「いいかげんに生きる」他より心屋仁之助の名言まとめました

「いいかげんに生きる」他より、心屋仁之助の名言を作品別にまとめていきます。

作品リスト
「いいかげんに生きる」
「50歳から人生を大逆転」
「心が凹んだときに読む本」
「好きなことだけして生きていく」

いいかげんに生きる

言いたいこと

それでも、僕はあえて言いたいのです。
「いいかげんに生きて見よう」って。

自分のミスが許せない時がある。
同じことを人がミスしても許せるのに、自分のことだと許せない。
自分に厳しいのは悪いことではない。
しかしそれが積み重なると「すべて自分の責任」になり、とても耐えきれることではない。
自分に対して、優しい「いいかげん」な気持ちを持ちたい。

自分を優先すること

「~すべき」「~しなきゃ」を捨てて、「がんばる」をやめて、自分の「心地いい」や「好き」「やりたいこと」をやっていく。
つまり「自分」を優先してもいいんじゃなかなって。

怠けろと言ってる訳ではない。
大切な家族に対して優しくするのは問題ではない。
問題は「仕方なくしていること」に対して。
会社、近所付き合いなど、もし自分が耐えている状態なら思い切って捨てみる。
「大丈夫?」と考えましたか?
もちろん大丈夫ではない。色々な問題が起こるでしょう。
しかし「今も問題はあるのだから問題なし」と考えることも出来る。
もし耐え難い状況になっていたら、捨てる決断が必要です。

あなたが本当にしたいこと

そうするとわかるんです。
「自分はどうしたら心地良いのか」「自分は何が好きなのか」「自分は何をしたいのか」がね。

先程の自分優先を行った結果。
たしかに「自分はどうしたいか?」というのが、常に後回しになっている。
これって良くないですよね。

イライラ

あなたのお父さん、お母さんはいったい誰のことを責めてましたか?
誰のことを「ダメ」だと悪く言っていましたか?
そこに、あなたの頭の中の罪悪感の一つの答えがあるかもしれない、ということ。

これだけだと意味がわかりにくいですね。
本人に注意する時、誰か他の人を間接的に責めていなかったですか?
例えば「勉強しないとお父さんみたいになるよ」という感じ。
この「しなさい」、もしくは「してはダメ」という言葉が自分を縛りつける。
またそれをしない自分に、罪悪感を感じてしまうという悪循環が生まれる。
逆に言われなかった人は、罪悪感を感じないため両者の溝は深まるばかり。
罪悪感をなくすことは困難です。
しかし「しなければいけない」という脅迫観念は無くしたい。

うっとうしい特徴

罪悪感をもってる人は、超うっとうしい特徴があるんです。
それは、「人を裁く」という特徴です。

これはあなたの周りにもいるのでは?
「私はこんなにがんばってるのに、あなたは何でそうなんですか」という感じ。
がんばっているのは本人の問題であって、他人に押し付けるものではない。
しかしこのような人にとって、当然以外の何物でもない。
もし自分が同じ行動をとっていたら気をつけたい。

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我慢

あなたが、イライラを感じがちな人は、誰ですか?
それって、あなたが「我慢していること」をやってる人だったりするんですよ。

これはほとんどの人に共通するだろう。
並んでいる時に割り込まれたり、ダイエットの時に横でパクパク食べられたりした時など。
割り込みなどは、そのままだと「腹が立ち」、注意してもマイナス感情は取れない。
そのことから、気にしている時点でイライラは解決しない。
気にしないのが一番なのだが、それが一番難しい。

やりたいこと

他人の目を気にしなくていいとしたら、やりたいことは何?

普段は意識のあるなしに関わらず、本当にやりたことは出来ない。
空想として本当にやりたいことは何ですか?

自分へのサイン

だから体に不調があるとき、これは「自分で自分にわかってほしい」というサイン、じゃないかな。

体は正直です。無理をしたら体に変化が生まれます。
「なまけろ」とは言いませんが、少し休憩してもいいのでは?

