「人生の短さについて(セネカ)」の名言まとめ

「人生の短さについて(セネカ)」の名言をまとめていきます。

 

人生の短さについて

人生は使い方しだいで長くなる。なのに、ひとはそれを浪費して短くしてしまう。

 

ついに一生が終わり、死なねばならぬときになって、われわれは気づくことになるのだ──人生は過ぎ去ってしまうものなのに、そんなことも知らぬまに、人生が終わってしまったと。

 

なるほど、残りの部分はすべて、生きているとはいえず、たんに時が過ぎているだけだ。

 

じっさい、おまえがそんなことをしたのは、他者と共にありたかったがゆえではなく、自己と共にあることに耐えられなかったがゆえなのだから。

 

どれほどたくさんの人たちが、あなたの人生を略奪していったことでしょう。
もうおわかりでしょう。あなたは、人生を、十分に生きることなく、死んでいくのです。

 

 

生きることをやめなければならないときに、生きることを始めるとは、遅すぎるではないか。

 

なにしろ、幸運というものは、たとえ、外側から襲われたり、揺さぶられしなくても、(内側から)ひとりでに崩れ去っていくものなのだから。

 

まことに、あなたたちの人生は、たとえそれが千年を越える長きにわたったとしても、(浪費によって)最短の期間に短縮されてしまうであろう。

 

多忙な人間は、なにごとも十分になしとげることができない。
すべてのものを、むりやり押し込まれたかのように、吐き出してしまうのである。

 

すべての時間を自分のためだけに使う人、毎日を人生最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない。

 

先見の明があると自惚れている人たちの意見くらい、信用できないものがあろうか。

 

哀れな死すべき人間にとって、人生最良の日は、まっさきに逃げていく。(詩人、ウェルギリウス)

 

現在という時は、きわめて短い。なぜなら、現在はつねに動いていて、すばやく流れていくからだ。それは、到着する前に消えてしまう。

そして、天空や星々と同じように、決して遅れることもない。

 

閑暇のうちにあるときでさえ、多忙な人たちがいるのだ。
そんな人たちの生活を、閑暇な生活と呼ぶべきではない。むしろ、怠惰な多忙と呼ぶべきだ。

 

ああ、大いなる栄華というものは、われわれの心をどこまで愚かにしてしまうのだろう。

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すべての人間の中で、閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。

 

自然は、われわれに、すべての時代と交流することを許してくれる。ならば、われわれは、この短く儚い時間のうつろいから離れよう。

そして、全霊をかたむけて、過去という時間に向き合うのだ。過去は無限で永遠であり、われわれよりも優れた人たちと過ごすことのできる時間なのだから。

 

過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる人たちの生涯は、きわめて短く、不安に満ちている。

この哀れな人たちは、死が間近に迫ってから、自分が長い間ただ多忙なばかりで、何も意味のあることをしてこなかったことに気がつく。しかし、そのときにはもう手遅れなのだ。

 

彼らが高い代償を支払って手に入れた夜を、とても短く感じないことがありえようか。彼らは、夜を願って昼を失い、朝を恐れて夜を失うのだから。

 

絶大な幸せは、それがどんなものであれ、不安に満ちている。また、運というものは、たとえ幸運であっても、信頼がおけない。

幸福でありつづけるためには、さらなる幸運が必要になる。

 

不安の原因は、幸福からも不幸からも生まれ、決してなくならないだろう。

 

あなたの人生のうちのかなりの、そして間違いなく良質な部分は、国家に捧げられた。これからは、その時間を少しでも自分のために使いなさい。

 

多忙な人は、みな惨めな状態にある。その中でもとりわけ惨めなのは、他人のためにあくせくと苦労している連中だ。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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