「好きなことだけして生きていく(心屋仁之助)」の名言まとめました

「好きなことだけして生きていく(心屋仁之助)」の名言をまとめていきます。

好きなことだけして生きていく

実は「頑張らない私」にも価値はあるのです。

勉強を頑張って、一流と呼ばれる学校に行く。
就職活動を頑張って、一流と呼ばれる企業に行く。
こういう人の価値は分かりやすい。
言い方を変えれば、これと逆の人は価値が無いと見られやすい。
しかしこれは学力や就活力の価値であり、人の価値全てではない。
「頑張らない」がいいことかは分からない。
しかし「頑張る」ことだけが価値では無いことも間違いない。

自分が好きなことだけをやろうと心に決めたのです。
自分がやりたくないことはやめよう、と心に決めたのです。

気がつけば頑張っている著者自身が、自分に言い聞かせてること。
日本人の多くが働くことを良しとしています。
働くことが嫌いな人でも、働く方が良いとは考えているはず。
その状況で「頑張って働かない」という選択は、意外と苦しいものです。
では「苦しい選択をするのか?」という問いかけは、後に回します。

あなたが思うことが最初です。
この順番を間違ってはいけません。

人に好かれたから自分を好きになるではなく、自分を好きになるから人に好かれる。
人に嫌われたから自分を嫌いになるのではなく、自分を嫌いになるから人に嫌われる。
このように自分が思うことが相手にも伝染する、という考え方。
個人的な感覚では、これは「こうなる」ではなく、「こう感じる」ではないだろうか?
よく言われるコップの水と同じで、「もう半分」「まだ半分」の違いです。
言葉は同じでも、全然印象が変わることがある。
気の持ちようが大きいということですね。

ハードルなんていらない、と気づくことが、本当の自分の価値を見つけること。

ハードルもしくは壁というやつです。
努力して越えれればいいが、挫折することも多い。
けど楽をして避けてしまえば、多くの人から非難を受けてしまう。
だから無理を承知で挑戦してしまう。
言ってることは分かるが、これはちょっと極端に感じる。
ハードルなんていらないになってしまうと、根本的な物を無くしてしまう気がする。
大切なのは「越えるべきハードルなのか?」を、見極めることでは無いだろうか?

失敗するのが怖い人は、いっぱい練習してもプロになれないのが怖いので、最初から練習しません。

読んだまま。皮肉屋の人に多そうです。
こういう人からは得るものは無いため、無視するのが一番ですね。

本当に好きなことをやろうと思ったら、人に迷惑をかけてしまうかもしれません。
人から非難されたり、嫌われたり、バカにされたり、妬まれたりする可能性もあります。
いや、可能性ではなく、確実にそうされます。

転職もしくは独立した人なら、間違いなく経験があるだろう。
私自身も、嫌というほど経験しています。
しかも言ってる方は「善意」と思ってるため、さらに厄介度は増して行く。
こちらがいくら話しても、ダメな点をこれでもかとまくしたてる。
書いているように、言われて当たり前として受け流すしか方法は無い。

結局、何が幸せで何が不幸かは、その人自身が決めること。
他人がとやかく論評したり、ましてや責任をとることはできません。

お金があるから幸せではなく、お金が無いから不幸とは限らない。
結婚してるから幸せではなく、結婚していないから不幸とは限らない。
幸せと不幸は絶対的なものではなく、人それぞれの相対的なもの。
他人に幸せと思われてるが、自分では不幸と感じていること。
他人には不幸と思われてるが、自分では幸せと感じていること。
どちらかしか選べないとしたら、あなたはどちらを選びますか?

今までと逆の生き方をしようと思ったら、最初は頑張らないことを頑張ってもいいのです。

少し難しい言い回しですね。
例えば、頑張らないために定期的に休憩を取ることを決めたとします。
しかし今までの習慣などから、定期的に休憩を取ること自体に違和感を感じるもの。
すぐ仕事のことを考えてしまったり、10分の予定が忙しいからと5分にしてしまったり。
こういう感じで例外を作ってしまうと、その内に結局なかったことになるものです。
そのため頑張って仕事のことを考えない、頑張って10分間は休憩すると決める必要がある。
習慣になるまでは、頑張らないことを頑張る必要があるということです。

嫌われているのは、嫌われたあなたの問題ではなく、嫌うあの人の中に問題がある。

自分を対象とするのではなく、別の物で考えると分かりやすい。
野球を嫌いな人がいたとする。しかし野球に問題があるとは誰も思わない。
肉料理が嫌いな人がいたとする。しかし肉料理に問題があるとは誰も思わない。
もちろん低レベルの野球、多くの人が不味いと感じる肉料理なら問題があるかもしれない。
しかし草野球を楽しむ人もいるし、味覚などは人それぞれなので何が正しいかは分からない。
最初に戻ると、嫌ってる人がいたとしても、全員が嫌ってる訳では無いということです。

「本当に好き」の裏側には「損か得か」「正しいか間違っているか」という理由がはりついていたのです。

好きな教科は、得意な教科と同じことが多い。高い点数が取れる「得」がある。
好きなスポーツは、得意なスポーツであることが多い。人より優位に立てる「得」がある。
肉より野菜を多く食べる人がいる。好きとしても、健康にいいと考える「正しさ」がある。
これが全てではないが、好きの裏側には打算があることが多いのも事実だ。
そう考えると、本当に好きなことをしている人は少ない。

人はみんな自分の好きなことをちゃんと知っている、ということです。
知っているがゆえに必死で隠そうとしています。

誰もが好きなことをして生きていきたい。
しかし出来ないと考えるため、今の状況を受け入れてる。
よくある「宝くじが当たったら」との質問にも、本当に好きなことを話す人はいない。
一般的なことを話して終わることが多いのは、誰もが知るだろう。
誰もが出来なかった自分を認めたくは無いですからね。

安全を求めると、「楽しむ」を忘れます。

勉強してレベルの高い学校を目指すのは、安全を求めています。
嫌な会社でも残ることを選択するのは、安全を求めています。
本当に医者や弁護士になりたくて勉強するなら、それはチャレンジになり楽しみがある。
しかしそうでないとすれば、権利ではなく義務に近いものとなる。
安定や安全を求めるのは否定しないが、面白くはないですよね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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「好きなこと」だけして生きていく。

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