「自分に気づく心理学(加藤諦三)」の名言まとめました

「自分に気づく心理学(加藤諦三)」の名言をまとめていきます。

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自分に気づく心理学

1章

事実というのは、人によって全くその重みが違う。この一点をお互いに理解することで人間関係の私的なトラブルはどのくらい避けられるか分からない。

 

自分を傷つけた言葉は、相手にとってどうでもいいことかも知れない。

 

小さい頃やさしさに接することのなかった人は、他人から拒否されるのを恐れ、自分という存在の許しを訴える。しかし、それらの人は拒否されることを恐れる必要はないのである。

 

尽くすというかたちでしか相手との関係を維持できない人ほど、人から尽くされたいと激しく欲しているのである。これほど尽くされたいと望んでいる人はいない。

 

2章

自信というのは、決して他人の評価から生まれてくるものではない。他人がそれほど高く評価していなくても、生きることを楽しみ、いつも気持の安定している人もいる。

 

依存はよくない。これに異論はない。

しかし、それはよく読みちがえられる。大人になって依存的であることがよくないということは、大人になるまえに依存の欲求を満たしておくことが望ましいという意味なのである。

 
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3章

相手の不満は決して自分の責任ではない。相手が心理的に不満になっているのは自分が悪いからではない。

ところが自信のない人は、心身ともに欲求不満な人を眼の前にすると、自分の責任であるかの如き感じ方をしてしまうのである。

 

劣等感のある人はたった一人で敵陣の中にいるようなものだというのは、人間の動物的本能の素晴らしさと限界をものがたっている。

 

卑怯な人間は道徳や規範を持ちだして弱い人間から心身ともに搾取する。つまり反抗を封じるのに道徳ほど都合のよいものはない。

要するにあなたは同じ人間と見られていないのである。あつかい易い人間として見くびられているだけなのである。

 

4章

離婚した親で自分は良い親と思っている人は一人もいない。皆自分は親として失格だったと反省していることだろう。
しかし最低の親というのは決して離婚しない親だということも忘れてはなるまい。

 

この世の中には地獄からの使者を愛の人と間違えたり、地獄からの使者が自らを愛の人と思っていたりすることがある。

 

不愉快というのは眼をそむけた欲求不満である。

 

支配的な親に育てられると、子供は自分の世界を持つことに罪悪感を持つようになる。

 

隠された依存性を持つ者同士は、傷つけあいながらも、相手に依存しようとしているから別れることができない。

 
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5章

人間なんだからお互いに理解できる筈だなどと言う人は、平気で他人を傷つけられる人である。

 

実際の自分を隠す人は、隠すことで好かれようとしながら、逆に嫌われているのである。

 

本気でその女性のことを思いやり、できれば人生を共にしたいとさえ願っている男性の言葉がどうしても信じられず、遊びだけの男性のウソだけの甘い言葉をいとも容易に信じてしまう女性というのは、自分では気づかない依存性を残しているのである。

 

6章

どんなに淋しくても、さびしいと感じられれば、それは悲劇であっても生きていける。それは悲劇であっても、悲劇なりの救いはある。

しかし淋しいのに、淋しいと感じることが許されていない人には救いがない。

 

7章

他人に心理的に依存しなくなってはじめて、他人の好意を感じられるようになる。

 

自分は愛されない存在だと決め込んだのは自分である。今度は「自分は生きるに値する存在なのだ」と自分で決断しなければならない。

 

大事なのは本気で自分にやさしくなろうとすること。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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