「群れるな(寺山修司)」の名言まとめ

「群れるな(寺山修司)」の名言をまとめていきます。

 

群れるな

人は弱いから群れるのではない。群れるから弱くなるのだ。

 

自分

犬のごとく吠えろ。キミもまた雑種ならば。

 

故郷というと田園を思いうかべる人がいるが、それは想像力の貧困というものである。

故郷というのは、実は「捨てる」行為によってたしかめられる自分の生い立ちの思い出のようなものなのかも知れない。

 

この世に「同じ場所」などない。

 

一度逃げはじめたものにとっては「逃げる」ことが生きることになり、どんな充たされた場所や条件を与えられたとしても、定住すること自体が桎梏であるということに気づき、「永久逃亡」のほかに、生きるすべがないということを悟るのである。

 

地方の若者たちはすべて家出すべきです。

そして、自分自身を独創的に「作りあげてゆく」ことに賭けてみなければいけない。帰ろうとおもえばいつだって帰ることはできるのですから……。

 

旅は出会いである。人は出会いの偶然をもとめて汽車に乗る。

 

あらゆる思想には、それぞれの正当性はある。

 

生きる

必然的な出会いなどということはまったく信じられない。偶然の機会が人生にも選択を迫ってくる。

 

ひとは、子供時代を唄うことによって、みずからの現在地をたしかめる。

 

あるときは勝って喜び、あるときは負けて口惜しがるのが人生であり、それを決して「平均」しないところに、一喜一憂の恍惚と不安があるのである。

 

失うことも、競馬の愉しみのうちなんだよ。

 

人生では敗けられないが、遊びでなら敗けられる。そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある。

 

美というものは、本来、何かを欠いたものです。完全な合理主義からは、美はおろかドラマも生まれてはきません。

 

しあわせ

過去の愛憎、恩怨の帳尻をあわせることばかり、くよくよしている人間は、現在を独立したものとして受け入れることはできない。

 

言葉

言葉は薬でなければならない。さまざまの心の傷手を癒すための薬に。

 

精神の屈折のない子に何で明日をまかせられるものか。

 

真実を手に入れようとしたら、上手にうそをつくことが必要です。

 

真実の最大の敵は、事実である。

 

「立派なことをいうが、あいつのしていることはいったい何だ」などという非難で、本末を転倒してはならない。

 

創造

空想とは現実を見る一つの方法論であり、現実とは、万人の空想に支えられた楼閣である。

 

墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばであれば、充分。

 

あした

「期待する」ということに期待しすぎると幻滅するものです。

 

死をかかえこまない生に、どんな真剣さがあるだろう。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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群れるな―寺山修司 強く生きぬく言葉