「高瀬舟(森鴎外)」の名言・台詞をまとめていきます。
高瀬舟
それ(高瀬舟)を護送するのは、京都町奉行の配下にいる同心で、この同心は罪人の親類の中で、おも立った一人を大阪まで同船させることを許す慣例であった。
これは上へ通った事ではないが、いわゆる大目に見るのであった、黙認であった。
この舟の中で、罪人とその親類の者とは夜どおし身の上を語り合う。いつもいつも悔やんでも返らぬ繰り言である。
「なるほど島へゆくということは、ほかの人には悲しい事でございましょう」
「お上のお慈悲で、命を助けて島へやってくださいます。島はよしやつらい所でも、鬼のすむ所ではございますまい」(喜助)
「島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の本手にしようと楽しんでおります」(喜助)
彼と我れとの相違は、いわば十露盤の桁が違っているだけで、喜助のありがたがる二百文に相当する貯蓄だに、こっちはないのである。(羽田庄兵衛)
不思議なのは喜助の欲のないこと、足ることを知っていることである。(庄兵衛)
ただ漠然と、人の一生というような事を思ってみた。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。
万一の時に備えるたくわえがないと、少しでもたくわえがあったらと思う。たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多かったらと思う。
かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで行って踏み止まることができるものやらわからない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だ。(庄兵衛)
(弟を)苦から救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。
殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。(庄兵衛)
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