「戦争と平和」の名言まとめました

「戦争と平和(百田尚樹)」より名言をまとめていきます。

「平和」について語るには、「戦争」を知る必要がある。
戦争は悲惨なものです。
だからこそ悲惨さを生まないために、対策を考えないといけない。
平和のために戦争を考える一冊です。

平和と戦争

「平和」について語るには、「戦争」を知る必要があると、私は考えています。

現在の日本では、戦争の悲惨さばかりがクローズアップされている。
そして、「だから戦争はしてはいけない」との結論になる。
考え方としては正しい。しかし歴史を知る者には違和感がある。
なぜ戦争の話は、第二次世界大戦のみを扱うのだろうか?
日本で戦前と言えば、この戦争の前及び途中を指す。
しかし戦争は世界中で、あらゆる時代に存在する。
そして戦争は、「するもの」とは限らない。
実際は、「されること」の方が圧倒的に多い。
この点を多くの方が無視しているのは、むしろ不思議だ。

極限状況

戦争という極限状況下においては、その民族あるいは国家の持つ長所と短所が最も極端な形で現れる。

日本人の多くが、アメリカには物量の差で負けたと考えている。
正直、私も昔はそのように考えていた。
しかし戦争の資料を見てみると、かなり疑問を覚えた記憶がある。
例えば太平洋戦争の戦いに「ミッドウエー海戦」がある。
結論を先に書けば、日本軍は大敗し戦局のターニングポイントになった。
しかもこの時の戦力は日本軍の方が上だった。
よく日本人は優秀だ、と日本では言われている。
しかしそれは他国の人と比べて、絶対的な優秀さがあるわけではない。
あくまで優秀な部分があるだけだ。
もちろん、劣るところもあるのは間違いない。

モノづくり

たとえ兵器であっても、作るからには最高のものを作りたい。
そのためにはどんな手間も惜しまないという精神です。

ゼロ戦の設計思想になります。
一見すばらしく、「だから日本人はすごい」になる。しかし著者は疑問を持っている。
最高のものは作るのが難しく、そして時間もかかる。簡単に言えば、大量生産が出来ない。
戦いの原理は「数の優劣」。少数では大軍に勝てない。
理想が先にあり、目的を忘れているみたい。

防御

日本には「盾の思想」がない。

簡単に言えば、防御を軽んじてる。
実際、ゼロ戦は能力は高くてもペラペラだったみたい。
過去の歴史を見ても、武士が盾を持っている姿はない。
西欧を見れば盾を所持しているか、全身を鎧で覆っている。
人命軽視と言われても、反論が難しい。

連戦

毎日のように使われ、しかもそれがいつ終わるともわからない。
極限の緊張が連日続き、先が見えない。

戦闘時におけるパイロットの状況になります。ブラック企業の社員みたい。
戦闘時の兵士の疲労は激しい。休憩も必要なのは常識である。
しかし優秀な人材に、負担を掛け続けている。
本当に日本の管理能力は○流ですね。(○の数字は自己判断で)

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生真面目

生真面目といえば聞こえはいいですが、要するに融通が利かない、臨機応変に対処できない。

日本人の特徴が書かれている。
日本人のトップや管理職は頭がいい。しかしそれは学校での頭の良さだ。
柔軟さを必要とする能力とは少し異なる。
経済が成熟し、発想が必要な現代には合っていない。

予定

予定通り進まないのが戦争です。

簡単な予定でも、なかなか思い通りには進みません。
まして戦争は相手がいる。予定通り進むほうがおかしい。
しかし当時の日本軍には、余裕の発想がなかったみたい。
全く信じられないことだが、現代でも同じかな?

日本人と戦争

実は日本人は戦争に向いていない民族なのではないか、と思えてきます。

現代のメディアの思想は、「戦争出来る状態になれば、すぐにでも日本は戦争していまう」という感じだ。
しかし長い歴史を見ても、日本人が戦争を仕掛けたのはごく僅かだ。
向き不向き以前に、対外戦争の経験すら少ない。
直近の事例があるとはいえ、なぜ今の感覚になったのですかね?

