「もう、怒らない(小池龍之介)」の名言をまとめていきます。
もう、怒らない
はじめに
考えごとは現実でも事実でもない、妄想の世界。
その中に常に心を引きこもらせているなら、生きていないも同然、リアルな現実を感じられなくなるので、ストレスも溜まって当然、ということになります。
第一章
欲望が、人のやる気を失わせて元気を喪失させる、ストレス要因であることを、ほとんどの人が理解していません。
「この欲望を満たせば幸せになれるのではないか」ということは、実は妄想です。
今取り組んでいる仕事が終わったら自分にご褒美を与えようという、ささやかな欲望はどうでしょうか。
表面的にはそれによってやる気が出るように見えても、長期的な視野で見れば、ストレスを増やすことにしかなっていないのが、残酷な現実です。
近年では「聞き上手」の大切さが闇雲に宣伝されています。ですが、マニュアル本を読んで小手先のテクニックを身につけることは、お勧めしません。
「聞き上手」のかたちそのものより、そのかたちを可能にする上品な心を育むほうが、遥かに実践的なのです。
第二章
生きることは、現時点の自分はどのような目にあうのがふさわしいのかを朝から晩まで思い知らされるゲームのようなものです。
世の中には「幸せになりたい」と漠然と思っている人はたくさんいます。その一方で、幸せを破壊する怒りを好き放題に生み出し続けています。
多くの人は、「幸せ」とは何なのかが全然分かっていない。
第三章
誰もが、自分自身の「我」は可愛くてしょうがないのですが、他人の「我」は大嫌い。ですから、「我」が薄まっている相手に好感をもつのは、ごく自然なことなのです。
第四章
人間という生き物は、入ってくる情報を生のままで美味しく食することが苦手なようで、しばしば、余計な添加物を大量に加えて、わざわざ美味しくないものにつくり替えてしまいます。
イライラすることで最も損をするのは、ほかならぬその人自身です。
「嫌な言葉」もしょせんは「ただの音」
第五章
人が批判をするときには、「自分は正しいことを言っているのだから、相手は従うべきだ」と、相手や周りを変えようとする欲求がはたらいています。
しかしながら、たいていの人は欲望で動いているのであって、「正しさ」で動いているわけではありませんん。
善をなすのも悪を避けるのもすべて自分のため。
闇の部分があるとは、知らない部分がある、ということ。すなわち「無知」です。
第六章
エネルギーの質で言えば、「ダメ」という思いも、怒りの一種です。不安感という名の怒りに、否定という怒りを加えるのは、火に油を注ぐようなもの。
すべての脳内編集を止めて、事実をありのままに経験すれば、心や体や感情についてありとあらゆる法則性が分かってきます。
これは宗教などといったものではなく、単なる事実、端的な事実です。
(空気を読むことは)役に立たないどころか、場合によっては害になることすらあります。
自分自身が疲れ果てて自滅してしまうことがあるのです。
下手に空気を感じとってしまうと、空気に無理矢理合わせることでストレスを感じるか、空気に無理矢理逆らうことでストレスを感じるかという、ろくでもない選択肢をつきつけられるはめになります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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