するかしないか

「だから、やらない」か「それでも、やる」のか。

自分はしたいが周りが反対している行動を、するかしないかの問いかけ。
子どもの選択肢は狭いが、大人になると格段に広がっていく。
しかし周りの反応から、なかなか自由になれないのも事実。
例えば会社を辞める時、多くの人から反対されることが多い。
自分本位の人は自分の意思で決定できる。
しかし周りの目を気にしたり、安定を求める気持ちが強い場合、なかなか結論に達しない。
周りの目より自分の気持ちを大切にしたいもの。
その結果、たとえ失敗してもやり直しは出来るのです。

ときめかないこと

自分の人生で、ときめかない人とは会わないほうがいいし、ときめかない集まりには行かないほうがいいし、ときめかない仕事はしないほうがいい。

人とのつながりを考えると、自分の気持だけを優先することは出来ない。
しかし嫌いなことを続けるのは限界がある。
楽しそうな会に出席した後、精神的に疲れている自分がいたとする。
これは明らかに楽しくなかった証拠です。
周りの目を気にして楽しいと思いこんでいるだけ。
全て捨てる必要はない。
しかし捨てていい関係は、捨てることで新たな自分を発見出来るのでは?

ちょろいこと

世の中、ちょろいわ。

本書の締めの言葉です。
もちろん、ちょろくないですがこう思うことが大切。
おそらく多くの人の心配は、これから起こる何かに対する心配です。
しかしほとんどは、終われば問題なかったのでは?
世の中のことやこれからのことを「ちょろい」と思うだけで、不安のほとんどは無くなるのではないでしょうか?

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50歳から人生を大逆転

我慢は誰のため?

人のために、人のためにといいながら、他人の顔色ばかりうかがう人生だったと気づいたのです。

ある程度の年齢になった時に気づいたこと。
まず著者自身、頑張りすぎて我慢しすぎて、家庭を、そして自分自身をも壊しかけている。
何のために我慢している?
誰のための我慢している?
多くの人が相手のため、家族のためと言う。しかし本当は自分のためでは?
自分が好かれたいから、必要とされたいからでは?
本書では「嫌われてもいいじゃないか」というのが一つのテーマになっている。

迷惑

人の頼みを断らない人は、人に断られるといちいち傷つく。
だから人に頼まない。

人には頼まれるのに、人に頼まない人がいる。その本質がここにある。
「相手に悪いから」は言い訳。
頼まれることはこちらの問題になるが、頼むことは相手の問題になる。
また頼み慣れている人は、頼まれることを嫌がる傾向にある。
良く言えば要領のいい人、悪く言えば自分勝手な人です。
そのような人は自分を好いているわけではない。便利な人と考えているだけ。
それなら嫌われて頼まれないほうが楽というものです。

助け合い

迷惑をかけあって、助け合うことが信頼なのです。

ここで言う迷惑とは、イタズラや意地悪とは違う。
それぞれが持っている長所短所、得手不得手を相互に補完する協力のこと。
言い方をかえれば、相手が助けてくれない場合、信頼関係は生まれない。
一方的に助けて、疲れを感じていませんか?

50歳を過ぎたら

50歳を過ぎたら、もっとわがままになって、自分のやりたいことを、人の都合なんて考えずにやってみるといいと思います。
今までガマンしてきたんですから。

50歳に限らず、ある程度の年齢の人は、いろいろな責任を背負っている。
それを「ガマンせずに、やりたいように」と言われても戸惑うことでしょう。
全て止めろとは言わない。
しかしやりたいことや楽しいと思うことが無ければ、ガマンにも限界がある。
最低でも、ガマンは楽しさの後に来るべきです。

ガマンの連鎖

迷惑をかけないようにガマンしている人は、他人にも「ガマンしなさいよ」と言いがちだからです。

まったく、よく見る光景です。
普段ガマンしている人は、八つ当たりのようにガマンしていない人を責めている。
「自分はこんなに...」と考えている人がいると空気が悪くなる。
自分がそうなっていたら、決して好かれてはいないでしょう。

他人の評価

自分を殺して生きている人は、自分らしく生きている人に腹が立ちます。

どちらがいいという訳ではない。相性の問題になる。
今の自分がガマンして生きているなら、周りの仲間もガマンしている人が多い。
その方が意見も合うし、傷を舐め合うこともできる。
もし自分が「ガマンしない」生き方を選んだらどうなるだろか?
当然、今までの仲間から悪く言われるし、仲間ではなくなる可能性が高い。
それは問題だろうか?
その程度の仲間より、自分を大切にするほうがよほど価値がある。
そのうちガマンしない(大らかな?)仲間が自然に出来てくる。

イヤなこと

とりあえず、イヤなことを一度やめてみましょう。

今までしていたことを止めることは容易ではない。
周りからの非難も浴びるだろう。
しかしガマンにガマンを重ねてしているような作業があれば、止めてみることにより見える景色が変わってくる。
ただめんどうくさいからゴミの分別をしなかったり、車を運転しているけど、酒が飲みたかったからガマンせずに飲んだ、というのは社会のルールから外れますので論外ですが。