失敗の想定

私たちは平和を維持するための努力を続けながらも、それが失敗に終わった場合の想定を常に忘れたはならないのです。

普通に考えれば当たり前のこと。
しかし日本には、「失敗を考えてて成功が出来るか!」の思想がある。
本来、失敗と終わりは違う。
失敗はあくまで途中であり、対策を考えるのはむしろプラスになる。
失敗が許される環境だからこそ、柔軟な思想や行動が生まれる。

残酷

安全保障について国防の大切さを訴えると、なぜか日本のメディアからは、「軍国主義」というレッテルが貼られるようです。

確かに現代の主流は、このようになっている。
しかし、どう考えてもイコールにはならない。メディアは次のように考えているのだろうか?
「日本国民は国防を考えるだけで戦争をする野蛮人である」

被害者

彼らはなぜそんな目に遭わなければならなかったのでしょうか。
様々な理由があるのでしょうが、一番大きな理由はただ一つ───「彼らは自国を守る力を持っていなかった」ということです。

「力なきものが虐げられる」のは歴史の常識です。しかし有識者はこのように言うだろうか?
「力があれば大丈夫なのか?」
一見もっともらしいが、明らかに論点がズレている。全ての可能性は確率だ。
弱いよりも強いほうが、被害に合う確率は減る。
ゼロにはならないが対応がしやすくなる。
このような反論は、弱き者を救う方法を示してから言って欲しい。

憲法

時代が変われば法律も変わります。これは憲法も同じです。
時代の変化、国民の生活や意識の変化、また国際状況の変化に伴って、修正していくものであるのは当然です。

原文だと少し長くなりましたので、途中を一部省いています。
憲法など所詮は人が作ったもの。今の感覚で正しいかを判断しないといけない。
あまりも当たり前だが、メディアの意見は違うみたい。

護憲派

大多数の憲法学者は、日本国憲法を侵すべからざる絶対不変のものとして捉えています。

私は、「九条を守らなければならない」と言う人と、過去に何度も議論を重ねたことがあります。呆れるのは、彼らの主張はまったく論理的ではないことです。

先程と重なりますが、まったくその通りです。
「憲法は正しい」
「正しい憲法を、なぜ変えないといけない?」
このように「正しい」が前提にあり、そこに理由はない。
あえて言えば、「正しいものは正しい!」という感じだろうか?
そしてしつこく詰め寄ると、「戦争したいのか!」と攻撃してくる。
まったく不思議なのは、護憲派の人は攻撃的だ。
平和を主張しながら、相手を非難する形で攻撃する。
本当の平和主義は、相手を説得するものですけどね。

無抵抗主義?

もし、本気で奴隷にあってもいいとか、殺されてもいいと思っているとしたら、まともな人間ではありません。

テレビでタレントが、「相手を殺すぐらいなら奴隷になるか、殺される方がマシ」的な発言をした時の考えになります。
一見、平和主義に見える。しかし被害は自分一人ではない。
自分を含めた仲間が奴隷にされても殺されても、自分の手を汚したくないから戦わないと言うこと。
もちろんあまりにも大軍であり、逆らえないなら仕方がない。
しかし相手が数人で戦争を仕掛けて来ても、同じ行動をするのですかね?

主張

「戦争は嫌だから、戦争はしない」と主張するだけで戦争が起こらないなら、こんな楽な話はありません。
世界の国からとっくの昔に戦争はなくなっているでしょう。

全くその通りですね。
それなのに日本では、「戦争はするものであり、されるものでは無い」と考えられている。
何故なのでしょう?

感想

なかなか興味深い作品でした。個人的な感想としては、私の感覚と一致している。
その点において、ごくごく当たり前のことを論じている。
そして戦争をしないための方法を書いている。
それなのに、世間的に非難されているのは不思議な感じだ。
内容を議論するのは良い。そしてこれは、対策の一案に過ぎない。
非難や攻撃だけでなく、具体的な対案を提案して欲しい。
そして時代に合った、よりよい未来を期待したい。
緊迫した時代ですので、とりあえず一読をおすすめします。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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