「もう怒らない(小池龍之介)」の名言まとめました

「もう怒らない(小池龍之介)」より名言をまとめていきます。

もう怒らない

怒りの元凶

イライラ、ブツブツと暴走する考えごと、それが元凶です。

冒頭の言葉です。
昨日までのこと。
今日のこと。
明日以降のこと。
周りの迷惑な人を見てのこと。
などは考えても無意味と知っている。それなのに勝手にイライラしている。

欲望

欲望が、人のやる気を失わせて元気を喪失させる、ストレス要因であることを、ほとんどの人が理解していません。

欲望とは、「オリンピックで金メダルを取る」などの目標とは異なり、単純に「車が欲しい」とか「旅行に行きたい」などのこと。
そのために努力するのはいい
しかし順調にいかないことは多く、不平不満が怒りとなりストレスになる。
欲望が先にある場合、初めから失敗する要因を抱えていることになる。

欲望が実現しないこと

欲望が実現しないと、そのことによる苦しみを受けるのみならず、「この欲望さえ実現すれば幸せになれるはずなのに」式の妄想に取り付かれてしまいます。
そこに待ち受けているのは、今の自分が幸せでないの「魔法の石」が手に入らないせいだ、「魔法の石」さえ手に入れば幸せになれたはずなのに...という妄想ループです。

多くの人が、「自分のこと」と感じたのでは?
あの時こうしていればとか、あの時買っていればとか、過去を省みて今の現状を考えることに意味はない。
もちろん、そんなことは誰もが知っている。ただ認めたくないだけ。
そして残念ながら、それが手に入っても現状は変わらない。
それは毎年のように出る、新しいダイエット商品や投資商品が物語っている。
それだけで完結できる、「もの」も「こと」も無いのです。

自分へのご褒美

今取り組んでいる仕事が終わったら自分にご褒美を与えようという、ささやかな欲望はどうでしょうか。
表面的にはそれによってやる気が出るように見えても、長期的な視野で見れば、ストレスを増やすことにしかなっていないのが、残酷な現実です。

多くの人が同じことをしているし、むしろ世間的には勧めていることも多い。
なぜこれがいけないのか?
その理由は簡単です。単純に、「目の前の仕事をやりたくないから」です。
現実から目をそらしており、仕事は苦痛と割り切っている。
もちろん生きていくために働く必要はある。
楽しいことばかりではないのは当たり前。
しかし自分へのご褒美を与えないと、作業が出来ないとしたら重症と言える。
あくまで作業と自分へのご褒美は分けて考えたい。

聞き上手

近年では「聞き上手」の大切さが闇雲に宣伝されています。
ですが、マニュアル本を読んで小手先のテクニックを身につけることは、お勧めしません。
「聞き上手」のかたちそのものより、そのかたちを可能にする上品な心を育むほうが、遥かに実践的なのです。

まったくその通りだが、そんな高いレベルにはなかなか行けない。
努力は大切だが、今を改善したい人には残念ながら間に合わない。
ただ知識だけの聞き上手は、相手のストレス発散のために利用され、自分のストレスは増えていく可能性がある。
ただ聞いているだけで、相手と仲良く見えるだけの関係は無意味である。

意見や感想

意見や感想を口に出して話すとき、そこにはどうしても「自分の感想が正しい、君もその感想を共有してほしい」という欲望が潜入します。

確かに、「あの映画面白かったよね」や「あのアイドル可愛いよね」と聞く時は、相手の意見ではなく同意を求めている。
そこで「面白くなかったけど?」とか「どこが可愛いの?」と返すと、イラッとしたり反論したりすることが多い。
相手に強要している訳ではないが、否定された気分になる。
別に相手は、否定している訳では無いですけどね。

スポンサーリンク

思い知らされるゲーム

生きることは、現時点の自分はどのような目にあうのがふさわしいのかを朝から晩まで思い知らされるゲームのようなものです。
思いを知るきっかけをすべて見て見ないフリをして、根こそぎ「なかったこと」にしようとすることが、怒ることの本質ではないでしょうか。

これを読んだとき「ドキッ」とした。何か触れてはいけないものに触れた感覚。
残念ながら人は平等ではない。
立場により頭を下げる人下げられる人、命令する人される人に分かれる。
確かに、今の自分の立場を思い知らされる。
しかしこれを見返そうとする欲望はストレスになる。
自分に見合った努力に留めたい。

怒りについて二つの扱い

世間的に怒りについては、二つの扱いがあります。
一つは、我慢して抑圧するというやり方。
もう一つは、怒りは人間の自然な感情であり抑圧するのはよくないから発散してぶつけるというやり方です。
仏道的にはどちらも誤った対処法です。

まず結論から言えば正しいのは、「それ以前に怒らない」
怒らなければ、抑圧することも発散することも不要になる。
しかしそれが出来れば、苦労しないというのが現実。
そもそも、「怒らない」でいることは出来るのだろうか?

怒りへの対策

怒ってしまったときは、抑圧でも発散でもない、第三の道を選びましょう。
それは、怒りの感情を客観視して穏やかに受け入れるという道。
自らの心を「あーあ、怒っているんだね、君」といった具合に見つめて、心が怒りに占領されている有り様を客観視する方法です。

怒りというのは些細なことが多い。
周りが何故怒っているのか分からないことも多い。
自分で振り返ってみた時、怒るほどではなかったと思うこともある。
そのため怒った時点で、第三者的な視点に立つと怒りが収まる。
しかし怒るほどの状況の時、客観視出来る冷静さを保つことは困難。
やはりまず、怒りを少なくすることは必要となる。

嫌な言葉

「嫌な言葉」もしょせんは「ただの音」

何かバッサリという感じです。このように聞き流したいものですね。

乗り越える方法

どのような感情も、原材料を把握して、バラバラに分解すれば、乗り越えることができるものです。

怒りというのは、自分に気持ちが向いている状態です。
それを、自分の気持ちと相手の気持ち。
怒った理由やその後の状況、その結果による未来。
このように、個別に理性的に考えるのが好ましい。
怒りの理由の100%が相手にあるわけではない。
また相手がわざとしていることもほとんどない。
なかなか難しいが、このように自分中心から外れたい。

リアルな感覚

リアルな感覚を意識すると、心が体に一致していくのが感じられるようになります。
それに伴って、頭の中の雑念もスーッと静まってゆきます。

リアルな感覚とは、自分の各部分について意識を持っていくこと。
手や足、呼吸などに意識を集中することで、雑念が消えていく。
特に腹式呼吸などは意外と難しく、最初は他のことを考える余裕がなくなる。
初めは一時的な効果かもしれないが、継続していくうちに体のほうが慣れていく。

空気を読むこと

このように下手に空気を感じとってしまうと、空気に無理矢理合わせることでストレスを感じるか、空気に無理矢理逆らうことでストレスを感じるかという、ろくでもない選択肢をつきつけられるはめになります。

学校、会社、近所付き合いなどに当てはまる。
空気を読んだ行動とは、自分の話したいことではなく、みんなが聞きたいことを話すこと。
みんなが「Aが好き」と言ってる時、「Bの方が好き」と言えば、めんどくさいことになる。
空気を読むとは何なんですかね?

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

アマゾンリンク
もう、怒らない (幻冬舎文庫)

→インデックス

スポンサーリンク

関連記事&スポンサーリンク