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大丈夫について

「うまくいく」場合だけじゃなく、うまくいかなくても「大丈夫」なのです。

大丈夫、という言葉は不思議です。保障も約束もないのに妙な安心感がある。
人は予定通りに進むほうがいいと考えがち。
しかし予定が外れたおかげで、さらによい結果が生まれることもある。
うまくいってもいかなくても、大丈夫と考えるだけで心が落ち着きます。

好きなこと

「好きなことをやろうと思っても、お金がない」という考え方では、いつまでたっても、やりたいことはできないでしょう。

同じような言葉で、「宝くじが当たったら会社を辞めてやる」というのがある。
本当にしたければ、お金を集める方法を真剣に考えるべき。
また会社を辞めたければ、宝くじに関係なく辞めればいい。
本人にも自覚はあるだろうが、自分と他人に言い訳しているだけになっている。

自分に対して

ふとやりたいと思った自分の気持ちを押し込めて、やらない。
それは、自分にウソをついているということです。

何となくやりたいことは沢山ある。しかし、ほとんどのことはやらない。
なぜだろうか?
それは損得や理由を考えてしまうため。
それをして得するのか、もしくは損するのか?
それをして意味があるのか?
しかし損得や意味などしてみないと分からない。
それなのにしないのは、自分に対して言い訳をしているだけ。
何か一つでも、とりあえずやってみては?

好きじゃないこと

「好きなことをして生きる」覚悟というのは、つまり「ホントは好きじゃないことをやめる」覚悟です。

好きなことをするよりも、好きじゃないことを止める方が大変です。
生活を支える収入のほとんどは、好きじゃないことから出来ている。
それを止めることが出来るだろうか?
「それは出来ないな~」と考えているなら、好きなことも出来ない。
好きなことだけをして生きていくのは簡単ではない。
楽しているように見えて、最初はとにかく大変。
しかしそれを乗り切った先には、今とは違う景色がある。
あなたが目指すものは何ですか?

自己評価

今の自分、全然理想どおりになってないし、まだあれ足りない、これ足りないと思っているけど、まあいいか~。

ずいぶんノーテンキな考え方。
しかし自分を低く評価したからといって、状況は改善されない。
ダメな自分を意識すると、努力も無意味に感じて投げ出してしまいがち。
それよりはノーテンキな考えで、日々考えていることを実施するほうが結果は付いてくる。
自分を許すという行為は、何よりもパワーになる。

問題の意味

「問題」って、問題を感じている人の問題です。

まるで禅問答のような言葉です。
例えば「遅刻」について考えてみる。
遅刻を「大ごと」と考えている人と、「大したことない」と考えている人がいる。
どちらも間違えではない。考え方の違いだけ。
このように遅刻であっても、問題と考えている人だけが問題としている。
根本的に違うのです。
分かり合おうとしても無理なので、それなりの対応に切りかえましょう。

どっちでも

うまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。

いつも、うまくいくなんてありえません。
どちらに転んでも気持ちだけは大らかにいきたいですね。

心が凹んだときに読む本

自身

一番の近道は──あなたが、あなた自身のことを「大切に」してあげることです。

凹まないための近道が書かれている。
凹んでいる時って、自分を滅多打ちにしているイメージです。
他の誰でもなく、自分自身で滅多打ちにしている。
その少しでも「大切」にシフト出来たら、随分違うのは知ってるのですけどね。

自分を喜ばせる

まずは、他人を喜ばせる言葉を、自分にかけてあげることから。
そして、自分を喜ばせる言葉を、次は他人にかけてあげる。

相手に何を言うかは気にするのに、自分に何を言うかは気にしない。
相手には喜んでもらおうとするのに、自分を喜ばせることに頭が働かない。
それは「自分を喜ばしても無駄」と考えている?
自分を喜ばせることも出来ないのなら、相手を喜ばせることはもっと出来ない。

