「『他人』の壁」の名言まとめました

「『他人』の壁(養老孟司、名越康文)」より名言をまとめていきます。

「相手のことが分からない」
このことで悩んでいる人は多い。
しかし、全て分かる必要なんてあるのだろうか?
「バカの壁」の著者として有名な養老孟司さんと精神科医として執筆作も多い名越康文さんの対話により、その点を鋭く切り込んでいく。

割り切り

僕に言わせると、なんでわからなきゃいけないのかという話なんですけどね。

他人が理解できないことに対して。
「分からないから、分からなければいけない」
人は、このように考えてしまう。
しかし、「分からないのは伝えない相手が悪い」とも言える。
「察しろ」、なんて知ったことではないですからね。

相手の意見

議論を繰り返してわかることは、「ほんの少しのことでも、相手の意見を変えさせるのは難しい」ということ。

これは多くの人が体験で知っているはず。
正しいことの多くは、自分が正しいと考えているだけ。
相手にとっての正しさとは異なることが多い。
お互いが正しいと考えていれば、わざわざ間違った意見に変えようとは思わない。
また感情的なことなら、自分が間違っているのを知ってても、変えることは困難。

相手のため、自分のため

自分が人としてよくあらんとか、世に貢献しなければならないとか、医者として一人前にならなければとか、それって全部がピリピリとした自意識から出ているかぎりエゴイズムですからね。

「相手のため」「人のため」とよく聞くが、最終的には「自分のため」
会社の標語に「社会貢献」があるが、最終的には会社を継続する手段にすぎない。
しかし、それでいいと思います。
自分を大切にできる人だけが、本当の意味で他人も大切にできる。
もちろん、自分の利益を大切にする人は別ですので。

自分のこと

人のことをわかりたいというのは、裏を返せば自分のことがわからないということなんです。

「自分のことは自分が一番知っている」
よく聞く言葉だが本当だろうか?
たしかに自分が今考えていることは分かる。
しかしクセや病気の可能性などは、意外と分からないもの。
自分のことも分からないのに、人のことなんて分かるわけがない。

師匠

師匠だけは尊敬できる人選ばなきゃ駄目だ。

師匠と弟子の関係は能力だけではなく、性格も受け継ぐことが多い。
なぜか似てしまう。
そう考えると能力だけではなく、人として尊敬できるのは重要な要素になる。

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仕事

辞めればいいんですよ。だって、自分で好きでやっているんでしょ。
今は仕事なんて全然困らないよ。

これは難しいですね。
自分の能力に自信があれば、書いている通りにできるだろう。
しかしレベルダウンが待ってたり、家族などの将来に影響が出そうなら、「イヤだから辞める」は通じない。
ただイヤなことを、仕方なく続けるのが正しいとは思えませんが。

意味の有無

「それ、なんか意味あるんですか」って聞いてくる。
逆に聞きたいけどね、おまえに意味があるのかって、おまえが無意味に生きていることを俺はちゃんと許容しているじゃないかと。

趣味についてのことですが、売り言葉に買い言葉ですから、これでは喧嘩になりそうですね。
ただ好きでやっていることに対して言われると、言い返したくなるもの。
似た言葉に、「それ、面白いの?」がある。
面白さの感覚なんて人それぞれなのに、なぜ聞きますかね?

現実の世界

世の中にはもう、俺とは別な世界ができてしまっている。

世の中における常識や普通と言われることに対して。
本当に自分の考えていることと、世間が考えていることにはズレを感じる。
常識や普通は、多くの人が本当に考えていることなのか?
それとも多くの人が誰かの考えに、ただ同調しているだけなのか?

