「不幸自慢を話す人は不幸であることによって特別であろうとする」を考える

「(不幸自慢を話す人は)不幸であることによって『特別』であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします」

「嫌われる勇気(岸見一郎、古賀史健)」の名言。
今回はこの言葉について考えていく。

感想と考察

不幸話をする人がいる。本人としては単に話題であり、また事実を話してるだけなのかもしれない。しかし本書では「特別」であるための手段と捉えている。

話している本人は「そんなつもりは無い」と反論するでしょう。しかし不幸話は、時として「不幸自慢」と言われることもある。結果として、そういう一面を持つのも事実であろう。

本書には次のことも書かれている。

「わたしたちの文化のなかで、誰がいちばん強いか自問すれば、赤ん坊であるというのが論理的な答えだろう。赤ん坊は支配するが、支配されることはない」

弱者であることにより相手を支配できる典型。赤ん坊はもちろん、弱者もわがままを言うことにより相手を支配する。

また本書にはやっかいな問題として次のことも書かれている。

「自らの不幸を『特別』であるための武器として使っているかぎり、その人は永遠に不幸を必要とすることになります」

ここでの弱者とは、「不登校」「ひきこもり」「自殺未遂」なども含まれる。その傾向が見られる限り、周りは悪い意味としても自分を特別扱いする。しかし復帰すると特別扱いは無くなり、ありのままの自分を評価される。

本人も苦しんでるのは理解するが、残念ながらそういう一面があるのも事実となる。

苦しい時に苦しいとアピールするのは正しいと考える。何も我慢する必要は無い。ただ弱さをアピールし続けるのは違うのかもしれない。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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嫌われる勇気―――「アドラー」の教え

→嫌われる勇気
→「問題は世界がどうであるかではなく」
→「怒りを感じた時の行動の意外な真実」
→「あなたが変われないでいるのは」
→「人間の悩みは、すべて対人関係の悩み」
→「もしも自慢する人がいるとすれば」
→「健全な劣等感とは理想の自分との比較」
→「すべての人間は同じではないけれど」
→「自分が正しいことを信じると」
→「相手の評価ばかり気にすると」
→「ほめるとは能力のある人が」
→「大切なのは他者を評価しないこと」
→「変えられるものと変えられないもの」
→「人間にとって最大の不幸は」
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