結果論は批判・非難ではなく、これからの対策に活用したい

世間では結果論による批判や非難が横行している。間違ってはいないが、何一つ状況が改善されないのも事実だ。

今回はこの件について考えていく。

結果論で批判や非難をしても意味が無い

結果論で批判や非難をするのは簡単だ。なぜなら既に間違っていると判断されたことを、間違っていると指摘すればいいだけだからだ。

 

もちろん指摘するのはいい。間違っていることを「間違っている」と言えない社会は、批判や非難が横行する社会よりさらに悪い状態と言って間違いない。

 

ただ指摘はあくまで状況をよりよくするためのもの。しかし現在の結果論による批判や非難は、相手を貶める行為自体が目的になっている。

まるで自分の攻撃欲求を満たすために行っているみたいだ。

 

悪いことに結果論で批判や非難をされる人は、どのような行動をしても相手のさらなる批判や非難を浴びてしまう。

 

黙っていたら、説明するように要求される。
説明したら、言い訳と非難される。
責任を取り辞任しても、「辞めればいいのか?」と非難される。
辞めなければ、口だけで責任を取っていないと非難される。

 

まさに何をしても見せしめのようなサンドバッグ状態だ。

 

結果論で大切なのは、批判や非難に利用することでは無い。次に同じもしくは似た状況になった時、対処できるような状態を作ることだ。

政治的問題とすれば、政治家自体を批判や非難しても結局別の誰かに変わるだけ。状況は何も変わらず同じことが繰り返される。

 

「どうなって欲しいか?」を提言するのは解決策ではない。「どう出来るのか?」という実施レベルの提案こそ本当に必要な解決策だ。

 

政治家を無能呼ばわりしながら、その政治家に政治を変えて欲しいと願っているのだから、私を含めてほとんどが同レベルなのだろう。

 

野村克也著「野球論集成」の中に次の言葉が載っているので最後に記しておく。

「歴史とは失敗の蓄積である。結果論が、次の成功するプロセスをつくる源になることも忘れてはならない」

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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野村克也 野球論集成

 

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