嫌いな人

あなたの「隠しておきたい欠点」を見せてくれるのが、あなたが嫌いな人。
あなたの「気づいていな魅力や才能」を見せてくれるのが、好きな人や憧れる人。

好きな人については分かりやすい。
しかし嫌いな人については、どうなのだろうか?
当たっているような、当たっていないような?
何とも言えない。

体験

人は、自分自身が「体験」したものしか、本当にはわからない。

楽しさが分かるのは、楽しさを知っている人だけ。
苦しさが分かるのは、苦しさを知っている人だけ。
苦しさを知っている人が、苦しさを持っている人は理解しやすい。
しかし楽しさを知っている人が、楽しさを知らない人を理解するのは難しい。
自分が楽しいからといって、相手も楽しいとは限らない。

たくさんの「ある」

他人から見れば、たくさん「ある」のに、本人はそこに気づかない。

凹んでいる人は、自分には何も無いと考えがち。
しかし第三者の目で見れば、誰でも何かを持っている。
それに気づくか気づかないだけ。
ただ自分の「ある」ほど、気づかないものはない。

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問題

問題は、起こってから考える。

心配の多くは、これから起こる可能性を勝手に考えているだけ。
そして実際には起こらない方が多い。
焦りやプレッシャーなども始まる前は大きいが、始まったら落ち着くのはよくあること。
考えない訳にもいかないが、考えても仕方がないことは事実。
と言っても、考えるのが人でもありますがね。

言うこと言わないこと

言ってもわかってもらえないこともあるぐらいだから、言わないともっとわからない。

日本人同士の場合、どうしても「言わなくても分かっているはず」と考えがち。
しかし自分が相手を分からないように、相手も自分を分からない。
そのため一度は言った方がいいことをすすめている。
もちろんこれは、お互いに理解できている場合。
そうでなければ、こじれる場合も多いので注意は必要。

与える量

与えすぎると、受け取れないんだ。

人には与えるほど良いという考え方がある。
しかし過剰になると逆効果も発生する。
親が子供に与えすぎるとどうなるか、誰でも分かるだろう。
また「与える」を「教える」に変えることも出来る。
何も考えささずに教え続けると、部下はどのように育つだろうか?
必要なことは別として、わざと教えないのも優しさとなる。

怒りの原因

「まわりの出来事」が怒りの原因を生み出しているのではなく、まわりの出来事を「使って」自分の中で怒りを「思い出している」のです。

状況が怒りを生み出しているなら、誰もが同じ反応をするはず。
しかし多くの場合、怒る人と怒らない人がいる。
一般的には「性格」と考えられているが、ここでは「記憶」と考えている。
確かに怒る場合、「またか!」と考えることが多い?

相談

人が相談するときは、たいていもう自分で決めている。

全くその通り。
「どっちがいい?」などは本当に困る。
相談というより、逆を選ぶと不機嫌になる罰ゲームみたい。
個人的にこの質問には答えない。

好きなことだけして生きていく

頑張らない私

実は「頑張らない私」にも価値はあるのです。

勉強を頑張って、一流と呼ばれる学校に行く。
就職活動を頑張って、一流と呼ばれる企業に行く。
こういう人の価値は分かりやすい。
言い方を変えれば、これと逆の人は価値が無いと見られやすい。
しかしこれは学力や就活力の価値であり、人の価値全てではない。
「頑張らない」がいいことかは分からない。
しかし「頑張る」ことだけが価値では無いことも間違いない。

自分の決断

自分が好きなことだけをやろうと心に決めたのです。
自分がやりたくないことはやめよう、と心に決めたのです。

気がつけば頑張っている著者自身が、自分に言い聞かせてること。
日本人の多くが働くことを良しとしています。
働くことが嫌いな人でも、働く方が良いとは考えているはず。
その状況で「頑張って働かない」という選択は、意外と苦しいものです。
では「苦しい選択をするのか?」という問いかけは、後に回します。

順番

あなたが思うことが最初です。
この順番を間違ってはいけません。

人に好かれたから自分を好きになるではなく、自分を好きになるから人に好かれる。
人に嫌われたから自分を嫌いになるのではなく、自分を嫌いになるから人に嫌われる。
このように自分が思うことが相手にも伝染する、という考え方。
個人的な感覚では、これは「こうなる」ではなく、「こう感じる」ではないだろうか?
よく言われるコップの水と同じで、「もう半分」「まだ半分」の違いです。
言葉は同じでも、全然印象が変わることがある。
気の持ちようが大きいということですね。

ハードル

ハードルなんていらない、と気づくことが、本当の自分の価値を見つけること。

ハードルもしくは壁というやつです。
努力して越えれればいいが、挫折することも多い。
けど楽をして避けてしまえば、多くの人から非難を受けてしまう。
だから無理を承知で挑戦してしまう。
言ってることは分かるが、これはちょっと極端に感じる。
ハードルなんていらないになってしまうと、根本的な物を無くしてしまう気がする。
大切なのは「越えるべきハードルなのか?」を、見極めることでは無いだろうか?