誤解の累積

あまり正面から真面目に聞いていると、お互いの間に誤解がどんどん積み重なっていくことがあるんですよ。

精神科医として、カウンセリングを行っている時のこと。
全てを聞くのではなく、大切なこと以外は聞き流すのも必要。
誰もが理路整然と話せるわけではない。
まして精神科医に通うような状態の時、感情を優先させる話になるほうが普通。
相手が話していることではなく、話したいことを拾い上げる。
相談にのる時には大切なことになる。

心とは瞬間ごとに変化し続ける運動である。

仏教の教えです。
気持ちや考え方は常に変化する。変化を受け入れること、不変であること。
上手く使い分けたいですね。

子どもについて

手入れは必要だけど、見守っていればいいんです。管理はダメなんです。
手入れはある方向へ自然に誘導していくけど、管理は上から抑えて縛りつけますからね。

「手入れ」という表現がいいのかは悩むところだが、考え方には賛成です。
何でも親が考えた通りの教育を、子供にすることが正しいとは思えない。
もちろん全て悪いとは言わないですが、歪を感じる。
間違いですら、未来の正解への道標になる。
崖から落ちないように配慮さえしていれば、崖の端に行くことは許すべきです。

欲について

欲から自由になることは、欲を持たないということではない。

仏教の教えです。
欲自体は悪いことではない。欲を欲求と捉えれば、進歩するためには必要なこと。
ただ際限のない自分に対する欲だけを考えてしまうと、おかしなことになる。
欲は持っても卑しくはなりたくない。

自分の死

自分の死に一番関係ないのが自分だからね。

自分が死んだ時、自分が困ることはない。
困ったり大変なのは、あくまで残された人達になる。
極論になるが、その通りですね。
ただ天国とか地獄とかいう死後の世界があるのなら、自分も困るかも?

辛抱している人

追い詰められて辛抱している人が増えてくると、こんどは他人に要求するようになるんですよ。

自分が休めない状況の人は、他人が休むのに厳しくなる。
残業が続いている人は、定時退社している人に苛立ちを覚える。
非常によく見る光景です。
また定時退社の人に、「今日も早いね...冗談、冗談」的なことを言う人がいる。
上司や先輩が言えば、どう考えても冗談には聞こえない。
頑張るのは自由だが、人を頑張らせるのは自由ではない。
その当たり前のことを人は忘れがちになる。

自己責任

良くも悪くも、今までの自分たちのやり方がこれを招いたという考え方に至らない。
だから本質に気づくことができない。

これは現在の政治に対してですが、それだけではないですよね。
「昔は良かった」と多くの人が言う。しかしその、昔の結果が今になる。
この言葉を言った時点で、自分を批判していることに気づくべき。
と言うのはちょっと厳しいですかね?

世界の中の意味

世界を「意味」で満たすというのは、実はそのくらい恐ろしいことでもあるんですよ。

「意味がある」ことに価値を見出すと、「意味がない」ものには価値が無くなってしまう。
しかし意味の有無なんて、人によってさまざま。
「数学なんて勉強しても意味がない」という人がいれば、数学者にとっては意味がある。
そして意味を感じている人にとって、意味を感じていない人は憎悪の対象になる。
意味の有無にかかわらず、人それぞれが感じている価値を認めたい。

そういうもんだ

そういうもんだと思った瞬間に、思考は止まるんです。

子供は、「なぜ?」とよく聞きます。
しかし大人になると常識や決まりなどを覚えて、「なぜ?」を考えなくなる。
なぜ考えないかと言えば、やっぱり楽だからだろう。
考えることは疲れる。しかし常に疑問を持って、日々を過ごしたい。

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無常

上から目線で「こいつはダメだ」と怒っている人というのは、仏教でいう「無常」を知らない。

あくまで、「無常」であって「無情」ではない。
無常とは、常に変化していることと考えて下さい。
今はダメな人でも、変わる可能性を持っている。
そのため「ダメ」と怒っている人は、「その程度も知らないのか!」となる。

感想

少し難しそうなタイトルだが、意外と砕けた内容です。
また対話形式のため非常に分かりやすく、そして面白い。
「他人なんてわからない。少しわかれば十分だ」
この気持ちで人と接すれば、少しは楽になれそうです。
対人関係を見直したい人に、おすすめの一冊です。

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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