吾輩は猫である(夏目漱石)」の名言・台詞をまとめていきます。
吾輩は猫である
一
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
縁とは不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、
吾輩は遂に路傍に餓死したかも知れんのである。
吾輩は猫ながら時々考える事がある。
教師というものは実に楽なものだ。人間と生まれたら教師になるに限る。
その後色々経験の上、朝は飯櫃の上、夜は炬燵の上、天気のよい昼は椽側へ寐る事とした。
吾輩は人間と同居して彼等を観察すればする程、
彼等は我儘なものだと断言せざるを得ない様になった。
いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。
まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。
元来人間というものは、自己の力量に慢じて皆んな増長している。
少し人間よりも強いものが出て来て窘めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。
御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。
二
元来人間が何ぞというと猫々と、
事もなげに軽侮の口調を以て吾輩を評価する癖があるは甚だよくない。
人間もこの位偏屈になれば申し分はない。
こんなところを見ると、
人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優っているかも知れぬが、
智慧は却って猫より劣っている様だ。
得難き機会は凡ての動物をして、好まざる事をも敢えてせしむ。
凡ての安楽は困苦を通過せざるべからず。
一方で自分の境遇と比べてみて羨ましくもあるが、
一方では己が愛している猫がかくまで厚遇を受けていると思えば嬉しくもある。
吾輩は大人しく三人の話しを順番に聞いていたが可笑しくも悲しくもなかった。
人間というものは時間を潰す為に強いて口を運動させて、可笑しくもない事を笑ったり、
面白くもない事を嬉しがったりする外に能もない者だと思った。
近頃は外出する勇気もない。何だか世間が慵うく感ぜらるる。
主人に劣らぬ程の無性猫となった。
三
この冒険を敢てする位の義侠心は固より尻尾の先に畳み込んである。
無駄骨を折り、無駄足を汚す位は猫として適当のところである。
他人の出来ぬ事を成就するのはそれ自身に於いて愉快である。
猫の足はあれども無きが如し、どこを歩いても不器用な音のした試しがない。
五
吾輩目下の状態は只休養を欲するのみである。
こう眠くては恋も出来ぬ。
して見ると主人に取っては書物は読む者ではない眠を誘う器械である。
活版の睡眠剤である。
世に住めば事を知る、
事を知るは嬉しいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。
吾輩は眠る。休養は敵中に在っても必要である。
六
贅沢は無能の結果だと断言しても好い位だ。
彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと云うが、
気楽でよければなるが好い。
そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。
七
どうも二十世紀の今日運動せんのは如何にも貧民の様で人聞きがわるい。
運動をせんと、運動せんのではない、運動が出来んのである、運動をする時間がないのである。
八
世の中に退屈程我慢の出来にくいものはない、
何か活気を刺激する事件がないと生きているのがつらいものだ。
九
鏡は己惚の醸造器である如く、同時に自慢の消毒器である。
十
試験してみれば必ず失望するにきまってる事ですら、
最後の失望を自ら事実の上に受取るまでは承知出来んものである。
日本の人間は猫程の気概もないと見える。情ない事だ。
人間にせよ、動物にせよ、己を知るのは生涯の大事である。
己を知る事が出来さえすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。
十一
人間とは強いて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう。
呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。
無理を通そうとするから苦しいのだ。
つまらない。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。