失敗

失敗するのが怖い人は、いっぱい練習してもプロになれないのが怖いので、最初から練習しません。

読んだまま。皮肉屋の人に多そうです。
こういう人からは得るものは無いため、無視するのが一番ですね。

確実なこと

本当に好きなことをやろうと思ったら、人に迷惑をかけてしまうかもしれません。
人から非難されたり、嫌われたり、バカにされたり、妬まれたりする可能性もあります。
いや、可能性ではなく、確実にそうされます。

転職もしくは独立した人なら、間違いなく経験があるだろう。
私自身も、嫌というほど経験しています。
しかも言ってる方は「善意」と思ってるため、さらに厄介度は増して行く。
こちらがいくら話しても、ダメな点をこれでもかとまくしたてる。
書いているように、言われて当たり前として受け流すしか方法は無い。

幸せ・不幸せ

結局、何が幸せで何が不幸かは、その人自身が決めること。
他人がとやかく論評したり、ましてや責任をとることはできません。

お金があるから幸せではなく、お金が無いから不幸とは限らない。
結婚してるから幸せではなく、結婚していないから不幸とは限らない。
幸せと不幸は絶対的なものではなく、人それぞれの相対的なもの。
他人に幸せと思われてるが、自分では不幸と感じていること。
他人には不幸と思われてるが、自分では幸せと感じていること。
どちらかしか選べないとしたら、あなたはどちらを選びますか?

頑張らないことを頑張る?

今までと逆の生き方をしようと思ったら、最初は頑張らないことを頑張ってもいいのです。

少し難しい言い回しですね。
例えば、頑張らないために定期的に休憩を取ることを決めたとします。
しかし今までの習慣などから、定期的に休憩を取ること自体に違和感を感じるもの。
すぐ仕事のことを考えてしまったり、10分の予定が忙しいからと5分にしてしまったり。
こういう感じで例外を作ってしまうと、その内に結局なかったことになるものです。
そのため頑張って仕事のことを考えない、頑張って10分間は休憩すると決める必要がある。
習慣になるまでは、頑張らないことを頑張る必要があるということです。

誰の問題?

嫌われているのは、嫌われたあなたの問題ではなく、嫌うあの人の中に問題がある。

自分を対象とするのではなく、別の物で考えると分かりやすい。
野球を嫌いな人がいたとする。しかし野球に問題があるとは誰も思わない。
肉料理が嫌いな人がいたとする。しかし肉料理に問題があるとは誰も思わない。
もちろん低レベルの野球、多くの人が不味いと感じる肉料理なら問題があるかもしれない。
しかし草野球を楽しむ人もいるし、味覚などは人それぞれなので何が正しいかは分からない。
最初に戻ると、嫌ってる人がいたとしても、全員が嫌ってる訳では無いということです。

理由

「本当に好き」の裏側には「損か得か」「正しいか間違っているか」という理由がはりついていたのです。

好きな教科は、得意な教科と同じことが多い。高い点数が取れる「得」がある。
好きなスポーツは、得意なスポーツであることが多い。人より優位に立てる「得」がある。
肉より野菜を多く食べる人がいる。好きとしても、健康にいいと考える「正しさ」がある。
これが全てではないが、好きの裏側には打算があることが多いのも事実だ。
そう考えると、本当に好きなことをしている人は少ない。

隠すこと

人はみんな自分の好きなことをちゃんと知っている、ということです。
知っているがゆえに必死で隠そうとしています。

誰もが好きなことをして生きていきたい。
しかし出来ないと考えるため、今の状況を受け入れてる。
よくある「宝くじが当たったら」との質問にも、本当に好きなことを話す人はいない。
一般的なことを話して終わることが多いのは、誰もが知るだろう。
誰もが出来なかった自分を認めたくは無いですからね。

安全と楽しむ

安全を求めると、「楽しむ」を忘れます。

勉強してレベルの高い学校を目指すのは、安全を求めています。
嫌な会社でも残ることを選択するのは、安全を求めています。
本当に医者や弁護士になりたくて勉強するなら、それはチャレンジになり楽しみがある。
しかしそうでないとすれば、権利ではなく義務に近いものとなる。
安定や安全を求めるのは否定しないが、面白くはないですよね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 
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